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本棚は、昔から身近な存在だった。

先日、こういった呟きを見かけた。

何となく腑に落ちるところがあったので、自分の子ども時代を振り返ってみることにした。

小学生時代、自分が圧倒的に読むのは漫画本が多かった。
何故かというと、小学館の小学生向け月刊誌を長年読んでいたことも大きいが、それと同時に居間の一角にあった木造本棚に漫画単行本(「SLAM DUNK」などの少年誌作品)がいっぱい詰まっていたからだ。おそらく、父親が買い集めて読んでいたものだと思われる。
また、これとは別に、廊下には英語教材セットやまんが日本昔ばなしの冊子版コレクションが詰まった本棚があり、更に子供部屋(一部屋を姉妹で共有)には姉が買い集めた漫画単行本や雑誌などを収納しておく本棚があった。その頃、姉は少女漫画雑誌を読んでいた関係からCLAMPの作品(「魔法騎士レイアース」、「東京BABYLON」、「X」、など)を主に購入して読んでいた。
家の中にあったこれら3つの本棚から、自分は気の向くままに本を取り出しては気が済むまでひたすら読むことが多々あった。特にお気に入りだった作品は、読み終わってもまた最初から、といった具合に。
そしてその行動を、家族から咎められたりすることは一切なかった。

しばらくして引っ越しをする機会があり、家が広くなった。自分の個室がもらえたことにより、自分の本棚を持つことが出来るようになったのもこの頃だ。
小学校中〜高学年ぐらいになると、自分から「この本が欲しい」と言い出すようになったので、親から小遣いをもらっては大好きな漫画家さんの単行本や小説文庫本を買うようになった。自分の大好きな本の数々で本棚が少しづつ埋まっていく様子を見るのは、嬉しくもあり興奮する出来事だった。
一方、前の家で居間にあった木造本棚は別の用途に使うこととなったため、引っ越し後の居間に改めて本棚を置くことはなくなった。その代わり、ガラス製の変形ショーケースを置くことになったのだが、その一番下の段には両親のお気に入りの漫画単行本が入れられるようになった。父親のチョイスは「サラリーマン金太郎」、母親のチョイスは「キャンディ・キャンディ 愛蔵版」だった。休日や夕飯を食べ終わった後の空き時間で、自分はこれらの漫画を読んでいた記憶がある。
姉の部屋にあった本棚にも、確実に本が増えていった。商業誌もそうだが、姉はこの頃同人誌即売会へ足を伸ばすようにもなっていたので、所謂「薄い本」が部屋の中に少しづつ増えていたのは記憶に残っている。

その後、中学・高校と進んだ後も本を買っては読んで本棚へ詰め込んでいくようになったわけだが、こうやって振り返ってみると本棚が家にあるのが自分自身にとって当たり前だったんだなと改めて感じる。当時は意識もしなかったけれど、とても身近な存在だったんだな、と。
家族と言えど、お互いの趣味・嗜好はまるで違う。違うからこそ、家族で書店へ行った時に目に留まる本・手に取ってみる本・個人で購入する本だって、てんでバラバラ。そしてそれらが家の中の目につく場所に置かれていて、みんなが自由に手に取れる環境だったことも大きい。
辞書や百科事典の類などはほとんど置いてなかったけれど、自宅で漫画や小説の数々を興味の赴くまま読み耽ることが出来たという経験は、自分の中で周囲のヒト・モノ・コトを見渡すにあたっての大きな礎になったことは確かだと思う。
それぞれの本が持つ世界観に一人でどっぷり浸かれたことは、その後の人生を生きていく上で、そして更には創作活動をしていく上でも大切な土台になっている、と個人としては思えるのだ。

そんな自分は現在、本棚の更なる増設を目論みつつもやっぱり本を買ってきては小躍りする日々である。


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