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高校の授業がつまらないワケ

みなさん、こんにちは。田畑 蓮です。

早いものでもう11月になり、高校3年生の私は、残り4ヶ月ほどで高校を卒業します。

新たな大学生活にワクワクすると同時に、高校生活も終わりが近づくと寂しいものです。


さて、高校3年間の中で、多くの学びがありましたが、1番無駄な時間を費やしたなと感じるのは授業です。

本当につまらない授業ばかりでした。笑

まず、先生は教科書の内容を大きな声で読み上げているだけ。

ぶっちゃけ言うと私たちでもできる授業のクオリティです。

そして定期試験も超簡単なので、授業を全く聞いていなくてもOK。試験前日に教科書をパラパラーっと見れば、60点くらいは平気で取れます。

だから生徒たちは、居眠りをするか、ICT教育として1人1台導入されているiPadでゲームするか、漫画を読むかで時間を潰しています。

「学校に何しに来ているんだろう」と思うことも多く、卒業論文の調査テーマも「なぜ高校の授業はつまらないのか」にしたほどです。

そんな私が、この問題から3つの原因を追求します。


①勉強が嫌いではなく、興味がない。

私は、そもそも勉強に興味がないんです。

勉強が決して苦手とか嫌いとかいうことではありません。

例えば、数学、生物、化学、物理など。

文系の私にとって、理系の勉強は興味がないんです。

実際に、授業が始まると、先生の言ってることは理解できるけど、退屈すぎて、寝るかiPadを触って過ごします。

なぜ、興味がないのか?

答えは、意義が感じられないからではないでしょうか。

この公式覚えても普段使うことないし。

これ暗記しても社会に出てから使わないし。

優しい先生は、超簡単に分かりやすく、1から教えてくれますが、それも無意味です。

その教科の意義や必要性を伝えないと。

この教科は、どういう目的があるとか、これを学ぶことでどうなれるかとか。

それを伝えられない教科は近い将来、なくなるでしょう。


②個々に差がありすぎる。

同じ入試を合格したからと言って、個々に差がないわけではありません。

例えばですが、同じクラスの生徒同士でも、TOEIC600スコアを獲得して、近畿大学の特待生に選出されるような生徒もいれば、英語が苦手で、TOEIC200点台の生徒もいます。

これだけ学力に差が開いているのに、同じ授業を受けているのは、おかしくないでしょうか。

元々の知識や理解度にも差があるし、それこそ興味・関心に大きな差があるのではないでしょうか。

それゆえ、先生も誰に対して授業をしているかわからなくなり、つまらない授業をしてしまいます。

そんな頼りない先生に、生徒たちも何も求めていません。

結果的に先生が、前で1人で気持ちよく喋って50分間が終わります。


③先生に成長志向がない。

近大附属高校は、ICT教育という形で1人1台のiPadが導入されていますが、実際に授業で利用されているのは、ほんのごく一部。

(これはこれで、SNSやインターネットに興味を持つ、良いきっかけにはなると思いますが。)

最先端のICT教育が利用されていない主な原因は、先生が使い方を知らないからです。

結果的に、今までと同じような古い授業をしてしまうのです。

つまり、成長志向のない先生が多いということです。

その原因は、評価されないからではないでしょうか。

今から書くことを一度考えてみてください。

先生方は、生徒の評価や成績をいつでも好きなようにつけれまよね。

でも、その逆はないんです。

塾を想像していただいたら良いのですが、普通のビジネスは逆です。

顧客(消費者)が、サービス(商品や製造者)に評価をつけるのです。

俗に言う「顧客満足度」です。

学校の先生は、生徒からの「顧客満足度」がないために、自分の授業の改善点が分からなかったり、良い授業をしたいという向上心が保てず、

競走から生まれる成長もなく、時代に合わせた変化もできないのではないでしょうか。



この3つの原因から考えられる1つの解決策は、授業を選択制のレベル分けにします。

分かりやすく言うと、大学のようなシステムです。

自分の興味がある教科、学びたい教科を選択し、レベルを3段階ほどに分けて構成する。

そうすることで、まず生徒たちの個々の差を埋めることができます。

また、授業後に生徒が先生を評価することで、先生同士の競争による授業のスキルアップが見込め、評価の高い先生がレベルの高いコースを指導します。

既存のS文理コース、特進コース、進学コースとの違いは、教科別にレベルを選択でき、そのレベルに見合った評価の先生が授業をするというところです。


ここからは、私が高校3年間で痛感したことですが、

もっと高校生に選択させなければいけません。

これは授業に限ったことでありません。

選択をさせるということは、これで正しいのかという不安や悩みが生まれ、自分と向き合うことができるので、自己認知が高まります。

自分が何者なのか。

自分のやりたいことは何なのか。

もっと高校生に自己と向き合わせる必要があるのではないでしょうか。

もちろん自己の不確立が今の日本人の道徳や倫理観の基礎となっていることは、理解していますが。

これからのグローバルと言われる時代において必要なのは、決して英語力だけではないはずです。

日本人が世界中で活躍するために、日本の教育をアップデートしなくてはならないタイミングです。


今回はここまで。ありがとうございました。