見出し画像

vol.6【総括】もう1年こだわって見えたものは、意外とシンプルだった

0.ターニングポイント

廉です。
久しぶりに書いてます。前回の更新が去年の10月。だいぶ経ったなぁ。
僕は、なにか決心したり発見があったりしたいわば「ターニングポイント」にものを書きがち。
今回も然り。割と大きめな節目を迎えたので、書きます。

就活が終わりました。嘘みたいに上手くいかず、もう一度就活すると決めたあの時から約1年。僕の個性や目標を受け入れてくれ、かつ僕自身も好きになれる会社で働く道を見つけることが出来ました。

これは、本当に嬉しいこと。もちろん内定という目に見える結果も嬉しいのだけど、それ以上に1年前の選択を正解に出来たことが何よりも嬉しい。こだわりを捨てないで良かったと思える。

同時に、この1年はいろいろな発見がありました。出会う度に「就活が終わったらNoteに書こう」とためてきました。今回はそのまとめ。

1.他人に頼る

就活で学んだことの1つ、それは「他人に頼る」ことの大切さ。何か挑戦するときに誰かの助けを求める。1年前の僕は、この一見簡単そうな行動がとてつもなく下手だった。就活の全てを一人で完結させ、面接でうちのめされることを繰り返していた。早い話が、就活をなめていた。

転機となったのは昨年の8月。大学で所属していた教育プログラムを通して、主に留学する日本人学生の支援をしている方(Sさん)を紹介して頂いた。そして、僕の就活はSさんのおかげで好転することになる。

Sさんに限らず、誰かに頼ることが就活でどう作用するか。それは「突き詰められること」。これに集約されると思う。後述するが、自分という人材を企業に理解してもらう上で、己を疑う作業は避けて通れない。なんでこの仕事がしたいんだろう?なんでこの会社?自分のどんな強みが活きる?……目にしただけで頭が痛くなるような疑問ばかりだが、これらを解消して筋の通った「論理」にしなければ、思いは絶対に伝わらない。中身のないエゴになる。

ここで、いわゆる「餅屋」に頼ることは思いがけない視点をもたらしてくれる。特にSさんは長年学生の就活支援に携わってこられた方。エントリーシートから面接まで、なんとなく、感覚で表現していた言葉も他人から見ると疑問に思うことがあると知った。まとめたものをSさんにぶつけ、フィードバックを頂き、ブラッシュアップする。そのサイクルを続けられるようになったことで、働くことへの思いはどんどん「突き詰め」られていった。

頼り方も大切だ。手当たり次第に助けを求めるのではなく、「この人の言うことなら間違いない」と信頼できる人を見極めることが重要だと思い知った。

Sさんの他にも、僕は何人か就活支援を依頼したことがあった。主に、大学の就活支援団体で活動する年の近い先輩と、企業の紹介から選考までをフルサポートしてくれるいわゆる「就活エージェント」の2つ。

しかし、この人たちには全幅の信頼を置けず、最終的にSさんと就活を進めることになった。前者は単純に、プロではない。フィードバックの内容を比較したとき、当然だがSさんに劣るものがあった。後者は「頼り方」を考えるべきだと思った。就活エージェントのビジネスは、学生の意向を叶えると同時に、依頼を受ける企業の思いにも答える必要がある。一度企業の紹介を依頼したときに、志望していた業界とは違うところを紹介されたこともあり、学生の思いが100%叶う仕組みではないのだなぁと感じた。ただ、特定の業界にこだわっていない人や、エントリーシートや面接の対策だけしたいという人にとっては十分強力なコネクションになると思う。少なくとも僕にとっては就活を進める上でSさん以上に頼れる人にはいなかった。色々な場面で「量」か「質」かの二元論が用いられるが、他人に頼る場面では絶対に「質」重視だ。

2.「衝動」から「理屈」へ


「衝動」を「理屈」へ。

僕の就活はこの言葉に集約されると言っても過言ではない。

印象的なエピソードがある。僕はYouTubeチャンネルの「THE FIRST TAKE」が好きで、出演しているアーティストにかかわらずよく視聴する。就活をリスタートして間もなかった去年、このチャンネルで1つの動画に出会った。乃木坂46の「きっかけ」という曲。

サビはこう始まる。

決心のきっかけは 理屈ではなくて
いつだってこの胸の衝動から始まる

この歌詞にはすごくシンパシーを感じるし、間違っているとは思わない。ただ初めて聞いたとき、どこか疑問のようなものが渦巻いた感情になった。その答えは、就活を進める中ではっきりと見えていった。

「衝動」だけじゃ戦えない。そう気づいた。

当時就活に苦戦していた僕だったが、根拠のない自信はあった。それは初期のNoteにも書いたイギリスでのサッカー観戦があったから。あのときの記憶がずっと脳内にこびりついていた。これ以上ない強烈な原体験であり、僕を支えるモチベーションだ。曲の歌詞を借りるなら、それが僕にとっての「衝動」。そこから生まれるギラギラした情熱やバイタリティでは誰にも負けない自負があった。

ただ、それだけでは上手くいかないのが就活だ。もっと言うと、その「衝動」を「理屈」に成長させない限り、せっかくのギラついた思いも誰からも理解されない。

これは就活に限らず、誰かを巻き込みながら実現したいことがあるときに必要なステップだと思う。人生を変えるような「衝動」は、イメージばかりが先行して案外モヤモヤしたまま放置されている。詳細を説明しようとすると「あれは強烈だったなぁ」とか「ほんとにすごかったんだよ」など曖昧な表現しか出てこないことがある。大切なのは、それを言語化して鮮明な「理屈」にすること。どんな点を気に入って、どういう理由で、何をしたいと感じたのか。ひとつの論理で貫かれるストーリーにしないと、人を動かすことは出来ない。

この、いわば「理屈への成長」は、普段の生活の中にも応用できる。

「このアーティストさん、他と違ってなんか好き!」を「理屈」に。
「同僚の〇〇さん、なんか嫌い……」を「理屈」に。
「あの映画、上手く説明できないけどやばかった!」を「理屈」に。

もちろん、全ての感情を理屈にする必要は無い。疲れる。形容しがたい曖昧な表現も時には武器になる。ただ、理屈にすることで新しい発見があることは間違いない。時には「なんとなく嫌いだったけど、よく考えてみたらそうでもないな」となることも。特に人間関係におけるマイナスな感情は、曖昧な状態だと本来必要の無い亀裂を生むこともある。日々の生活の中でも「理屈」は僕たちのマインドをちょっとだけクリアにしてくれる。

僕はよく周りから「理屈っぽい」と言われる。この性格は良い方向にも悪い方向にも作用するが、少なくともこの気づきを得た今は、自分の性格が好きだ。普段の生活を省みても「なんとなく」で片付けていることはかなりある。それらに目を向け、疑い、考えることで、時には自分を組み立てる重要なピースが見つかる。そうやって身の回りから世界が少しずつクリアに見えていくプロセスは、存外に心地よい。

3.先入観と向き合う

就活を通して成長できた点をもう一つ挙げるならば、「先入観と向き合う」ようになったこと。社会に出て働くことや就活に抱いていた先入観が自分の首を絞めていたことに気づき、それらと向き合おうともがくようになった。

働くことに対しては、今振り返るとどうしようもない先入観を抱いていた。特に就活を始めた大学3年生の頃は、会社員として働くことは「ネガティブな選択」だと思っていた。

責任転嫁するつもりはないが、その理由は育った環境にあると思っている。鹿児島で育った僕の父親は高校教師で、母親も元教師だ。両親の交友関係も、教師の方が多い。だから、両親の働き方が僕の中では「普通」だった。父は、朝起きて僕等と共に朝ご飯を食べ、自転車で出勤。19時頃には帰宅し、家族で晩ご飯。21時には布団に入っていた(最後に関しては父特有の生態だが)。

そんな生活に染まった人間からすると、特に都市圏で働く会社員の生態は異常だった。東京で初めて乗った満員電車は、この世のものとは思えなかった。立ちながらうつらうつらするスーツのおじさんもいた。東京に住む友人の話では、父親と一度も顔を合わせない日もあるとか。僕はどうしても会社員として働くことにポジティブな感情を持ち込めなかった。

その偏見とも言えるイメージを打破できたきっかけは、働く人の「本音」以外に他ならない。前述した悪いイメージを抱いていた僕だったが、なぜそこまでして働く人がいるのか単純に疑問だった。この1年は、ツテをたどって実際に働く人の生の声を取り込んだ期間でもあった。親戚、両親の教え子の方、大学の先輩など、色々な角度からアプローチしてお話を伺った。

結果分かったのは、僕が抱いていたイメージは単なる一面に過ぎないということ。確かにそれはそれで事実。働いていればそういう瞬間もある。だけど、働く人にはそれなりのポジティブな理由がある。夢や目標があったり、守りたいものがあったり、捨てられないプライドがあって、仕事をしている。そして、心の底から働くことを楽しんでいる人も少なからずいる。いま振り返ると当たり前のことかもしれないが、社会を斜めから切り取っていた僕にとって、その発見は本当に大きな収穫だった。

逆に、就活そのものに抱いていた先入観は、向き合った結果あまり変わらずに今に至る。僕は就活に「窮屈さ」を感じていた。特に、内定のために自分を取り繕うよう勧めてくる風潮は反吐が出るほど嫌いだった。書店の就活コーナーに行けば「内定の出るQA集」「人事にウケる自己PR」のような文言が並んでいる。YouTubeのおすすめに出てきた動画タイトルには「面接でこれ言ったらNG」と書いてあってすぐに閉じた。自分という素材を存分にPRする就活において、表現の幅を狭めるような手法が推奨されていることはどうしても受け入れがたかった。

就活を急かしてくるような目に見えない圧力も大嫌いだった。就活サイトからは「〇〇月までに内定がほしい方必見!」とメールが届き、ニュースでは定期的に「〇〇月時点での内定保有率〇〇%」と報道される。大切なのは「いつまでに」ではなく「どこの」会社と結ばれるかだ。そのことは認識していても、日々目に見えぬ圧力に触れることにストレスを感じていた。

そんな窮屈さに対抗するように掲げたテーマが「長い目で就活を捉える」ことだった。就活を通して入社するステップは、長い社会人人生におけるはじめの一歩に過ぎない。そこがゴールになってしまっては絶対あとから苦しくなる。だから、例えば自己分析をするときも「就活のため」というよりは、あくまでも自分を把握するために、そして把握したことを武器としてこの先ずっと操っていけるよう対策した。もう一度就活をしようと思ったときに変な自信があったのも、どこかで一歩引いて就活を捉えていたからだったのかもしれない。

(↑ 実際に自己分析で使用した本。具体的な対策は就活の成功を目的としたものと似ている部分もあるかもしれないが、「就活のため」という枕詞がなくなるだけでずいぶんと心が楽だった。)

もちろん、就活に感じているポジティブな側面もある。海外と比べて、学生のポテンシャルを重視する傾向にある日本の就活は、僕のような大した実績やスキルが無い学生にとってありがたい存在だ。社会に出る方法として利用しない手はない。それ以前に、世界で様々な境遇な人がいる中、ある程度自由に進路を模索できること自体、有り難い。だけどどうしても就活を好きになれない理由もあった。もっと学生が等身大で就活にのぞめるような、そんな温かみのある社会になってほしい。

4.シンプル

こうして1年を振り返ってみると、得た学びは意外とシンプルだった。

一人で出来ないことは誰かに助けを求める。
相手に伝えたいのなら、伝えるために考え抜くしかない。
先入観はあくまでも一面に過ぎず、他の側面もある。

仮にこの文章を10年後読み返したら「なに当然のこと言ってんだ」と思うのだろう。それくらいこの1年で得た気づきはあっけないほどにシンプルだ。ただその学びに、これまでプライドや固定概念でごまかして直視してこなかった事実に触れたこの1年は、この上なく尊い時間だったと断言できる。一度失敗した記憶を反面教師に、この学びは一生の財産になるだろう。喉が渇けば潤すように、あまりひねくれず自然体に構えていたほうが、物事が上手く進むこともあると知った。まだスタートラインにも立っていないが、少し丸くなった今ならこの先上手くやっていける気がする。そんな感情が芽生えただけで、僕は嬉しい。



P.S.

この1年が実りあるものになったのは、間違いなく周りの人のおかげです。Sさんをはじめリアルな声を聞かせて下さった大人の方々、何かと励ましてくれた家族や友人、全ての方にこの場を借りて感謝申し上げます。本当にありがとうございました。今回に限らずまたお話聞かせてください。

この記事が参加している募集

#就活体験記

11,842件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?