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ステレオタイプがいかに恐ろしいものか

 ステレオタイプはこれからのグローバル社会においては弊害となり得る。異文化との共生が不可欠となるこれから、特に日本においては外国人に対して正しい認識をしなければならない。アメリカは、一部の人は、今でも日本にはサムライと相撲取りがたくさん居て、皆日常的にスシを食べているというイメージを持っている。一方で私たちはアメリカ人に対して、皆ラフでテキトーな格好をしてHIPHOPを好み、ファーストフードばかり食べているというイメージをもっている。ヨーロッパ人に対しては、落ち着いた雰囲気で服もキッチリとしたものばかり好み、冗談を言いながらお茶を啜っているイギリス人などを思い浮かべる。これらはどれもイメージでしかない。現代の日本にサムライがいるわけないし、多文化多民族国家のアメリカにおいて、ラフどころか服装は自分のアイデンティティを表すための大事なものであるにも関わらず。 
 このようにステレオタイプタイプは異文化理解を妨げ、事実を歪めてしまうものでしかない。このような誤ったイメージももちろん問題なのだが、これにさらに政治的な問題や、直接的な他文化に対する差別などに繋がる場合がもっと重要なのだ。いざステレオタイプを当てはめられたとき、拡大解釈されて迷惑な話だ、それは偏見以外の何ものでもないと言いたいかもしれない。しかし、なぜそう言われるか考え、自分たちはそれに反発できる立場にあるか考えてみて欲しい。
 かつてエコノミック・アニマルという言葉は、日本人を指す言葉として使われた。日本が経済進出をし、それが顕著になると日本人は経済的な行動しかしない人間だと捉えられたことに由来する。当時、このイメージに対して、とんだ迷惑だと感じた人もいるだろうし、今これを読んでそう思った人もいるに違いない。しかしイメージというものは、何らかの経験があって、それを基にして作られる。何もないところに偏見は生まれない。拡大解釈された誤ったイメージ作りの材料を、こちら側から提供してしまっていると考えざるを得ない。本末転倒でしかない。エコノミック・アニマルという言葉が生まれたのも、日本が当時行きすぎた経済優先のスタンスを取ってしまったからという正当な理由がある。だから、そう思われても仕方がないという部分が確かにある。しかし、一方で当然だが日本人全員がそういった思考を持つ訳ではない。そのような考えを持たない人にとっては不本意極まりない。
 しかし、いざされる側に回った時、実際されたら嫌な思いをする、あるいは皆が皆イメージ通りの人間ではないのだと身をもって分かるはずなにも関わらず、一方で日本人はいまだに、例えば、今となっては経済発展を遂げたという側面も持つインドという国に対して、何となく古いものと、衛生的によくないものばかりあるという一方的なイメージから「経済発展の遅れた国」と決めつけてしまう。あるいは普段自分たちの口にしないものを食べているからと、自分たちの文化の尺度をもってして、「中国は変なものばかり食べる」というように、他文化を評価してしまっているという点を見ると、今の日本はもしステレオタイプを当てはめられたとしても、それに対して「やめてくれ」と主張できる立場には決してない。
 自分たちがステレオタイプを当てはめられてしまったときは、感情的に反発するのではなく、そう言われる理由をきちんと考える。そして自分達は一方でそれに反発できる立場にあるか考える必要がある。こちら側から異文化に対してステレオタイプを当てはめた時には、その理由を疑うと、実はそれは根拠薄弱なものだとわかる。普段私たちは中華料理を口にするし、美味しいという感情も持つではないかと。日本で食べられる中華料理は我々の口に合うものばかりなのは当然だ。ここは日本なのだから。現地に日本にはない料理があるのは当たり前じゃないかと。
 ステレオタイプを当てはめてしまった時、一度考えみてほしい。そうすれば、自分が見た一面は、無数にある面の一部にしか過ぎないのに、その一面があたかもその国の文化全てを体現しているのだと思い込んでいたんだなと、そして同時にステレオタイプは恐ろしい錯覚を見せてくるものなのだなと気づくはずだ。ステレオタイプの恐ろしい点はなかなか気づくことが出来ないという点だ。例えば、先に上げたアメリカやヨーロッパに対するイメージについて、疑ったことがあるだろうか。そのようなイメージは誰かに教わることもなく、いつのまにか身についていた。つまり、日本人全体がそのようなイメージを彼らに対して持っており、そのような状況の中で育ったからなのではないだろうか。このように誤ったイメージは多くの人と共有する。みんなが思っていることを無批判に正しいとみなす。みんながそう思うなら自分もそう思おうと。みんなが思うことなら正しいと。実際そのつもりがなくとも、いつのまにか、自ずと周りの雰囲気に流されてしまってはいないだろうか。改めて言うが、ステレオタイプの恐ろしい点はそれがステレオタイプだと気付くのが難しいという点と、周りの雰囲気に流されてしまいやすいという点だ。しかし一度立ち止まって考えてみればわかることだが、これらに明確な理由などなく、全てはイメージでしかないのだ。

※本記事を書くにあたり、青木保氏の多文化世界、異文化理解を参考にしました。

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