俺の高校サッカー

今回はnoteの企画で見つけた ”#部活の思い出“ について書いてみたいと思います。

第1弾は 「俺の高校サッカー 」

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高校は神奈川県の桐蔭学園高等学校に在学していました。高校2年生の時に神奈川県大会を制し、夏の全国大会であるインターハイに出場したのが高校時代の最高成績です。
冬の風物詩である高校サッカー選手権には出場できませんでしたが、インターハイに出たり、関東プリンスリーグで昇格を経験したり、高校3年の時にはゲームキャプテンをしたりと本当に色んな経験をさせてもらった3年間だったと思います。
2部練習も毎週のようにありましたし、連帯責任で坊主になったり、朝から晩までわけもわからず走ったり、受験勉強もしたり、10代の勢いとは凄まじかったなと思います。

高校の部活を振り返ってみて感じることは2つ。

1つ目は、監督交代など多くの指導者の下でプレーできたこと。
僕はトップチームとセカンドチームを行ったりきたりするレベルの選手だったので、幸運にも多くの指導者と関わることができました。
監督やコーチが代わったり、怪我でプレーできなかったリハビリ期間も含めれば、3年間で7人の指導者と関わったことになります。

10代半ばで色んな指導者のサッカー感や哲学を身をもって知ることができたことは、移籍や監督交代が日常茶飯事のように起こるプロの世界でも役に立っているなと思います。

2つ目は、乗り越えた経験。
僕が通っていた当時は校則が厳しかったり、罰則や連帯責任など人によっては理不尽と思うこともあったと思います。実際にそういった事を理由に退部していった仲間もいましたし、それが良いか悪いかはさておきそういう環境であったとは思います。

でも社会に出ると同じように理不尽なことや自分の思い通りにならないことの方が多かったと感じています。自分がやりたいことや得意なことが必ずしも求められることではないことも経験しましたし、好きなサッカーを仕事にしている中でも給料やVISAのことなど面倒なことも沢山ありました。
でもそれも含めてこの仕事が好きでサッカー選手でありたいと思うのは、高校の時から色んな理不尽や誘惑などを常に天秤にかけながらもサッカーを選んでこれたからなのだと思います。

乗り越えることはやり続けるとか諦めないという事ではなくて、自分の答えを出すことかなと僕は思います。
僕自身もJリーガにはなれなかったけれど、東南アジアでサッカーを続ける道を切り拓くことができました。サッカーを辞める選択をした仲間もいますが、彼らが違う分野で活躍している姿はより一層自分で答えを出すことの大切さを感じさせてくれるものでもあります。

部活の思い出=高校の思い出なくらいサッカーしか考えていなかったけれど、何かにのめり込めた時間もまた自分の人生の大切な一部だなと思っています。

そんな俺の高校サッカー #部活の思い出 でした。

次回は俺の大学サッカーを。

でわまた。

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