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かつてサハラマラソンで遭難した人がいた

サハラマラソンにおいては、公平さを期するためにコースの情報は大会直前まで知らされることはない。大会が開催されるモロッコに現地入りし、サハラ砂漠の入り口であるワルザザードという街からの移動のバスの中でロードブックが手渡される。その時に初めてどういうところを走るのが、総距離は何キロなのかが判明する。

そのロードマップであるが、パラっと開いてみると大抵の人はびっくりする。また、事前にサハラマラソンのことを調べてきている人は「これが例の、、」という反応になる。

これはドラクエですか?言いたくなるような簡素な落書きレベルの地図で、これを仲間内では「冒険の書」と呼んでいる。

実はその裏面にちゃんとした地形図、地図があるのだが、落書きレベルのドラクエ地図のインパクトが強すぎて、その存在がないもののような状態になっているのだ。

このロードマップを参照し、コンパスで方角を確認しながらレースを行う、と言いたいところだが、近年のサハラマラソンは参加者が1,000人を越えるため、前を走っている人についていけば良い。それに数十メートル毎にマーキングがあるため、これを見失わずに追っていけば、コースを外して迷うことはあまりない。

そして、3年前からリュックサックにGPSを装着することになったため、大会関係者や遠い異国で応援している家族友人たちは選手の位置を把握することができる。例え、コースを外れたとしても、GPSが信号を発し、大会本部に通知され、直ちに近くにいる大会スタッフ車両は派遣されるため、(GPSが不具合を起こしていなければ)遭難するということは皆無に近い。

しかし、かつて、サハラマラソンで遭難した人がいたのだ。

サハラマラソンについて、Wikipediaで調べると以下の文章を目にする。

1994年のレースでは、イタリア人の警察官 Mauro Prosperi が砂漠の嵐で道を見失い、砂漠を10日間(後半5日間は遊牧民により保護)さまよい、13kgも体重を落としてしまった。彼は、灼熱の砂漠をさまよい、コウモリを捕まえ生き血を飲んで渇きをしのぎ、果ては水が尽きた事に絶望し手首を切り自殺まで図ったが、脱水症状により血液濃度が濃くなりすぎて血が流れ出てこなかった。その後彼は遊牧民の一団に発見され救助された。 

「これって本当のことなんですか?」と聞かれることがある。その度に、「本当らしいよ」と返事をするのだが、「ヒー!生きて帰ってきてね!!!」とやはり今生の別れのようなセリフを言われてしまうのである。

「だから、今は科学の進歩で、レース中にちょっとコースを外れてしまうことはあっても、遭難することはないんだってば!!」

と、力説しているのだが、周りは「手首を切ったが死ねなかった」「コウモリの生き血で喉の渇きをしのいだ」という強烈なフレーズに頭を支配されていて、私の否定の言葉が入る余地もなさそうだ。

なので、その方が何だかとってもすごいことした感が出てきて、周りの目も変わってくるので、そのまま言われるがままにしている今日この頃である。

ちなみに、サハラ砂漠で遭難したイタリア人男性は発見時は(コースから291km離れ、国境を越えてアルジェリアに到達していた)体重が16kgも落ちて、固形物が口に入らない状態だったらしく、完全に回復するのに約2年の月日を要したようである。そして、遭難してから4年後にサハラマラソンに戻ってきて、ようやく完走するのである。そして、その後何度もサハラマラソンに出場するリピーターとなったのだ。

サハラマラソンってこういう人多いんですよ、、、。



参考URL : How I drank urine and bat blood to survive http://www.bbc.com/news/magazine-30046426

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