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時々徒然テレビ日記 第1回〜上岡龍太郎逝く

ほぼ毎日とプロローグで宣言しながら、第一回目を投稿するのがそれからほぼ1週間後。それで、タイトルも「時々徒然テレビ日記」にしちゃいました。今週は台風接近による大雨のためか、体調がすぐれないことが多くて、、、と言い訳したくなるが、そんなこと言ってる場合じゃない。noteにしろYoutubeにしろ、少しでもお金になる可能性のあるものは早く始めねば、、、もうやばいやばすぎるうぅぅ〜
というわけで、慌てて第一回目を始める。基本、リアルタイムの話にしようと思っていたが、今回は過去のテレビの話も交えつつ。今後もそういう感じになりそうだな。
というわけで、第1回。久々の有料記事。でも、半分くらいは無料で読めます。

【上岡龍太郎の訃報】

上岡龍太郎が亡くなった。81歳。肺がんによる間質性肺炎だったらしい。

2000年に58歳という若さで引退してから20年以上。まだレギュラー番組も何本もあり、惜しまれながらの引退だった。今ではその存在を知らない若者も増えたとはいえ、上岡龍太郎といえば、話芸、特に司会などでは右に出るものなく、話し言葉を仕事にする人の間では関西関東問わず、カリスマ的存在だ。引退していなかったら、関西ではトップだったんじゃないだろうか?まず、早口で口がうまい。さらに、読書家と言われるだけあって博識である。博識といえば今やタモリの独擅場だが、タモリと違うのはその発言が政治的な分野にも及ぶ点であり、何か批判するにしても、タモリがわかる人にしかわからない暗喩でこっそり批判するのに対し、上岡ははっきりっこれはダメという。

上岡龍太郎はピンになる以前、漫画トリオというトリオ漫才を組み、時事ネタで人気を博し、ボケの横山ノックはその後、参院議員を経て、大阪府知事になった。上岡は政治家にはならなかったが、番組では自らの政治的考えを鮮明にし、議論する番組をよく仕切っていたものだ。今、漫才師の間で時事ネタは流行らない。かろうじて爆笑問題がライブやサンデージャポンで時事ネタを扱っているが、直球で原発批判するウーマンラッシュアワー村本などはテレビからは干されてるし、ニューズペーパーもテレビには出ない。地上波テレビはお笑い芸人で溢れているのに、やっていることといえば、食レポ、クイズ、ひな壇トーク。最近は政治家のモノマネも流行らない。これだけ情報番組の枠が増え、コメンテーターには芸人も呼ばれ、ウクライナ戦争やら物価高やら毎日のように語ってるのにも関わらず、印象に全く残らない。政治のことやってるのに、やってないかのようだ。それは、本来ならシニカルな笑いを期待される芸人たちの言葉が、予定調和で炎上しない程度の、ただの生真面目で無難な発言ばかりになっているからだろうか。そこには本音もあろうはずはない。よって、面白くない。

【タブーに斬り込んだOSAKA EXテレビ】

それで思い出すのがあの伝説の「11pm」の後番組として始まった上岡龍太郎司会のEXテレビだ。私が大学を卒業し、テレビ制作会社に就職した1990年に始まった。日本テレビ系列、関西の読売テレビと関東の日本テレビで交互に制作する生番組で、火曜と木曜、関西EXテレビの司会を上岡龍太郎が担当していた。

日テレが流行トレンド情報色が強い一方で、読売テレビのOsaka EXは上岡のやりたい企画色が強く、火曜は「テレビ論」と称して、テレビや世の中の出来事を辛辣に斬っていたが、今では絶対できないようなテーマ揃い。具体的にどういう企画があったかは私もほとんど忘れたが、今でもYoutubeで探すといくつかアーカイブがアップされているので、是非みてほしい。

ちなみに、あの「開運!お宝鑑定団」も実はもともとOsaka EXで放送された企画で、番組最終回で行われた企画オークションで、テレビ東京が最高値をつけて落札して番組にした。政治に斬り込む内容ではないが、こういう企画オークションなんてものが実現しているってだけでも、 OsakaEXテレビがいかに自由であったかがわかるだろう。

特に驚いたのは、憲法9条について語る回があったことだ。まして、上岡が語ったのは完全なる非武装中立。ゴリゴリ保守の浜村淳(これもまた若い人は誰も知らないだろうなあ。独特の話芸で人気を博した司会者、ラジオパーソナリティ)を目の前に、上岡はこう語ったのだ。記憶で書いているので言ったまんまの書き起こしではないが、残っているYoutubeも見て、だいたいの内容を再現する。

上岡「今の自衛隊は軍隊であって、それを実戦で使うなら憲法を変えねばならない。
   でも、自分は非武装中立という理想を追いたい。」

浜村「それでも、もし攻め込まれたらどうする?」

上岡「まずは攻め込まれないように色々な外交策を労することが重要だが、万に一つ、攻め
   込まれるようなことがあったとして、日本が滅びても、『昔々、日本という非武装中
   立の国があって、それを貫いたために滅びてしまったが、その志は美しい』
   と語り継がれた方がいいだろう。」
  「私の言っていることは理想論かもしれないが、その理想に向けてまずは努力して
   みるというのが本来ではないだろうか。」

だいたい、こんなことを言っていたと思う。

日本語の理想論という言葉にはなぜか浮世離れといったニュアンスがあって、脳天気でお気楽なボンボンの考えみたいに思われがちだが、緻密にどう動けば、仮想敵が攻め込めない状況に追い込めるか、攻め込めない状況を保ち続けられるか、理想を現実にしていく行為を真剣に考えて実行することこそ難しく誠実な態度であり、それを疎かにして、敵が攻め込んできた後のことばかり考えるのは、その難しいことに直面するのを放棄しているようにも私には思えるのである。

しかし、どうしても、いわゆる現実主義者の人々とはその辺が理解し合えない。現実主義者というより、世の中の多くの人が上岡の意見を極論だと受け取ったのではないだろうか。

いまどき、お笑い芸人でこれほど明快に多数の同意を得るのが難しそうな意見を語る人がいるだろうか?最近、ワイドショーやニュース番組のコメンテーターとして芸人がキャスティングされることがものすごく増えたが、この頃の上岡龍太郎ほど明確な意見を語る芸人を見たことがない。皆、上岡のようなことを言うと炎上することがわかっているのだ。だから、可もなく不可もない意見を述べてお茶を濁す。そこにはなんの緊張感もない。

EXテレビはたった1時間の番組ではあったが、そこで交わされる言葉には緊張感がみなぎり、予定調和という言葉はなかった。

【EXテレビが始まった時代】

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