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私もキリストとともに十字架につけられました

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。ガラ2:20

ヨハ19:30でキリストが十字架で『完了』されました。そしてキリストだけが十字架で死なれたのではなく『私もキリストとともに十字架につけられたのです』と言っています。

私たちがお墓に入ったとしたら、お墓の前に来て誰かが私の悪口を言ったとしても、何の関係もないではないでしょうか?

しかし問題は私たちはキリストとともに十字架につけられたと信じつつ、勝手に『復活』してしまいます。私自身を見ても、お墓から這い出してきて「ちょっと待って!どういうこと?」と言ってしまいます。

なので黙想の時間は、私は『キリストとともに十字架につけられた』状態になってみてください。

また悪魔が騙します。しかし私たちが死んだとしたら悪魔は死者を騙すことはできません。『十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に、あんなにはっきり示されたのに、だれがあなたがたを迷わせたのですか。』ガラ3:1

そしてなぜストレスを受けるのかというと、欲望や情欲があるからです。こうなって欲しいと思って、そうならないとストレスを受けるではないでしょうか?しかし『キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。』ガラ5:24 欲望もキリストとともに十字架につけられました。

そして世の中のことが私たちに影響を及ぼすではないでしょうか?「みんなこうしているのに…」しかし世界(世の中)も十字架につけたのです『しかし私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。』ガラ6:14

黙想の時間は、私とサタンと欲望と世界がキリストとともに十字架につけられたことを味わう時間です。

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