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辻立ちを見て感じた、継続することの強さ

はじめに

つじ‐だち【×辻立ち】 の解説

1.道ばたに立って、物売りをしたり
遊女の道中を見物したりすること。
「―の薬売り、
兵法、物真似、曲手鞠 (きょくでまり) 、さまざまの芸を添へにして」〈浮・禁短気・三〉

2.政治家などがする街頭演説のこと。


我が町で何かしらの選挙が行われる際、投票日当日までの直近2週間は、候補者の選挙活動で街中がやたらと騒がしくなる。

候補者が人々に向けて自身への投票のお願いする様は、通勤時間帯、日中、帰宅ラッシュと様々なタイミングで見かける。
時には、仕事中にもかかわらず、けたたましく選挙カーを走らせる者もいるから厄介だ。


でも、そうした人々を見る度に実感させられる事がある。
【何かを定期的に継続し続ける人はスゴい】ということだ。


区議会選挙で感じた、辻立ちの重要性

私が今住んでいる街の最寄り駅には、毎週決まった曜日と時間帯に演説を行う区議会議員が何名かいる。

ただ立って通勤途中の人々に頭を下げ、「いってらっしゃいませ」と言う人もいれば、自らの主張を述べて人々に訴える人もいる。


彼らに共通して言えることは、選挙の時期に関係なく、毎回決まったタイミングで駅前に立ち続けた点だ。

ハッキリ言ってしまうと、定期的に辻立ちしている人と、私の政治的価値観は全くの真逆である。
それでも、毎週立ち続けている彼らの姿に、尊敬の念を抱かずにはいられない。


先日、区議会議員選挙の期日前投票に足を運んだ。

私が辻立ちしているのを見かけた候補者は4~5名程度だったのに対して、立看板に掲載された立候補者のポスターは60名にも及んだ。

駅の反対側とか、区内の別の駅とかを主戦場にしている候補者はいるのかもしれないけれど、それでも、これだけの候補者がいるのだと実感させられた。

同時に、今回の選挙前に初めて姿を見た候補者が多かった事にも納得がいった。
私が見ていない所や、いない時間帯に動いているのかも知れないけれど…。


辻立ちや演説は、SNS発信と似ている

辻立ちの光景を見ていると、何となく似ていると感じた事があった。
SNSの告知である。

私が好きなプロレスにおいても、発信の重要性とかは常々指摘されている。
今の選手は試合内容だけでなく、発信力も求められる時代になった。
試合内容が凄くても、それを人に見てもらえなければ繋がらない、シビアな世界…。

※この動画で語られている意見が、私としては一番しっくり来ました。


個人的に「発信はあくまでも手段の一つであって、目的ではない」と思っている。
目的にしてしまうと、当人が届いたと思っていても、実際はリーチしていない事例も見受けられたからだ。


とはいえ、選挙における辻立ちは重要だと言えよう。
何故ならば、実際に投票所に行ったときに、私の脳内で顔と名前と政党名が一致していた人は、習慣的に辻立ちしていた人だったから。

このアドバンテージは、付け焼き刃や知名度だけで築けない、立派な継続とは言えないだろうか?


まとめ

選挙活動期間中、街の人々に投票をお願いしてくる候補者は多い。
しかし、常日頃から街の人々に呼びかけている人は少ない。

主義主張は違えども、そういう事が出来る人は貴重。

そんな事を、最近感じるようになった…。
習慣と継続は、決して馬鹿にできないものだ。
(近くで選挙があった時は必ず行きましょう…!)


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(企画モノの投票と、政治の投票は似ている)


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