映画『ゴジラ-1.0』再観賞〜リアルと虚構のあいだで…
2024年1月26日、『ゴジラ−1.0』の2度目の観賞に劇場に向かいました。約2ヶ月前にこの映画を初めて観たときには、確かにその迫力に圧倒され感動を覚えたことは間違いないのですが、その時は複数回観賞しようとは思いませんでした。ところが日を追うごとにじわじわと、主人公たちが演じる胸が熱くなる人間ドラマと、劇場の大きなスクリーンが地響きで破壊されるのではと思わせるほど怖ろしいゴジラの大迫力を、もう一度体感してみたいと思うようになりました。
この映画はハリウッド映画の本場アメリカを初め、カナダ、オーストラリア、イギリスなどで封切られるや海外の映画ファンたちから熱狂的な高い評価を得ています。海外の人たちにそこまで感銘を与えた理由は何なのか?日本人よりも外国人に受けた人間ドラマの妙とは一体何なのか?それをもう一度じっくりと吟味したくなり、いつものシネコンで予約しようと思ったのですが、公開から既に3ヶ月近く経っていたためか、その劇場ではもうレイトショーしか開催していませんでした。
そこで、しかたなく今回は職場近くの東宝シネマズまで足を伸ばすことに。夜の活動が苦手な私は無事に9:00AMの回を予約できました。普段の通勤と変わらない時間に家を出て、劇場入口へのエスカレーターを昇るや、いきなり係の人に入口前の若い男女の長蛇の列に並ぶよう指示されました😳まさか都心の映画館はこんなに並ぶのかと訝りながら列に並ぶと『この中に映画鑑賞のみのお客さまはいらっしゃいますか?』と挙手を求められました。慌てて進み出ると列を飛び越えて入場させてもらえました。確認したところこの大行列は、偶然この日発売のガンダム映画のグッズ購入の観客とのこと。昨今の映画業界の動員策の威力を目の当たりにしました。
〜以下、ネタバレ注意〜
同じ映画を複数回観賞するのは昨春公開の「シン・仮面ライダー」以来でしたが、「シン・仮面ライダー」の時はストーリーの展開の速さとその情報量の多さに一回で充分に咀嚼できなかったこともあり、観賞回数を重ねてやっと細部に至るまで味わうことができました。今回の「ゴジラ−1.0」は「シン・仮面ライダー」ほど込み入った物語ではないぶん、2回めの観賞では一つひとつのシーンや細かいセリフ回しの妙をじっくりと味わいながら、前回見落としていたラストの典子の首筋に這い上がる不気味な影までしっかりと確認することができました。
1回目観賞の時には主演の神木隆之介と浜辺美波の織りなす人間ドラマに目を奪われたものでしたが、今回はそんな中でも〝終わらない戦争〟に苦悩する神木隆之介の姿に往年のハリウッド映画「ランボー(原題: First Blood)」の主人公の苦悩が重なり、同じくハリウッド映画隆盛期の巨匠スティーブン・スピルバーグ監督の「ジュラシックパーク」や「ジョーズ」を彷彿とさせるオマージュ描写もしっかりと堪能できました。今作『GODZILLA MINUS ONE』がアメリカを初め世界で並外れた評価を得て、第96回アカデミー賞視覚効果部門に堂々とノミネートされた理由の一端を垣間見た思いでした。
この映画はゴジラ映画生誕70周年かつ30作品めという記念すべき作品ではあるのですが、国内での動員は前作の『シン・ゴジラ』の動員にまだ及んでいません。これまでのゴジラ映画にはなかったほどの「人間ドラマ」の充実が私の琴線に触れたことで、この映画は私の中では〝ゴジラ映画の最高傑作〟と呼べる名作なのですが、国内での評判が前作ほどでないことに忸怩たる思いを感じています。
ネットニュースでは『日本人には「現実(ニッポン)対虚構(ゴジラ)」と銘打ち、現実の日本政府の〝リアルを追求〟した「シン・ゴジラ」の方が「ゴジラ−1.0」の〝生きて抗う人間ドラマ〟よりも分かりやすく受け入れられた』という論評がありました。しかし、私には『シン・ゴジラ』公開後に、現実の世界を実際に襲った〝新型コロナ(Covid-19)〟という、どこまでが現実でどこからが虚構なのか理解不能で理不尽な地球規模の大惨事を体感してしまった現在、『シン・ゴジラ』で描かれていた緻密な取材に基づく日本政府の「リアル」など、もはや日米合作の壮大な虚構にしか見えなくなりました…
そんな中で今回の観賞でもやはり引き込まれてしまったのは、この物語の根底に流れる壮大な人間ドラマとそのテーマの奥深さでした。ちっぽけな人間などとても敵いそうにない強大な破壊力を有する怪物ゴジラを前にして、いまだ終わらぬ戦争を清算すべく果敢に立ち向かう民間人の姿は、かつての最新爆撃機B-29やヒロシマ・ナガサキを火の海にした圧倒的な破壊力を誇る敵国の原爆に、竹槍一本で哀れに立ち向かう戦時中の日本人とは似て非なる力強さと清々しさを覚えました。
そして何より、今作『ゴジラ−1.0』の根底に流れていた壮大なテーマには、現在の日本が置かれている現実の世界の中での「リアル」な立ち位置がオーバーラップして見えました。戦後80年近く経って米国の公文書開示などから漏れ伝わるようになり、ようやく垣間見えてきた真珠湾攻撃や東京裁判史観の「虚構」。他の戦勝国のように、国難においては自国の国益のために経済力をバックに軍事力を行使する準備の整った普通に自立した国家像の模索。ユーラシア大陸の東西に位置する島国の東の一角を担う海洋大国のシーパワーを視野に入れた新たな国家戦略…そんな分水嶺に呆然と佇む現在の我が国の現実にまで迫ろうとしているような壮大なテーマでした。
これには、前作での単なる超大国の傀儡政府を脱しきれなかった「現実(ニッポン)」を遥かに凌ぎ、未来へ繋がる「リアル」を突きつけられた地響き轟くような底知れぬ迫力がありました。ゴジラによって廃墟にされた街に降る原爆投下後さながらの〝黒い雨〟に打たれながら、愛する人を失った怒りに震える主人公の悲痛な叫び、そこには、戦時中に『国民を欺く情報統制がこの国のお家芸だ』『前線への兵站を怠った大本営により餓死や病死させられた日本軍』『挙句の果ては「特攻で玉砕して死んでこい」だと!』というセリフに見られる〝人間の命を粗末にしすぎた〟80年前の理不尽なやり方に対する国家への批判、大勢の臣民としてでなく、一人の人間として必死に〝抗いながら生きていく〟力強い姿…そんな魂の震えるような熱い血の通った人間力の描写に胸を打たれました゚・:,。☆
『ゴジラ−1.0〜GODZILLA MINUS ONE』は、本年3月に開催される〝自立した超大国〟アメリカ合衆国映画界のバベルの塔「アカデミー賞」の牙城の一角に、現実世界でリアルな爪痕を残すことができるのでしょうか、注目したいと思います…
(追記)『ゴジラ−1.0』再観賞の3日後には、早くも3回めの観賞に近くのシネコンに自転車を走らせていました😓こんな名作映画の国内での動員が海外に比べ伸びきれていないことへの歯痒さ、国内興収を少しでも前作に近づけたい〜私1人の観賞など何の足しにもならないのですが〜そんな思いで自転車を漕いでいました。今回は白黒版『ゴジラ−1.0/C』を観ようと上映予定を調べたところ、近くのシネコンではカラー版と白黒版を午前と午後で交互に上映しているようで、今回は通常版が午前で白黒版が午後でした。そこで3回目の観賞もカラー版となりました。
さすがに3回めともなると上映中に飽きるのかと危惧していましたが、笑える場面ではしっかりと笑え、泣ける場面はしっかりと泣け、感動の場面ではより深く大きな感動に襲われました。今回もやはり、駆逐艦「雪風」堀田艦長の『海神(わだつみ)作戦を開始する!』の号令とともに「ゴジラのテーマ」が音量アップし全員でゴジラに立ち向かっていくシーンでは、さまざまな感情が錯綜し鳥肌の立つような3度目の感動を覚えました…
やはり、胸を打つ文学作品や感動的な音楽など、多くの人々を魅了する芸術作品というものは、何度も何度も繰り返し味わうことのできるエンターテインメントです゚・:,。☆
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