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あなたに、ここに、いてほしい~2024.5.30『室田渓人vsマスクドミステリー』~


はじめに

「今日、ガンバレ☆プロレスのイベントがやってるみたいなんだけど、俺、そのバーに行ったことがないんだ。」

2023.9.5、下北沢にあるバーで一杯だけ引っかけに行った夜に、偶然バーで出くわした知人から、このような告白を受けた。


知人と言っても、私より歳が一回りも上の先輩だ。

プロレスがキッカケで知り合った私達だけど、その知人と会う度に「こんなプロレスのカードがあったら面白くない!?」と言われることもしばしば。
でも、そのドリームカードが本当に実現したら面白そうな組み合わせだったから、毎回私も「うおおお!!」なんて声を漏らしていた。


この日もドリームカードのプランを知人から2つ発表されて、思わず私も唸ったのだけど、ふとしたタイミングで受けたのが冒頭の話になる。


正直、私は迷っていた。

この日、私の好きなアーティストが弾き語りのフリーライブをやると聞いて下北沢を訪れたのだが、ライブが終わった後で「流石にこれだけ見て、下北沢を後にするのも勿体無い」と思い、以前にも訪れていたバーに一杯だけ引っかけて帰ろうとしていたところに、知人が「イベントに行きたいけど、行ったことの無い場所なんだ」と話し始めたのだ。

しかも、知人が行ったことの無いバーは、私が何回か足を運んでいたバーだったのだから悩ましい。


でも、一拍置いた私の口から、無意識のうちにこの言葉が吐いて出た。

「俺、その店に行ったことあるんで、もしアレでしたら、一緒に行きませんか?」


本当に咄嗟だった。

でも、私の口からこの言葉が出たのは、「行こうか迷っている知人の背中を押したかった」とか、「『行きたい』と願う当人の強い関心が、『行ったことが無い』という理由だけで諦めてしまうのが勿体無い…!」とか、そういう気持ちが何処かにあったからなのかもしれない。

「えっ?いいの?」って驚かれたような気もするけれど、迷わず「行きましょう」と押し切っていたのは私の方だった。


気がつけば、知人と私は下北沢のバーを出て、そのイベントが行われている新宿三丁目のバーに向かおうとしていた。
時計の針は、まだ21時前後を指していたと思う。


「まだ時間もあるし、電車の方が安いですよ!」

私が知人に声をかけるも、知人は頑として譲らない。


「いいよいいよ!タクシーで行こうよ!」

バーの目の前にある道路でタクシーを捕まえた知人の熱意に根負けした私は、知人と共にタクシーへと乗りこんだ。


タクシーの車内では、プロレスの話ではなく、人生の話をした。
お互いに酔っていたけれど、知人は「色んな仕事があるけどさ、どの仕事も大事じゃん?」と語っていたり、知人の小学生時代にあった思い出だとか、私も私で「そういえば、年齢私より一回りも上なんですよね…?」なんて話も知人にしていた。

程なくして、タクシーは新宿三丁目の近くへと辿り着く。
コンビニで金を下ろす知人を待ち、バーに足を踏み入れると、そこにはガンバレ☆プロレスの選手達がいた。


傍から見ていても、知人はとても楽しそうだった。

『木高イサミvs YuuRi』戦が本当にスゴかったことをバーカウンターにいた御本人(YuuRi)の目の前で熱く語っていたり、「ガンプロは最高なんだよ!」と私にプレゼンしてきたり。
そんな知人の姿を見て、「イベント行きませんか?」と言って本当に良かったと思う私がいた。


イベントが終わり、バーの閉店時間になった頃、私と知人は偶然来ていた別の知人と共に行きつけの新宿ゴールデン街にあるバーに移動した。
知人は新宿ゴールデン街に溶けて、私はその後ろ姿を見送った後、帰路へと着いた。




知人が亡くなったと聞かされたのは、それから4日後の事だった。


その話を人伝に聞かされた瞬間、私の口から思わず「えっ?嘘ですよね?」という言葉が吐いて出たのは、自分でもハッキリと覚えている。

数日前まで一緒に笑顔で呑んでいた人が亡くなったというのだ。
これは何かの間違いだろう。


正式に死が公表されたのは2024年3月だったけれど、公式発表が出るまでの間、「どこかで生きてるんじゃないかな」という感情は消えなかった。
(何なら、今でもそうだ。)

時折、知人のSNSアカウントを更新されていないか覗きに行ったけれど、最後に知人と逢った日に行ったイベントのリツイートを最後に、アカウントの更新は止まっていた。


それでも、日常は動いていく。

マットプロレスが毎月のように開催されているARENA下北沢だけど、あの夜の思い出と、知人の不在という現実のコントラストに私はやられそうで、気がつけば、あの時から下北沢の地に行くことも出来ていなかった。


知人の死が公表されて間もなく、5月にARENA下北沢での『しもきたプロレス』開催が発表された。

3つのカードが組まれた中で、個人的に気になっていたのが『室田渓人vsマスクドミステリー』だった。


2017年末にプロレスデビューした室田は、元々舞台関係で知人と交流があり、そこからプロレスデビューに至ったのだという。
マスクドミステリーは、知人から室田の「プロレスをやってみたい」という相談を受けた選手で、その後『ガッツワールド』や『GOING-UP』で行動を共にするようになる。


誰が言ったわけではないけれど、このカードは知人のためにあった気がする。
知人の追悼という意味合いもある大会だからこそ、この組み合わせには運命みたいなものも私には感じられた。


『室田渓人vsマスクドミステリー』

盛り上がった『しもきたプロレス』1周年大会も、いよいよメインイベント。


室田が先に入場して、マスクドミステリーを迎え撃つ構図。


マットプロレスで、周囲のスペースも殆どない。その上、マットの周囲には選手を取り囲むようにして観客がいる。

この環境下で展開された攻防は、実にオーソドックスなものだった。
メイン前の試合が、爆竹と場外乱闘も織り混ぜながら展開されていたのに対して、メインはエルボー合戦とストレッチ技を軸にした内容。

それでも、観客は2人に声援という形で想いを乗せていく。


マスクドミステリーの必殺技であるチョークスラムを、普段ブランコを引っ掛けている吊り具に捕まって室田が回避したシーンには、思わず唸ってしまった。


それでも、最後はチョークスラムでマスクドミステリーが室田から勝利。
会場からは大きな拍手が贈られた。


「今まで師弟関係と見る人達もいたと思うけれど、もう師弟じゃなくて、今日から俺たちはライバルだ。」

試合後、マスクドミステリーが発した言葉は、こんな内容だったと記憶している。

「プロレスをやってみたい」と言った室田に、ミステリーが「観においで」と伝えたという、2016年9月のガッツワールド新宿FACE大会から約7年8ヶ月。
2人の関係は、遂にライバルという位置づけに昇華したのだ。


そして、室田も起き上がってマイクを握る。

室田は一度、心の病でプロレスから離れた時期もあったけれど、それでも復帰を信じて室田のカードを考えていたのが吉村公佑だったという。

この感謝を伝えるにも、伝えたい本人の不在。
溢れる涙を堪えながらも、室田は「これからも生きて、プロレス続けてやる!ざまあみろ!」と天に向かって叫んだ。


室田渓人という人は、どこか不器用で、芝居も演技派というよりは奥底にある感情を解き放つタイプだと私は思っていた。

ただ、この大会においては、どうしても湿っぽくなってしまいがちな雰囲気を、彼の音頭と明るさで楽しい方向に変えていく場面が、前説と締めのマイクでハッキリ感じ取れた。

それは間違いなく、室田が強くなった何よりの証だったのではないかと私は思うのだ。


でも、だからこそ、この強くなった室田の姿を見ていて欲しかったんだよ。
天からじゃなくて、直で。


まとめ

『しもきたプロレス』1周年大会は、試合そのものも、試合後の歓談も非常に素晴らしい内容だった。

だからこそ、室田が涙ぐみながら天に向かって「これからも生きてプロレスしてやる」と言ったり、大会後に「病気のことは恨んでいるけど大切な人や大切な場所を残して逝った吉村を俺はあの日から許していない。」という勝村周一朗の投稿が非常に重かった…。


私にとっても、「レンちゃん家に押しかけようかな?」なんて冗談もちょいちょい言ってくれるような、身近なプロレスファンの1人がいなくなってしまった。
その事が、私にとっては一番辛い事実なのだ。


去年、私の誕生日当日に偶然ARENA下北沢でマットプロレスが行われた後に、「誕生日だから」とアフターパーティーの時にドリンクまで奢って戴いたのに、何も返せてないよ、私。


何より、こんなにも人が集まって、笑顔の絶えない場の中心になるべき存在が、今回の大会に居なかった。
それが単純に悔しいなって。


私は今回の現実が受け入れられなくて、2023.9.5に吉村さんと逢った時から今回の『しもきたプロレス』まで、約半年間もARENA下北沢や下北沢の街に足を運ぶことが出来ていなかった。
この日、プロレス観戦で久々に訪れてみて、「本当に亡くなってしまったんだ」と痛感してしまった。額装された生前の写真なんか、特に。


「レンちゃん家の近く、○○(芸能人)が通ってる所をよく見かけるよ」なんて教えてもらったら、吉村さんが亡くなった後に本当に近所で見かけたこと。

この日の大会で、室田さんが湿っぽい雰囲気を明るいものに変えてみせた強さと逞しさ。

「こんなカード、面白そうじゃない?」って、いつもみたいに聞いてきてくれたこと。

そういう色々なことをさあ、吉村さんに直接伝えたり、伝えられたりしたかったんだよ。


正直、私よりも舞台とかガンプロとか深夜の酒場とかで関係性の深かった人たちは多くいるだろうし、「吉村さんの分まで生きる」とか「遺志を継ぐ」なんて私が言うのも、どうにも烏滸がましさが前に出る。

でも、これだけはハッキリ言える。
会いたいと思った人には、出来る限り会いに行った方が良い。

会いたいと思っても、時間、都合、金など、色々な要素が絡み合い、阻む事だってあるだろう。

そういう時に何を大事にしたら良いか?
理屈じゃなくて、何となく自分の直感なのかもしれないと、今回の一件で気付かされた。


直感なんて、「何となく自分がそう思ったから」くらいでも全然良いと思う。
現に、私がそうだった。

最後に吉村さんと逢ったARENA下北沢に行ったのも、吉村さんが好きな団体のイベントに行くかどうか迷っていたタイミングで誘ったのも、全て自分の直感だけで行動していた。

でも、イベントの話が出た時に「ああ、自分ちょっと、この後帰っちゃうんですよね…」と言って、帰ったかもしれない可能性だってあった。だから、本当に紙一重。
それでも、直感で行動しておいて良かったと今でも思っている。


ただ、素晴らしい大会だったけれど、その素晴らしさに対する感謝を一番に伝えなきゃいけない人がいない。これには流石に堪えた。
「色んな人が貴方に感謝を伝えていたんだよ」って。


だから、会いたい人には会って、良かったことは「良かった」って言って、楽しい時は「楽しい」って人に言う人生にしてやりますよ、私は。

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