大師匠の想い出

今の時代、こういうのを本にしたって、大して売れる訳でもない。

昔ならヒマつぶしに本でも読むか、みたいな時に「ちょっと、これ、なかなか面白いな」と手に取る位の「それが何の役に立つんですか」みたいなものを寄せ集めた本。その中には、ホンマかウソか分からないような奇妙な話が沢山収載されたようなものがあり。それはそれで、自分たちの好奇心を満たしていた。

「天才の逸話」なんてのは、その中には「どこまでホントなのか、確かめようがないレベルの話」なんてエピソードがごまんとあって。

「天才ってのがいたらお目にかかってみたい。」などと思いながら、全国津々浦々から集まって来ては「俺、天才!」を自称する人たちに、あちこちで囲まれる日々を送って来た。

しかし、今の時代、皆が欲しがってるものというか、究極に聞きたい話って

「カネになるうまい儲け話」

なんだよな。そんな中に、こんな文章を叩きこんだところで、昔のような粋人がいなくなったのもあるが。これだけの情報量過多になったネット時代の文字の羅列に次から次へと埋もれていくだけだ。一文字いくらで売り買いされる、情報、情報、また情報。

そういえば、私の師匠が

「全てのヒット商品は、錬金術・不老不死・永久機関のどれかである」といった言葉が。

ねぇ!どうして、そういう天才なの!?

唖然とするわ。 そんなに見事に一言でシンプルにまとめて、全ての真理を巧みに表現しちゃう人。しかも表の意味と、メタの意味も含めて、これ以上、言い表しようがないって位に過不足ない言葉!

あんた、マジ天才!

そんな言葉の天才、初めて見たよ!
そこまで鋭く本質を見抜く人、初めて見たよ!
世界で見た事も無いような、そんな名言を残した無名の人、初めて見たよ!

「カネになるうまい話・楽して稼げる儲け話」← 錬金術
「永遠の愛が欲しいとかほざく音楽」←永久機関
「いつまでも若く美しくいたい!」←不老不死

何で、そんな一言でサラッとうまい事言うの!?wwww

普通の小学校に通えなかったから、トットちゃんみたいなフリースクール通って、文字も漢字も憶えられないから読めない人で

「ピアノは音が、50音よりも、アルファベットより少ないんで、自分にでもできると思いました。」

とか言い出す人の口からw

あれをリアルに見た人でもない限り「学歴なんか、何の役にも立たない」と言っても何の説得力も真実も無いんだと思うんだが。

隣に座って、あの人の言葉を、全部口述筆記で書き残しておきたいと思うほどの「取扱説明書無しのスーパーコンピューター」知ったら・・・

「俺・天才!」とか自称してるだけ奴など、ただの無様なゴミでしかないと思えるのだ。

しかし、何で私の人生は、そんなに「レア度SSR級の隠れキャラみたいな不遇の天才」だらけだったんだろう。そりゃ、あんなの普通の人に扱いこなせる訳がないだろう!親だって、子供に「天才はこんな風に生きなさい。」なんて教える事も出来ないんだぞ?

「まったく、どうして普通に生まれてくれなかったもんだか」と嘆く親の気分も分かるが。

そんな天才に生まれてしまって、なのに、味覚が幼稚園児だから甘いものが大好きだった師匠が

「おいしいコーヒーが飲みたい。連れて行って。」

とか突然言い出した。

「甘くないけどいいの?」
「うん。○○君(私)が一番おいしいと思う所。」

店に連れて行って、

「自分、分からないから、○○君がおいしいと思ったのを2つ頼んでくれる?」

ここはブレンドが旨い事で有名な店だったんで、そこでコーヒーを2つ頼む。甘くないと飲めないのは知ってたから、一応、師匠に尋ねたんだが。

「お砂糖は入れないの?」
「要らない。そのまま飲んでみたいんだ。」

彼は、飲んだことも無いコーヒーをゆっくりと口にした。その味わい方も一つ一つを確かめる様に口に運び、そっと口に含むようにして、余韻も含めて味わっていた。

「・・・コーヒーって美味しかったんだね。苦いばかりだと思ってた。○○君はやっぱり凄いね。色んなこと知ってる。

・・・僕は○○君みたいに、物知りな大人になりたかったんだ。」

って、その超絶なピアノ技巧と、スーパーコンピュータのような知性と、一度聞いたら忘れないような記憶力を持った天才から、そんな「物知りな大人になりたかった」と寂しげに言われた私は。 それをどう言葉にしたらいいんだろう。

自分より1000倍凄いと思ってた超天才が。
私の数千倍、物知りな博学の彼が。

「普通の大人になりたかった」って、60過ぎた人生の最後で寂しそうに私の前で、美味しそうにコーヒーを飲んでた、あの「ひとりぼっちの幼稚園児」が。

いたいけで
せつなげで
愛おしくて

人ってお互い”無いものねだり”なんだな。 でも、願っても全てを手に入れる事などできやしないんだよねぇ・・・。

見ちゃったんだもん。

ホロヴィッツのタッチを完全再現できたような腕前を持ち
今ならADHDとでも言われて理解する人も少しはあっただろうに
その時代に生まれる事もできず、
どこぞのトットちゃんみたいな人生を送り、
”幼稚園児”の男の子のまま
永遠のピーターパンの心を持ちながら
けれども、永遠の時を生きられず
天然の向こうに戻って行った真の天才を。

笑ったよ。 ホロヴィッツのタッチで、ベートーヴェンやショパンだの弾きこなした後で、リヒテルこんな感じだよね!とか、平気で色んなピアニストを再現した挙句。

「今、練習中だから待っててー」と、そのホロヴィッツのタッチで、あんな豪勢なアレンジのドレミの歌弾いてた君の姿。

君見たら、ホロヴィッツも逃げ出したよ。

もう、君のピアノ聞けないんだね。
もう他の奴のピアノなど・・・二度と聞けない。

あまりに拙すぎて。

彼の弾いた、あまりの技術の高度さに不釣り合いなまでの、とびきり楽しそうなドレミの歌に、一緒にいた兄弟子と僕が、別室で腹抱えて爆笑してしまったような驚きもユーモアも無い。

今、あの人がいたら、俺がYoutuberにしてやったのに!w

「僕のピアノ聞いてください。 」
ごめん、帰っていい?

本当に、もう、二度と会えないクラスの天才にあって、その人と共に過ごした十数年が会って。

おかしいなぁ。
話を聞いて、彼のピアノ聞いて、色々楽しく時を過ごしたら、普通の人のピアノ演奏、楽しもうにも楽しめなくなっちゃった!

どうしてくれるの!

だから、僕はピアノが嫌いということにする。

好きと言ったら、自分のピアノ聞いてくださいという人が群れなしてやって来て、自分のピアノ聞いてください、そして金払って僕を応援して下さい、と。

やだよ。そんなの。

自分だろうが、誰がどうあがこうが、あんなもの超える事が出来ない究極存在を見た以上、違いとかへったくれ以前に、あれを喪失した哀しみを超えられないままでいるのに。


かつて吉祥寺に、もか、という喫茶店があり。
焙煎の達人と言われた人がいた。

あなたは医者かなんかですか?というくらいに、真白な白衣に身を固め。
その横に同じようにピシッと立って、その姿を見つめる奥様がいた。

その方が亡くなってから。久しく時が経つ。

ある時、その方の想い出を集めた本を読み。その中で、奥様が、その名人の亡くなってからの事を語っておられた。

「彼が死んでから、コーヒーが飲めなくなってしまった。」

ああ、ここにも。
本当の天才に出逢って、共に時を過ごして。
もう、二度とそれを超えるものに出逢えずに苦悩する人がいた。

僕も、あのコーヒーを飲んだけど、大変なものだった。

違う魅力を京都に見つけ、その喪失をしばし忘れることができるようになるまで、10数年を必要とした。

・・・コーヒーを飲むたび、思い出す。
2人の天才の存在を。

かつての東京に花ひらいていた、遠い遠い、昔の想い出の中にいる。
あの熱かった日々と、それを見喪ってしまった苦みに満ちて。

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