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失われた文明〝左利き民族〟の謎〜レフティのすゝめ

現在、地球上の人類のおよそ9割が右利きと言われています。これに対して人類以外の動物はその殆どが左右両利きです。本来、四足性の動物にとっては前肢後肢とも左右の力の不均衡は適応性に不利に働きます。左右どちらも自在に均等に使えることが高い生存率に繋がるのです(人間も二刀流の宮本武蔵は強かった)。その点からすると利き手の発達は上肢(前肢)が自由に使えるようになった霊長類の特性と考えられます。

それでは霊長類にも人類のような左右の利き手の偏りはあるのでしょうか。国内外の研究機関(テキサス大学ウィリアム D ホプキンス教授/林原類人猿研究センターなど)によれば、野生や飼育下のチンパンジーの観察調査における利き手の左右差は、個体差としては確認できるものの種全体としては顕著な偏重は認められないようです。それでは何故人類だけがここまで顕著に右利き優位となったのでしょうか。

そこには人類がこれまで地球上で繰り返してきた、生き残りを賭けた民族闘争の歴史と関わりがあるのではないかと思うのです。つまり〝右利き民族〟が〝左利き民族〟を淘汰していった歴史があったのではないかと。キリスト教圏では悪魔はしばしば左利きとして描かれ「左手には悪魔が宿る」と言われたり、イスラム教やヒンズー教でも「左手は不浄の手」とされるなど、古来より支配層が民たちを支配するために不可分の関係にあった宗教の世界観において、左利きの禁忌が多く見られることからもそれは伺えます。

英語では左利きのことをサウスポー(South Paw)と侮蔑的に呼びますが(paw=獣の手)、これは寒冷化などで生存環境が厳しい北方に住む民族が、温暖で食料も豊富な南方(South)の土地に侵攻し民族を弾圧するための方便に使った呼称ではなかったでしょうか。その過程において、征服や迫害を怖れた〝左利き民族〟たちは、まるで中世の魔女狩りから逃れるように、敢えて民族の特徴である左利きを封印、右利きに矯正していったため左利きが激減したのではないでしょうか。

人類最古の文字(BC3100)としてウルク遺跡で発掘されたシュメール文字は、原初のものは右から左へ記す〝RTL(right-to-left)言語〟で縦書きでした(その後1世紀のちには左から右へと変化した)。当時は水で練った柔らかい粘土板に葦のペンで文字を刻みました。この動作を右手で行うと書いた文字の上に手を置かなければ左側に次の文字が書けません。書いた文字の上に手を置けば粘土板の文字は潰れます。この問題を解決し、書いた文字を潰さずに粘土板に右から左へ文字を書くためには左手で書くしかありません。

現代において横書きの文字を左から右へ記述する際、左利きの人の中には手首を巻き込むようにペンを持つ人がいます。一見不自然に見えるこの持ち方は書いた文字を手で隠さないためで、言わば粘土板に書いた文字を潰さない書き方です。このような持ち方を強いられるLTR言語は右手で記すのに適し、RTL言語は左手で記すのに適していると言えます。RTL言語と言えばヘブライ語、アラビア語、ペルシア語などですが、彼らの祖先はもともと左利き民族だったのではないでしょうか。

そういう意味において、縦書きの日本語を右から左へ〝改行する〟のも右手での筆記には不向きと言えます。小学生のころに硬筆で縦書文字の練習をすると、右手の小指球が汚れた経験があるのではないでしょうか。しかし、左利きの人が縦書きの練習で右から左へ改行しても、シュメールの粘土板の字が潰れないのと同じ原理で小指球は汚れません。かつて日本語の横書きは右から左へ記述していましたが、これは右から左へ〝一文字一文字改行した〟と考えると、日本に縦書き文字をもたらした民族の源流も左利き民族だったかもしれません。

同じ運筆でも左右が逆になるように、利き手の違いが関わっていたと思われる左右の違いは筆記だけではありません。キリスト教の十字の切り方は西方教会と東方教会で違います。カトリック主体の西方教会の様式では「額→胸→左肩→右肩」と十字を切りますが、東方教会では胸に下ろしたあとは「右肩→左肩」と左右が逆になります。

右手で東方教会様式で十字を切るには、横に切る際に右手を最初に右肩に持ってくるので窮屈な感じがし、さらに右手から遠い左肩に手を持っていって手を下ろすというのもチグハグな気がします。「右肩→左肩」に切るのなら左手で切った方が楽に自然な流れで手が下ろせます。本来東方教会の十字の切り方は左利き民族が左手で切ったから「右肩→左肩」になったのではないでしょうか。西方教会と東方教会の対立の原因も、その源流に右利き民族と左利き民族の抗争があったからかもしれません。

神社や神棚の注連縄の向きにも左右が逆の飾り方があります。多くの神社で注連縄は綯いはじめの太い方を右にして飾りますが、出雲大社系では太い方は左にします。その理由は「出雲では古代から上座と下座が逆だから」と言われますが、これでは何故逆なのかの説明になっていません。「大国主の怨霊を表に出さないため」というのもありますが、菅原道真の怨霊を封じた天満宮の注連縄は右から左です。結局、客観的な論証を基に理由を解明した研究者はいません。卑弥呼論争や本能寺の変もそうですが「歴史の謎」はいつも忖度と隠蔽の闇の中です。

伊勢地方の家々の玄関に一年中飾られるお正月飾り「蘇民将来家門符」の注連縄も太い方が左です。この玄関飾りは伊勢地方以外にも、京都の八坂神社(祇園社)、長野の諏訪地方、広島の備後などに伝わる「蘇民将来伝説」に由来する注連縄です。蘇民将来伝説は古代出雲王朝の歴史に深く関わる須佐之男命(徐福)にまつわる伝承です。太古の昔に出雲王国を建国した左利き民族たちが、大和、祇園、備後、諏訪まで広がった痕跡とも見て取れます。出雲の左利き民族たちは、飾る際に太くて重い方を利き手の左で持ったために太い方が左になったとは考えられないでしょうか。

左利きの著名人としては、鏡文字を使ったレオナルド・ダ・ヴィンチが有名ですが、そのほかにもアリストテレス、シーザー、アレキサンダー大王、ミケランジェロ、ナポレオン、モーツァルト、ベートーベン、ショパン、アインシュタイン、フォード、チャーチル、キュリー夫人、ヘレン・ケラー、ポール・マッカートニー、リンゴ・スター、スティーブ・ジョブズ、レディー・ガガなどがいます。

彼らの顔ぶれを見るに、一口に〝天才〟で片づけるには物足りないというか、発想や思考が生まれつき一般人のそれを超越しているという印象があります。彼らのようにある意味未来を見通すことができ、歴史を転換させる能力を持った天才たちがいたからこそ、人類の文明は飛躍的に進歩し、現代の我々もその恩恵に浴しています。弾圧された左利き民族とは、それほど卓越した能力を持っていたために時の権力者から迫害されたのかもしれません。

もし、本当にこの地球上にそのような〝左利き民族〟なるものが存在したとするならば、「失われた左利き文明の謎」に少しでも迫ってみたい…そんな妄想と憧れを抱いてからというもの、私は日常生活のさまざまな場面で意識的に左手を使うようになりました。

まず一番初めに取り組んだのが左手で箸を使うことでした。これは案外容易に身につきました。当初は力の入れ具合が分からず、樹脂コーティングの箸では蕎麦などが掴みづらく、滑りにくい割り箸に頼ったものでしたが、そのうち力加減が分かると箸先まで細やかに力を伝えられるようになり、右手同様に使えるようになりました。

現代文明の利器はほとんどが右利き仕様なので、左利きでは不便なことが多いことは想定していました。ハサミ、自動改札、マウス、カッター、缶切り、時計のリューズ、配膳される箸の向き、おかずと白米の位置関係…驚いたのは寿司パックに斜めに置かれた寿司が取りづらいこと。そのほかにも小さなテーブル付きの椅子でメモがとりづらい、左のドアノブを手前に開くと腕が邪魔で中へ入れない、横手型の急須でお茶を注ぐのは曲芸技…左利きの人たちの苦労が身に染みました。

今までいかに意識せずに利き手を頻繁に使っていたかにも気づかされました。スーパーで買い物をする際は、利き手で商品を取るためにカゴは無意識に利き手ではない腕にかけていました。同様にショルダーバッグを肩にかける時、小脇に物を挟む時も、利き手をフリーにするために無意識に利き手とは逆の肩に掛けたり脇に挟んでいました。

常に利き手を優先させるために頻繁に物を持ち替えていたことにも気づきました。利き手でない方の手は単なる支えや補佐として、あくまで副次的に使っていたのです。それはあたかも、主人(右手)が自分が自由に動きたいために、雑用や荷物運びを召使い(左手)に任せているかのような関係でしょうか。左利きをマスターするために、私はこの〝主従関係〟を解消し、左手で掴んだ物を敢えて右手に持ち替えることで右手にも雑用をさせる〝左右平等〟な手の使い方を心がけました。

また、手と同様に利き足、軸足というものも実感できました。階段昇降の踏み出し、スラックスや靴下を先に履く足、自転車をまたぐ脚と漕ぎ始める足、立て膝で立つ時や座る時に立てる脚、バスタブに入る時…無意識に利き足と軸足に役割分担させていることが分かりました。自転車のペダルは回転運動ですが、それすら利き足主体に漕いでいることも分かりました。

初めは地面に座った姿勢から逆の足を立膝にして立とうとすると力の入れどころが分からず上手く立てなかったり、ライブ会場でタオルを回す時には左手首の関節が固まったかのように円滑に回らず上手く回せなかったり、靴紐が幼稚園児並みに結べなかったり…もう何十年も副次的にしか使ってこなかった左手や左足の筋肉・関節がいつのまにか衰え錆び付いているようでした。

右手偏重の生活を改め、左手を意識して使うようにしながら、周囲の左利きの人たちにも取材したり観察しているうちに、腕の組み方、手を組む時の指の重ね方、胡座のかき方に至るまで、完全に一致はしないまでも、少なからず利き手や利き足と関連していることが分かりました。以降、私は意識して傾向的に左利きの人に多いやり方でするようにしています。

一つひとつの動作に意識を向けることで分かったのは、無意識に使っていたのは利き手、利き足にとどまらないということでした。望遠鏡や虫眼鏡を覗くときは右手で道具を持つために右目を多用していたのは分かるとしても、玄関のドアスコープを覗く時も無意識に右目を使っていたのには笑えました。利き手が利き目や利き耳にも影響するのでしょうか。以後、ドアスコープなどは意識的に左目を使うようにしています。人間という生き物は、絶えず意識して自分の立ち位置を確認していないと、知らぬ間に左右どちらかに偏るのかもしれません。

他愛のない妄想から始まった〝レフティ生活〟ですが、とにかく最終的には左手で文字が書けなければ左利きとは言えないので、文字の練習には精力的に取り組みました。最初は力が全く入らず、とても文字とは呼べないミミズの這ったような字でしたが、ハンドグリップで左手の握力を養いながら、コロナ禍のステイホームにかこつけて練習に励みました。練習ノート3冊目になったころには何とか文字として認識できるレベルになりました。あとは右手並みにサラサラとスピードを上げるべく取り組んでいます。

左利きに憧れて左右平等な生活に変えて約2年になりますが、残念ながらダ・ヴィンチやスティーブ・ジョブズのような奇想天外なアイデアは一向に浮かんできません。しかし、社会生活を営む上で今まで考えてもみなかった気づきが得られたことや、視野が広がったたことは左利き生活の効用だったと悦に入っています。どちらか一方に偏重することなく、バランスの取れた物の見方を身につけながら、本来四足性動物が持っていた環境への適応性を取り戻したいものです。

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