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56.長距離走

ふたつ年上の兄は小学校4年生まで、ふっくらとしていた。

ところが5年生になった途端、母と私に決意表明かのように
「おれは今日から、お母さんとも、れなとも、もう風呂には入らない。」と断言し、みるみるうちにイケメンへと転身したのだ。
その頃のことは下記の記事をぜひ。


イケメンになってしまった兄は、妹とは違って運動神経がよかった。

幼馴染のたつやくんのお父さんが、空手の先生をしていたこともあり
兄は小さい時から空手教室に通っていた。
実は私も一瞬だけ空手を習いに行ったのだが、
拳を突き出して大きな声を出すことが、自分が自分ではなくなる様な気がして怖かったし、何より冷たい床を裸足で歩くことにすぐに音を上げて
見事白帯で卒業したのだった。

空手の大会に着いて行くと、兄はいつも表彰台に登っていた気がする。
私は観戦席から表彰されている兄がすごく遠くにいる様に見えた。

兄の勉強机の周りに次々と並べられていくトロフィーやメダル、賞状が羨ましかったけれど、妹の一番の楽しみは兄が昇段した時、今まで付けていた帯をあげると言ってくれたことだった。
黒帯になった後、中学では陸上部にも入り短距離走の選手としても活躍。
陸上の夏の大会を、母と見に行った時も私は兄のイケメンさに驚いた。

蝉がうるさく鳴いて、
空がどこまでも高くて、
真っ白な雲が映画のワンシーンの様だった。

ピストルの音が響いた後、兄がぐんぐん風を切って走っているその間
さっきまで息をしているだけで汗をかくのに加えて、
暑さを際立たせる様に鳴いていた蝉の声が、聞こえなくなるような感覚がした。

走り切った兄の背中を見た時、思わずにやけてしまったし、
あれはうちの兄だと言いふらしてやりたい気持ちだった。

兄は本当にかっこいい男だと思った。
ずっと憧れていたんだなと、ここに書きながら今思う。

打ち上げ花火みたい。私もそうなりたかった。
でも私は、打ち上げ花火みたいにはなれない。

短距離走ではないこの人生だが、
妹の私はなぜか駅伝の選手としては重宝された。
小学生の頃も、中学生時代も、どうしてか気づいたら駅伝を走っていた。

昔から兄妹喧嘩になると、兄に悉く言い負かされて
その度にいじけて疲れるまで泣いた。
母親にも呆れられ、「あんたは本当にしつこいね」と言い放たれた時も
負けじと余計に泣いたくらいだ。
そう、私は諦めない女なのだ。とことんしつこい。
持久力や推進力は、兄との喧嘩で培われたのかもしれないな?

長距離走でもいい。長距離走こそ私の人生だ。
今年の4月で音楽活動9年目になる。
6年も私の活動を応援し続けてくれている方に、先日ライブの後の物販で
「ごめんね、全然売れなくて。」と弱音の様なことを言ってしまった。
するとその方は、「全然まだこれからですよ。僕はれなちゃんを信じていますから。」と目を見て返してくれた。
私は涙を堪えるのに必死で、笑いながら誤魔化した。
本当にいつも、ありがとうございます。
弱音を言ったこと、ごめんなさい。


鳥居れなはしつこいのだ。
誰よりもまず、自分が自分を信じ続けること。
こんなにしつこい人間なのだから、形にするまでどうせ諦められないんだ。
誰かに信じてもらえることが、こんなに嬉しいと思ったことはないよ。

今、いい風が吹いている。
長距離走は続く。

鳥居れなが爆発を起こすまで、どうか見ていて。
みんなのおかげで、これまでたくさんの夢を叶えて来れた。
でも、夢が叶うたびに、また夢が増えるの。
本当に呆れるくらいしつこいだろう?笑って。

きっとずっと走り続ける。

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