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本の感想25『解剖学教室へようこそ』養老孟司

ことばをつける=解剖

おもしろい考え方だなと思ったのでまとめてみた。

ことばという「レッテル」を貼り付ける

モノには名前がついている。木は木。イヌはイヌ。家は家。誰が決めたかは分からないけど、ともかく誰かがそれぞれにこういう名前を付けた。

人はことばを使うようになってから、ありとあらゆるものに名前を付けまくった。つけないと不便だからか、安心できるからか。よく考えてみると、つけなくてもいいようなものにまで名前はついている。

月、宇宙、暗黒物質、などなど、このように世界中全てのものに、(その正体がたとえ不明でも)ともかく名前を付けていった。夜空で光っている、星よりも大きいアレ、あれは月。中身や内容はともかく。

こういうふうに、なんにでもことばというレッテルを貼ってしまう。こうすれば、世界をことばにすることができる。こうして、人は世界をことばで表す

ことばを使う=モノをバラバラにする

名前を付けるとは、実はモノを「切る事」である。意外に思うかもしれないけど、真理をついている。例えば、「頭」という名前を付ける。頭という名前を付けると、「頭でないところ」ができてしまう。ほら、この(名前をつけた)瞬間、体を切った!

「頭」という名前を付けると、そこで「境」ができてしまう。「境ができる」ということは、いままで切れていなかったものが切れる、ということにならないだろうか。

国境で考えてみよう。地面はずっと続いているのに、「中国」と「インド」という国ができると、「境」つまり国境ができる。つながっていたはずの地面が切れてしまった。

からだも国も、もともと自然につながっている。それを切ってしまうのはだれか?それが「ことば」である。名前である。(まあ、それをする恣意的な人間とも言える。)ことばができると、つながっているものが切れてしまう。ことばにはそういうおもしろい性質がある。

頭の中で考えたことは、外で実現される

上記のようなものが、解剖の始まりだ。なぜならことばの中、頭の中でまず切れてしまうから、実際に切ることになる。頭の中で「切れる」のと実際に切るのとは違うと思うかもしれないけど、そうではない。

「体の中に、胃という臓器があるはずだ」あるいは「この食べ物を消化するところを胃という名前の臓器にしよう。」こうすることで数ある臓器の中で「胃」が切り分けられ、誕生する。そして観察しよう、調べようということになる。

人間の性質としてのことば

赤ん坊は、生まれて間もなくは混沌としたカオスの世界を生きている。モノも人も境もない。言語を学習していくことによって、カオスの中に認識できる物質が生まれる。あれはママ。これはミルク。あれはパパ。こんな感じで認識する対象が増えていく。

人間が進化の頂点にいられる理由は間違いなくことばがあることが一要因としてある。生物が、モノを構成するミクロな物体が、細胞、素粒子が、生存に有利な生物を作り上げようと努力してきた末に生まれた、「ことば」。

まとめ、感想

・ことばは、モノを切る性質がある。
・人間は、頭の中で考えたことを、外に実現する癖がある。
・これを認識することで、解剖の始まりが分かる。

言葉がない世界を想像するとおもしろい。モノゴトを、イメージで理解、記憶していかなければいけなくなる。例えば食べ物を食べたとき、安全性、味(リピートしたいか?)とかを直感的に把握していく。

ことばとモノって、どっちが先かと言われると、モノが先にあるように感じる。当たり前だ!と怒られるかもしれない。しかし、仮に犬と猫の区別がつかない世界があったとしよう。その世界では、それら二つの生物をまとめて犬とよんでいる。でもあるとき誰か気づく。「あれ、何かたまにちっちゃくて違う動きをする奴がいるな。明らかに2タイプいるぞ!」

これによって、世間でこの2種類を分けようと、小さい方に猫と名付けることにする。するとあら不思議、この世に猫が誕生しましたとさ!こんな感じで、ことばがモノを在らしめるっていう考え方もおもしろいよね。




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