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頼りにされる人と利用される人


よく考えてみると

この2つの現象って似ている雰囲気

醸し出してるけど、中身をしっかりみると

全然違うんだよね🙂‍↕️


(きっかけは今朝のジャーナリング

ふと、「頼られる」と言う言葉に

違和感を感じて問いが生まれて考えた。

気づかずにこのまま過ごしていくと思ったら

ちょっとコワイわ🤣 ジャーナリングNICE!)




利用されていることを
「頼られている」と誤認していた


頼られる人って、なんか素敵〜と

思ってたんですよね。

だからか、利用されてることも

自分の中で正当化して

「頼られてる」と誤認していた。


頼まれた事に対して

嫌な感情が湧いていても

「頼られた(と誤認してる)」という事実が

嬉しかったから、嫌な感情を差し置いて

迷わず手助けする選択をしていた。




頼られる時にセットで持っておく事


"利用される"
"頼られる"

この2つの違いは、頼られる側が

判断力をもつこと。

至極当然の話をしているようだが

過去の私にその認識は残念ながらなかった。



頼られるのは嬉しいことだけど

自分の対応次第で、利用されることもにも

なり得る。


利用する側が悪い!は、もちろんなのだけど

受ける側も奥行きを持って判断する姿勢が必要。


だって、それで相手ばかり責めていても

自分が報われるわけじゃないでしょう?



その為には、頼み事をされた時に

まずは自分の感情を確認する。


いやだなあー(でも断れない)

なんでわたしなの?(私しかいなかったのかな)


話の内容があんまり見えてこないなあ(でも詳しく聞くのも面倒だからYESと言っておく)



こんな感じで湧いた感情に意識を向ける。

そしてその感情を元に判断する。

その結果、引き受けるでも断るでも

その時次第だけど

自分の感情を理解しないままGOするのは


明らかに不自然なので

(ロボットじゃないのよ私たちは🤖)

相手が誰でも、いつも判断するのは自分で

在りたい。


そう思ったのでした☺︎

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