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プロフィール的読み物 改

昭和の終わり頃に突如人間として東京に生を受け、シングルマザーの母と祖父母の家で暮らし2歳の頃後の父親となる男性を紹介される。
私が6歳になる頃2人は晴れて結婚。
素敵なファミリーライフのスタート‥となるはずが既に家計は火の車だったらしく生活はギリギリ。
にも関わらずあれよあれよで2人の妹と弟が生まれた。
欲しいものは手に入らず何かと言えば我慢しなさい我慢しなさいの決まり文句に子供ながらに諦めを覚えたのを記憶してる。

借金を返すためにお年玉貯金を使い込まれ、激怒したのは小学4年のこと。

この頃には父との折りの合わなさや、私の事で父に気を使う母との険悪さも感じるようになっていた。
それと同時に小学校では壮絶とまでは行かないイジメも経験した。

小学5年から17歳までは祖父母の家に逃げ帰りそこで暮らす様になる。
短期間実家に戻ってもすぐに家を出てしまっていた。

祖父母はただただ優しかった。
私を真っ直ぐ愛してくれた。

中学に入ると勉強、スポーツにと意気込んだ反面高校に行かせるお金がないと言われ一気に堕落した。仲間と遊び歩き、学校にもたまにしか行かなくなった。
そんな私も一応は受験と言うものをした。
唯一合格した高校には金銭的な事情で上がれず15歳から働く道を選んだ。
今思えば他にも方法はあったのではないかと思うけれど、あの頃の幼い私にはそんな知恵も利口さもなかった。
高校に行っていたら…なんて怠惰な妄想を今でもたまにしてしまう(笑)

とはいえ16歳の夏から、私は本格的に芸事を始め泣かず飛ばずながら舞台や歌などの活動をし出した。
某雑誌の巻頭スナップに掲載される事も度々だった。

17歳の春に事件は起こる。
祖父母の家には母の弟である叔父も同居していて彼が家を担保に莫大な借金を作り破産を余儀なくされた。
それを受け祖父母はボロアパートで生活保護を受けながらの余生暮らしとなった。
そして私は実家に戻る事となる。
ちなみにその叔父は現在行方不明で生死も不明。

そんな矢先両親の自己破産を知る。
その事ではさほどダメージはなかったけれど私が20歳になった頃両親から受験の重なる妹達の学資ローンを借りて欲しいと打診を受けた。
妹の為ならと思い月々の支払いは両親がしていく約束で私は引き受けた。
それがいつからか払われなくなり、当時それを知らずにいた私の元に膨大な請求が来てしまった。
私は芸事をしながら男性のお相手をする仕事をし返していたのだが連日の過労とストレスから身体が悲鳴をあげ退職を余儀なくされ自己破産をせざるを得なくなった。(もうすぐそれは明ける)

追い打ちをかける様に一年のうちに祖父母が続けて他界した。

手元に残った僅かなお金で一人暮らしを始め、芸事を邁進しようとしたが悪い事は重なり男性相手の仕事がバレて中規模のバッシングを受けた。
それでもしばらくは活動を続け成功する道筋も立ちそうな時に私を気に入らなかったのであろう身内から言われのないリークがあり更に尾ひれをつけてバッシングが再熱した。
戦う道も何事なかった様に居座る道も選べたのかもしれない。
何も悪いことはしていないし、何かを欺いて仕事をしていた訳じゃい!そんな反論もしていればよかったのかもしれない。
何より出来る事なら続けたかった。


だけど、私以外の人の人生の足を引っ張る事は出来ず
そっとその世界から消える事を選んだ。

私は今まで
この様な人生にコンプレックスを抱き負い目を感じてきた。沢山の人に迷惑や不義理も働いて来たのだと思う。
見せかけの威嚇の様な自信やプライド、飾り立てる事で華美な印象を与えて「そうじゃない」自分を演じてきたのだ。
なぜなら、人は理解できないものや異質なものを拒むから。
逆に羨望や脅威には迎合するからだ。
危うさを感じられるのが怖かった。
だから私が私を語る記事を書く事を最後の最後まで躊躇った。
私を知る人達が私に不安を抱いて欲しくはなかった。

でも気づいてしまった。
そんなもの始めから必要なかった。
ゲガをしないための保険は恐らく人生には必要だ。
ただ躓かないための保険は成長する機会、勇気を出すきっかけを妨害する。
私は過去でもなく未来でもなく今にしかいない事、そしてどんな人生をコーディネートされて誰が何を言おうと私の本当は私の中にしかない。
それを誰と分け合いたいかも決めるのは私自身だという事。
例え誰かが私の取るに足らない足跡を笑い、揶揄し後ろ指をさしたとしても、それをここから凌駕するのも他ならぬ私次第なのだと。
バックグラウンドが自分なのではなく、今ここに立っている私が自分なのだ。

私がなりたい自分は、今も昔も変わっていなかった。
世間を賑わす時代の寵児?
誰もが羨むスーパーセレブ?
それも魅力的かもね。
でもそんな形や実態を言語化出来るものは二の次でいい。

大事な人やものを守り抜ける自分。
この言葉だけ見ると厨二病みたいだけど、私は大切な人やもののためならなんでもやれてしまうのだ。
自分を卑下したり負い目を感じるより
私だから語れる事、私だから伝えられる事、
私だから出会い愛せる人達がいるのではないか。
持つべき自信があるのではないかと思い自らの解放の意味も込めて人生の途中で出遭った経験やヒントをしたためる事にした。

何も手に出来ず何者にもなれなかった人生と悲観した時期もあった。それは今でも小さなコンプレックスではあるけれど、芸事をしていく中で興味を持って得た美容やファッションの知識やスキルを美容ライターという形で活かす事が出来た。
そして違うフィールドで沢山の学び経験を経て、また新たな一歩を踏み出そうとしている…。

そして、新しいステージに行く為に現在は準備に奮闘している。

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