私は人でなしになって、何になったのか
今日の朝、祖母が亡くなったそうです。
うちの家系の諸悪の根源と言われていた彼女が、息を引き取った。
それは私たち家族に大きな影響を与える日になったのだと思います。
姉からLINEが来た時に、私は「そうか、やっとか」と思ったのと
「お疲れ様でした。いろんなことをばあちゃんのおかげで知ることができて楽しかった」と心の中で伝えました。
本当にそれだけで、心の中に悲しさも寂しさも無く、お別れの挨拶を終えました。
私が尋常じゃないくらい祖父が好きなのをご存知なみなさまからすれば、驚かれることかもしれませんが、私は祖父と祖母と大体同じくらいの時間を過ごしていて、けれど祖母との距離感は結構あって、心から可愛がってもらったわけではないと感じて過ごしてきました。
だからなのか、血の繋がりのある祖母よりも、血の繋がりのない祖父がいなくなった時の方が、尋常じゃないほど悲しんだという結果になりました。
実は大阪に引っ越してくる時に、一番最初に地元で亡くなる可能性が高いのは、祖母だったため、その仮定をしていました。
多分死に目には会えないけれど、後悔はないか自分に問いかけていました。
私は祖父が亡くなる以前も、亡くなった後も、定期的に祖母に会いにいっていたし、よく気にかけていました。
祖父が亡くなってからはお墓参りのついでに会いに行ったし、お墓参りに行きたいと言われたら連れて行きました。
みんな祖母を嫌っていたので寄り付かなかったけれど、私は祖父の大切にした人なので誠実に対応していました。
私の持っているお下がりのバッグが欲しいといえば、もう使わなくなったバッグやポーチを渡したり、誕生日にもお祝いのプレゼントや電話をよくしていました。
十分、大切にしたと思っています。
だから「もし亡くなったら」を想像した時に「もう二度と会わなくても大丈夫」と判断して大阪にやってきました。
祖母の唯一好きなところは、私の前で母親の悪口を言わないことです。
私がどんなに愚痴を言っても。
それは祖父も祖母も一緒でした。
彼女から学んだことは、どんな人でも自分のプライドを守るためなら、他者を脅かそうとする人間の愚かさと、素敵なセンスだったと思います。
とても不思議な人でした。いつでもオーラがある人でした。
みんなから恐れられて、男のようにも見える祖母は、私の家の伝説になると思っています(笑)
私は涙一つ出なかった。それはどこか人間じゃない感じがして、私の中で自分を疑ってしまいました。
孫の中で誰よりも長く一緒に過ごしてきたはずなのに、なんとも思いません。
それはかけられた愛情が物語っているのか。
それとも私の心が死んでしまっているのか。
人を人だと思わなくなったら嫌だなと不安になりました。
そして自分を人間だと認識できなくなったら嫌だなと。
けれど実際のところ「後悔せずに生きる」というのはこういうことなのかもしれません。
人間の感情こそがドラマであって、後悔せずにクリアリングしながら生きていると、こういうドラマのない状態になるのかもしれません。
念のため、祖母からメッセージをもらいましたが、彼女から後悔の念をいただきました。私の母に対する後悔です。
後悔をしながら死にいく祖母と、後悔をせずに見送った私。
そして私が持つ苗字は、祖母と私だけだったので、私だけの苗字になってしまいました。
まぁそこら中に転がっている苗字なのですが。
それでも私の家系では私だけになりました。
数年前、一度も会ったことのなかった血の繋がりのある祖父が亡くなった時と
今日この日は似たような感情にありました。
祖父にも祖母にも同じ感情を抱くのだなと。
そして全く血の繋がりのなかった祖父には絶望を感じるほどのお別れがあったなと。
血の繋がりの大切さなど、どこにあるのだろう。
それこそただの理想にしか過ぎないのではないか。
私にとって感情が揺れ動くのは、どれだけの絆や思い出があるかなのだと思います。
だから私はよく考えます。
きっと共に過ごすことのできなかった我が子たちが、私に会うときがあるとすれば
私が実の祖父母に抱くような薄くて淡い感情しかないのだろうと。
触れ合ってきた心の繋がりが、重さや温かさを生むのだろうと。
REN
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