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言語化って理解しにくいのかも。

みなさん、こんにちは。

田畑 蓮です。

4月から近畿大学に入学し、5月からはzoomでオンライン授業が始まりました。

先生は学生をミュートにさせ、気持ち良さそうに90分間お話して、じゃあレポート提出してね、と課題が大量に出される毎日を送っています。

そのような状況でも、学べることはあるはずだと、私らしくポジティブに捉えながら取り組んでいます。


今回のnoteでは、私が、社会システム論Aという授業での課題で、学んだことをアウトプットします。

学んだことは、言語化って理解しにくいのかも。ということです。

ちなみに、課題の内容は、以下の通りです。

「共有地の悲劇」について、地球温暖化の事例を交えつつ説明せよ。

下のマトリックス図で見ると、意外と簡単に理解できます。

(今回は「共有地の悲劇」を伝えたいわけではないので説明は省略します。気になる方はググってみてください。)

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このマトリックス図の内容を400字以上で説明しなさいとのことなので、言語化して提出しました。

それがこちら。

「共有地の悲劇」とは、共有地において、個人が合理的な行為を取ると、全体としては、非合理的な結果をもたらすが、自己が合理的な行為を取ったとしても、自己以外の他者が非合理的な行為を取れば、全体としては、合理的な結果をもたらすということである。また、逆も然りで、共有地において、個人が非合理的な行為を取ると、全体としては、合理的な結果をもたらすが、自己が非合理的な行為を取ったとしても、自己以外の他者が合理的な行為を取れば、全体としては、非合理的な結果をもたらすということである。
例えば、地球温暖化を抑制するため、ペットボトルのゴミをリサイクルする際に、個人が、面倒だからリサイクルをしないという行為を取った場合、全体としての地球温暖化は促進してしまうが、自己が、面倒だからリサイクルをしないという行為を取ったとしても、自己以外の他者が、面倒だがリサイクルをするという行為を取れば、全体としては、地球温暖化の抑制ができる。また、個人が、面倒だがリサイクルをするという行為を取った場合、全体としての地球温暖化を抑制することができるが、自己が、面倒だがリサイクルをするという行為を取ったとしても、自己以外の他者が、面倒だからリサイクルをしないという行為を取れば、全体としては、地球温暖化は促進してしまう。

よく自分でもこんなにも理解不能な長文が書けるな〜と思います(笑)

note書いてたからですかね(笑)

私の言語化のレベルの低さもまだまだあると思いますが、そもそも、言語化して説明するには、不向きな事象だったので、長々と理解不能な文章になってしまっています。

今回、感じたことは、私が今まで必死に自分の頭の中を言語化してきたnoteも、このように理解不能な長文になってしまっていないか?ということです。

言語化がとても重要なスキルなことは重々承知ですが、伝えたい内容が、言語化に不向きな事象の場合は、言語化にこだわらず、図式にしたり、映像にしたり、歌詞を書いたり、絵を描いたり、写真を撮ったりなど。多様な表現方法に挑戦して、自己表現のスキルをもっと身につけていきたいな〜と考えています。

もちろん言語化のレベルもまだまだあげないといけませんが。(笑)


今回はここまで。

ありがとうございました。