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幼少期の経験はこれから先の分かち合いに使いたい。


先日、知り合いのblogを読んで

大きな気づきがありました☻



▫知らなかった一面。自己紹介では知り得ないこと


知人のblogは、これまでのご自身について書かれたもので

中には胸をえぐられるようなワードもあり

そんな過去があったのか…と

悲しさを覚えるとともに

こうして文字にすることは勇気がいったことだった

だろうな、と私の中で想像した。



普段、自己紹介をしたとしても

過去の経験を事細かに話すことはあまりないし

ましてや悲しい経験を真っ先に話すケースも

少ないように思う。



だからといって、その人が

辛い経験を乗り越えていないわけではない。

けど、知らないとわからない。



そんな時、ブログというのは

更に一歩踏み込んでその人を知れるから

やっぱり私は好きだ。



▫辛いマウント取りゲーム


で、ね。

今回そのブログを読んで感じたことがあったんだ。

それは過去のわたしは

辛いことを比べて、「私の方が辛いです!」という主張を

心の中でしていたということ。


何のメリットもない、”辛い方が勝ち”みたいな不幸ゲームを

繰り広げていたの(;・∀・)(;・∀・)


月初めの神社参拝に行ってきたよ⛩️



それって、なんでかな?と考えた時に

”小学校の同じ学年でそれを経験したの私だけ”という認識だった。

アトピーがひどく、クラスメイトにからかわれた経験からきてる。

同時に母は、病気を抱える弟の世話で手一杯。

私が学校で嫌な思いをしているとは言えなかった。



こんな状況で過ごしているのは

100人の中で私だけ。私だけがこんなつらい、、、

そう思ってたんですよね。

まあ実際、小学生の時なんて関わる人数も限られているし

SNSもなかったし、

視野が狭くなるのもしょうがないな、なんて

過去の自分をフォローしたくもなるけど…

その感覚を30歳過ぎても持ち続けていたことが問題!笑



小学生の時に抱いた、

”自分だけ” ”つらいと言えなかった記憶”

ここを自分の中で見て見ぬフリして

”私は大丈夫です”を装っていた。

なんて、悲しいかな。



▫寄り添うことが苦手だった


大丈夫というのは建前で、心の中はドロドロ。

職場や友人が辛い想いをしている時も

私は寄り添ってあげることができなかった。

”そんな事で泣かないで~
(私はもっとつらい思いしてる)”

そんな風に思っていた。



でも、この数年自分と向き合う中で

自分の過去の痛みを受け入れたら

誰かの痛みも受け入れることができるようになった。



そう、結局自分の想いを、自分がなかったことにして

フタをしていたから

誰かの気持ちに寄り添うことができなかったんだ。


今回の知人のblogはそれを気づかせてくれた。



▫皆、それぞれの線路を走っている


だれにでも、辛い経験、立ち直れない経験、

まだまだ人に言えるまでに昇華していないこと、

いま、まさにその渦中にいたり


本当皆、それぞれがそれぞれの人生を歩んでる。

そこに比較は一切必要がなくて。



ただ、自分の中でそんな経験を超えて

辛かったこと、人にもなかなか言えずに1人で戦ったこと

自分を守るために一生懸命毎日を送っていたこと

そんな自分を認めてあげると、

同じような人を見た時に、感情をわかちかえる。



同じ現象を経験していなくても、それを通して感じた感情や

葛藤を理解してあげることができる。

それが本来、自然なのではないかな。



”人と比べること”についてよく話題になるけど

それって、誰かのポジティブな面をみて起こることが

前提で取り上げられるけど、その反対も存在するのだ。


ポジティブでもネガティブでも、

同じ人生は1つもないのだから

比較ほど意味のないことはない。


▫痛みは温かさに変化できる


自分の中にあるどんな経験も、

分かち合える温かいものに使いたい。

そう認識させてくれた知人に感謝…!✧


そして、最後まで読んでくれたあなたにも感謝!✧

一緒に人生歩んでいこう(´ω`*)





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