見出し画像

常夏 ケアンズホームステイ①

グレートバリアリーフで有名なオーストラリア・クイーンズランド州のリゾート地ケアンズ。12歳の頃、そこに14日間ホームステイした。ありがたいことに、両親は快く行かせてくれた。
当時の日記は無く、写真も数枚しかないが(ほぼ動物とのツーショット)心の奥底の記憶をここに明文化しておく。

初めての海外生活、ホストファミリーに甘やかされ満喫


真っ白に塗られた石造りの壁に、薄紫の屋根のおしゃれでかわいい平屋がしばしの我が家。ホストファミリーは、祖父母と孫娘の3人、ビル・ウェンディ・ジャスミン。ティーナという名前のイングリッシュグレイハウンドみたいな犬もいた。
親切な方達で、日本語は一切話せないため、英語とジェスチャーが頼み。ウェンディ以外は結構日焼けしていた。3月なのに。さすが常夏。

ヤシの木とサーファーの多い街


南国だから庭にヤシの木が生えてる。庭というか家の両脇にも後ろにも生えていた。
それにヤシの木は道に沿って等間隔に植えてあった。道はうす茶色の細かい砂利で舗装されていて、刈揃えられた青い芝生で覆われた低い丘の間をゆったり蛇行しながら伸びていた。ストリートはよく整備されていてゴミ一つ無かった。
で、3月でも天気は毎日青空。交通標識がたまに立ってたりすると、青、緑、茶の景色の中でその赤がよく映えた。

こういう風景を車の後部座席から眺めながら、あちこち遊びに連れて行ってもらっていた。基本的には車移動。(鉄道の駅は無いのか遠いのか、家の位置が正確に分からないので今となっては不明。)

大きなショッピングセンターに連れて行ってもらい、アイスクリームスタンドでカラフルなカップアイスを買ってもらう。
アイスクリームをすくったら、冷えた鉄板の上でこねて、マーブルチョコを混ぜてカップに盛り付けてドン!そうやって食べるアイスクリームは初めてで、面白&楽しかった。
日本でもアイスプレートのうえでチョコやグミなど何か混ぜて出すスタイルが流行ったが、それはこれより何年も後の話。当時の日本にこのスタイルで出すアイスクリームスタンドはなかったと思う。

それから、海にも行ったけど多分泳いでない。水着を着てピース!した写真はあるが、砂浜に立ったままだ。海岸近くに遊具のあちこちから水が出たり、バケツがひっくり返って頭上からザバーッ!!となる仕掛けが付いたでかいアスレチック広場があって、そこは中々楽しかった。ジャスミンの7歳のいとこと遊んだが、当時身長133センチの私とほぼ同じ背丈だった。

お祈りは十字を切ることだけマスター

キリスト教圏なので、宗教的な体験もあった。
まず日曜の教会のミサ。ミサに行く時のために、華美でなく清楚で露出の低い、ネイビーのワンピースを日本から持っていった。子供の私にとって別に面白くもないので、ミサ自体の記憶は無い。白く尖った教会と、ワンピースを着たことしか覚えてない。

それから毎晩の食事前のお祈り。いただきまーす!しようとすると、全員が目をつぶって黙って下を向く。彼らにとって当たり前過ぎて、「食べる前にはお祈りをするの」的な説明も特に無かった。つぶやくくらいの音量で祈りの言葉を唱えているがよく聞こえないし、分からない。最後に十字を切って「アーメン。」、終了。だんだん慣れてくると、一緒にうつむきながら上目遣いでタイミングを伺い、ラストの十字切ってアーメンだけ一緒にやっていた。

そしてシンプル食生活。肉食欧米人はビタミン足りてるのだろうか?

そうして食事を始めるが、わたしの滞在先のお宅は基本的にワンプレート。
例えば、1人分の丸皿に敷き詰めたタイ米(タイ米かインド米かは最早不明)の上に、焼いてバーベキューソースで味付けした薄切りの豚肉が何枚かのってる。それにプラスして横にコーラが置いてある。シンプルだけど美味しい!水分多めモチモチペタペタする日本米に慣れてるから、サラサラパサパサの細長いタイ米は見た目も口当たりも不思議だった。
またある時は、デカいお肉に少し付け合せのサラダ。そしてコーラ。小さな粒を拾う時は、フォークで刺したり掬ったりするのではなくて、ナイフでフォークの背の先に乗せるのだと教えてもらった。


(②に続く)




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?