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仮面の下

古来より、仮面は自分以外の何者かになるための祭具であった。
その起源は不明だが、世界のあちこちに様々な仮面が存在している事実が、その神秘性が普遍的であることを示している。

そして、仮面の性質には、もうひとつの顔がある。
被ることで自分以外の何者かになるという暗示から、日常の中で秘められた欲望を解放するための呪具としての仮面としての一面である。

現代社会においては形を変え、「匿名」が仮面と同等の効果を及ぼすモノとして利用されていることは、誰しもが納得してくれると思う。

そして近年、仮面と同等の性質を宿すものがもうひとつ、現れた。

アバターである。

「例えば、君が愛されたいと願うとする。そのために、愛らしいアバターを使うんだ」

優しく見られたいのなら優しいアバターに、たくましく見られたいのならたくましいアバターに。

「そして、仮面には自身の価値観が形となって現れるだろう」

重視するのは可愛さか綺麗さか。顔ではなく体つきかもしれない。人ではない異形のナニカであることに価値を置いているかもしれないし、人を圧倒する何かであるかもしれない。

「仮面は自らが秘めたモノを解き放つためのキーだ。だけど同時に、自らの欲望を写す鏡でもある」

今の自分の姿を見る。

愛らしい少女だ。現実世界のどこにでもいる青年とは、似ても似つかない。

「君はその仮面に何を宿している?性的嗜好?理想?それともーー」
「私には絶対に手に入らないものだ」

先ほどから聞こえる耳障りな声を遮るように言葉を重ねる。不快な言葉が、自分の中にある柔らかい部分へと容赦なく触れてくる。

聞きたくない。だけど耳に、頭に言葉が流れ込んでくる。

「手に入らないなら、どうしてその仮面を持ち続けているんだい?なったつもりだけじゃ、苦しいだけだろう」

叶わないのなら、求めなければいい。
手に入らないのなら、見なければいい。

世の大人たちはそうして、自分の欲望に折り合いをつけて生きている。
声の主は私の行為を嘲笑いながら、そう諭す。

確かに、叶わないモノを求める行為は、虚しく、無駄で、意味のない事なのだろう。

それを仮面の力で満たしても、外してしまえば現実に襲われる。

リアルに、喰い殺されるだけだ。

だけど……それでも、だ。

「この顔は、私の全てだ。私自身を捨てることなんて、できるわけがない」

顔に触れる。現実世界にある指からは、ヘッドマウントディスプレイの滑らかな肌触りだけが感じられる。けれど視界の中には確かに、私の顔があるんだ。

その顔こそ、私の求めたモノだ。これがただの仮面で、その下にあるものがどれほど醜いものだとしても、関係がない。

この仮面をつけている間だけは、叶わないはずの夢が見える。手に入らなかったものが、この手の中に存在しているのだ。

この電子の海に漂う仮想空間だけが、私が仮面でいられる、ただ1つの楽園なんだ。

「仮面は仮面だ。いつかは剥がれ落ちる」「剥がさなければ、仮面であるこそすら忘れる日が来る」
「わかるさ。誰でもないお前自身が」
「……」
「お前が嘘だと知っている。お前自身が虚構であることを理解している。どれだけ周囲を騙せても、自分だけは騙せない」
「……騙すさ」
「どうやって?」
「……なんとかしてっ!」

計画性も実現可能性も全くない虚勢。いつかは破綻するのかもしれない。

それでも被り続けるのは、この仮面を捨てられないから。この夢を嘘だと切り捨てられない。だから、続けなければならない。

ここだけが、私が私らしくいられる世界なのだから。

鏡を見る。
そこにいるのはいつもの自分。いつもの顔

大丈夫、今日もカワイイ。

システム画面を開き、フレンドたちのいる場所を調べる。どうやら、またみんなで集まっているようだ。

私は声の主から逃げるように、みんなのもとへと飛んだ。

ワールドには声の主だけが残った。

けれど、その姿はどこにもなく、ログにも私以外の誰かがいた形跡など、存在していない。

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