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SDGsについて

 近年、あちらこちらで目にするSDGs「持続可能な開発目標」。環境問題、飢餓や貧困、さまざまな問題を解決するための行動指針として発表され、2030年までの達成を目指している。しかし、疑問に思ったことはないだろうか。エコバッグやマイボトルを持つよう促され、実践してはいるものの、実際のところ効果はあるのか。問題は縮小しつつあるのか。この、実態を知らずして、あたかも環境に良い行動だと無批判に受け入れてしまっている状態を私は危惧する。  
 そもそも、環境問題が騒がれだしたのはいつ頃か。それは、世界で資本主義が導入され始めたことに由来すると、政治哲学者斎藤幸平氏は語る。そして、この資本主義が環境問題に拍車をかける要因であると主張する。
 今日に至るまで、日本を含めた多くの先進国は資本主義を導入してきた。そして、経済活動、成長や発展を一番に考えてきた。しかし、先進国が先進国であり続けられるのは犠牲となるグローバル・サウスのおかげであるらしい。中心部(先進国)はどんどん経済発展を加速する。そのために、周辺部(途上国)に、たくさんの木を伐採させ、限りある貴重な資源を搾取する。これによって周辺部は深刻な環境問題を被っている。つまり、私たち先進国は、途上国に様々な問題を転嫁してきたことで、先進国で居続けらてきた。それによって、先進国では、すぐには深刻な問題や課題に苛まれることはない。要は環境問題を不可視化してきたのだ。これによって、私たちは多くの問題を生み出している張本人だという当事者意識を無くし、経済活動に歯止めが効かなくなる。先進国はより一層経済成長に勤しむ。他方途上国では、木の大量伐採などによって深刻な環境問題、そこから生じる飢餓や貧困に苛まれている。こう考えると、飢餓や貧困は必ず環境問題とリンクしている。つまり、環境問題に熱心に取り組むことは、飢餓や貧困の問題に取り組むことでもある。
 しかし、途上国が先進国化、または先進国に押し付けられる負荷に耐えられなくなりつつあるなか、これ以上転嫁できない事態が起こっている。だから、いよいよ中心部でも、数年来に一度の〜、というような異常気象が何度も起こっている。もはや、環境問題を不可視化することはできないのだ。それに、途上国に労働を迫る大企業のトップが、その劣悪な労働環境、その国の抱える深刻な問題に気づいていない訳がない。けれど、それでも止めることはない。なぜか。それは、責任転嫁をすることこそ、先進国が先進国として威張り続けられる理由であり、そうして不可視化しないと、先進国としての威厳や裕福さが損なわれてしまうからだと、斎藤幸平氏の「人新世」の中に書き込みがあった。
 こうして先進国は弱者に転嫁をしてまでも経済の発展を優先してきた。そしてそれは今も続いている。それは、SDGsの目指すところが「環境問題改善」ではなく、「持続可能な"開発"」であることから伺える。今目を向けなければならない課題から目を背けさせ、あくまで経済成長は望み続ける、という人間の欲望が現れたようなものを進めても、目に見える効果が得られる筈がない。たとえ、SDGsがうまく働き、事態がやや緩和されて、いくらか"空き"ができたとしても、人々はそれを「経済成長の余地ができた」とのみ捉え、再び経済活動を推し進めて、また、多くの問題に帰着するのではないか。これでは、環境問題は慢性化し、いつまで経っても解決はできないだろう。
 私たちはマイバッグやマイボトルを持つ。しかし、今やメーカーは多くの種類や色を展開し、人々はそれらを必要以上に買い求める。それによって要らなくなったもの、気に入らなくなったものは廃棄するようになった。環境問題の改善のために始められたマイバッグやマイボトルの販売だが、危機をも経済のチャンスとする人々によって、環境問題という危機的な状況下でも適応できることがウリの、単なる経済活動に成り下がってしまった。つまり、人々はどうしても経済活動と結びつけてしまうクセがあるのではないか。だから我々は、もっぱら環境問題の改善を選ぶか、経済成長を選ぶか、どちらかを選ばなければならない。両方ともというような中途半端なものでは結局経済活動に結びつけてしまう。それでは真剣に環境問題に取り組もうとしている姿勢は感じられないし、実際それでは事足りない。
 決して、SDGsが悪とは考えない。確かに、何もしないよりかはいいかもしれない。けれど、それでは間に合わない。そして、国や大企業が言うから正しいものだと無批判に受け入れ、実態も把握せずに、なんとなく環境に良い気がするからという曖昧な理由で進めてはならない。それはSDGsに限ったことではなく、どんなものに対しても言える。内容はどうであれ、「これはこうだから、自分は正しいと思う」と芯を持って推し進められるようなモノを持つようになれれば、一歩前進ではないか。我々に求められていることは、さまざまな情報に対して、それは信じるに値するものなのかを自分で判断することではないか。環境問題はすでに起こっている。マイバッグを持つだけで、地球温暖化が改善され、貧困が改善され、飢餓が改善されるとは到底思えない。

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