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【独白】写真は好きだけど、面倒くさい


はじめに

今回ここで書く内容は、最初から最後まで私に対する自問自答が主になる。

カッコつけた表現なら、【今の私が、私自身に向けた書いた手紙】。
雑な言い方なら、【人に自分の排泄行為やマスターベーションを披露する】といった具合だろうか。

なので、以下の文章に登場してくる【お前】という呼び方にしても、私以外の他人を指しているのではなく、全て筆者である私に向けられている。
まどろっこしい書き方ではあるけれど、この書き方が今回の内容を書いていく中でしっくり来たので、こうしてみた次第だ。


今回書く自問自答は、端的に言うと、こんな感じだ。

お前、最近写真を撮るのが嫌になってきたんだよな?



「この御写真、保存させていただいても宜しいですか?」

客席から撮ったプロレス会場の写真をSNSに投稿していると、たまにこのような事を他の人から訊かれることがあった。

この言葉を言われた時に、私は色々なことを考える。


「自分なんかが、そう言っていただけるのか」という恐縮と感謝の気持ち。

「そんなことをいちいち言わなくても済むような世界が、一番良いのにね…」という困惑にも似た気持ち。

大体はこの二つだ。


自分のプロフィールに【関係者以外転載禁止】と言うフレーズも入れてみたいところだが、残念ながら、自分にそのように名乗る程のスキルやテクニックはない。
だから、例え防御策の一環だとしても載せることに躊躇がある。

でも、載せていないことが、イコール転載フリーだと思われてしまうのも、それはそれで違和感がある。
(あくまでも、私個人の感想)

ただ、私の場合はスマホの壁紙に使いたいとか、こういうnoteや感想のイメージに使いたいとか、そういう感覚で撮っているので、正直あまりこだわりは無い。
(文章に挿絵があるとイメージしやすい感覚と似てる)

でも、勝手にパクられるのも、それはそれでモヤモヤする。
何とも勝手な感情だということは理解しているけれども。


無断転載するパターンに関しては、「パクりたいと思うくらい人に刺さった写真なんだね(白目)」という思いも出てくるのだが、一番行方を左右するのは「事前に一声があるかどうか」だと私は思う。
ペンを人に貸すシチュエーションに遭遇したとして、相手から「ペンを借りても良いですか?」と言われるか言われないかで、人が受ける印象は確実に変わるだろう。それと同じようなものだ。

でも、客席にいる私は、会場のルールの範囲内で、個人の趣味で撮らせて貰えている立場でしかない。
その条件で撮れた写真なのだ。その許可によって、撮っている側と撮られている側の立場が上だ下だという雰囲気が形成されてしまうことの方が、個人的には厭になってしまう。

でも、それは私個人のスタンスであって、他の人はまた違うスタンスがあるかもしれないということも付け加えたい。


究極は、SNSみたいな衆目に触れるところに写真を上げないのが平和なのだろう。自分しかデータを持っていないのだからね。
衆目に触れる場にさえ上げなければ、データが流出とかでもしない限り盗られることはないし、それが一番自分の心を乱されない。

けれど、撮ってしまったら皆の衆目に触れたいと思ってしまうジレンマ…。
この自己顕示欲は、一度でも写真で良いことが起きてしまったら最後、簡単に抑えることなど出来ない。
全く、勝手な感情ばかりではないか、私は…。

でも、そういう写真は元々、自分が好きだから撮っているのであって、誰かに観られればラッキーなんだろう。
(使っていただけたら超ラッキー、くらいの気持ち)

それなのに、私は何故、通知が行くようにして選手からの反応を得ている他者を異常なまでに羨ましく思ってしまうのだ?

「レスラーは、寝る時以外大体エゴサーチしてる」という関係者もいるくらいには、相手から見つけに行く確率が高そうなものという風に理解している。
何故エゴサーチの力を信じない?
そして、それで使われようが使われまいが、お前の人生は変わるのか?


私はそう言い聞かせながら平生を過ごしている。
そうした反応は、天使のわけまえのように儚く淡いものだからこそ、光り輝くものではないのか…?


面倒が、好きを遠ざけた

そんなことを考えているうちに、私はあることに気がついてしまった。

選手の写真を撮るのは好きだけど、写真ありきになると色々面倒くさいことを見聞きするようになるのだと…。


大体、お前は好きで客席から写真を撮っているのであって、「誰かに使われたい」と一分でも望みだしてしまうからいけないのだ。

コロナ禍前に、秋葉原で5万円くらいの中古カメラを買った時のことを思い出せ。
お前は「写真を誰かに評価されたい」という理由から、そのカメラを買ったのか?
「スマホとかパソコン用の壁紙がほしい」、「ブログ用に使う写真がほしい」という、自分にとって欲する理由があったから、カメラを買ったんじゃないのか?


購入当時に抱いた目的は、今現在と比べれば変化しているものではあるけれど、自分が楽しめていた時なんて、ルールを守りつつも外とか相手とかの存在を気にしていなかったではないか。

それが、今ではどうだ?
行きたい場所であったとしても、お前が苦手なタイプのカメラマンのいる所には足を踏み入れることが億劫になり、敬遠する有り様ではないか。

以前のお前ならば、そうしたことなど気にも留めなかっただろう。
別にお前は誰かに嫌なことを言われたり、されたりした訳でもない。そして、その選手や団体が嫌いという訳でもないはずだ。

なのに、何故遠ざかってしまう?
そんな被害者ぶる理由をかざすのは止めろ。お前に原因があるはずだから。


他者の指摘でしか気づけない自分

お前はスマートフォンやタブレット端末で試合の写真を撮らなくなってから、スマホやタブレットに比べて画質が明らかに良い写真データを手に入れて、noteやSNSで使うようになった。
それは大きな進歩だったけれど、そうしていくうちに、お前が気が付かないところで大事なものを失っていたことにも気付かされたはずだ。


あれは今年の初め頃か。
小学校か中学校で開催されたイベントプロレスの前に、出場するプロレスラー達が学校の教員や子供達を相手に腕相撲勝負をする機会があった。


この時のお前は、選手が腕相撲をする様子をカメラで撮って、特徴が分からぬよう教員や幼児だけスタンプで隠したりトリミングしたりしてSNSに上げようと考えていたね。
それは最低限の配慮だと思っていたから。


夢中になってその写真を撮っていたら、お前は近くにいた男性スタッフに声をかけられた。

「今撮られている写真、腕相撲のやつですか?」

確か、こんな内容だった。

お前はそれを認め、「投稿するなら教員や子供は絶対に映らないようにしていただけますか?」と男性スタッフに言われたな。
お前も当然そのつもりでいたから、疑われたことへの反発とか怒りは全く無かった。


この時、お前はハッキリ理解した。

それは、自分が楽しいと思って写真を撮っていても、シチュエーション等々が絡めば、他者からは変質者予備軍として声掛けの対象になるのだと。

だから、それに気付かせてくれた男性スタッフには、今でも感謝しかないんだ。
他人の指摘でしか、自分の振る舞いは分からないものだ。


カメコから嫌な目に遭ったという話も、お前が現場に通う事で出来たコミュニティの中で聞く機会は増えていったね。
お前も、そういう嫌な目に遭ったことが何度かあったと思う。

でも、お前が例え周囲に配慮して動いたのだとしても、その立ち回り方が誰かの迷惑になっている恐れは十分にある。
ファインダーに夢中になっているお前は、そのことに気付けていない可能性がゼロだと言い切れる自信が果たしてあるのか?
嫌な目に合わせている可能性は、お前にもあるんだぞ。


そうした周囲への振る舞いに失敗して、第三者が苦言を陰で呈している事例を見聞きした時に、お前は恐怖を覚えたよな。
「カメラにのめり込みすぎると、ああいう風に思われちゃうんだ」って。

極論かもしれないけれど、そういう振る舞いなんて、人から見てないようで見られているものだ。
これは他山の石でも、対岸の火事でもないんだよ。お前はそれを胸に刻め。


他人のスマホの記念写真で感じた事

自己肯定感を得る事は、人生にとって大事なことだ。

そして、カメラを使って写真を撮り、選手に通知が行く形で投稿して、反応が返ってきたり使われたりすれば、自己肯定感なんて驚くほど速く、しかも簡単に得られる。
少なくとも、お前はそう信じている。否定しながらも。

でも、今年に入ってからプロレスと関係ないライブハウスや飲みの場に出向いてみて、お前は観戦後に写真データを手持ちのスマートフォンに取り込む機会がめっきり減った。
お前にとってのワクワクと興奮が、カメラや写真で摂取していたところから、プロレスと言う共通の話題が無くても通じ合える関係性に移っていったからだよ。間違いなく。


とはいえ、数年間継続してきたプロレス観戦でのミラーレスカメラ持参のルーティーンを断つ事は未だ難しい。
そんなジレンマを抱えながら、お前はまたプロレス観戦に向かい続けるのだろう。


でも、最近お前は実感した事があるな。

選手を客席から撮るより、他人から「写真撮ってもらっていいですか?」と言われて、他人のスマートフォンで写真を撮る瞬間。
最近、この方がお前も幸せを感じているんじゃないのか?

お前には自分の表情が見れないし、私にもその表情は分からない。でも、確信はある。
プロレス会場で写真を撮っている時より、人の為に記念写真を撮る時の方が、きっと良い顔してるんじゃないかなって。


そう思えた時に、お前は写真を撮る上で一番大事にしたいと思う目標が定まったと思う。
自分のフォルダに残らないけど、人のフォルダに思い出として残るスマートフォンの写真。

そこに承認欲求や自己顕示欲は無いし、バズることもないけれど、そういうものに縛られていない状態。
そういうマインドで写真を撮っている方が、お前の性に合っているだろうし、何より一番楽しめているんだと思うよ。


事実、お前は手持ちのミラーレスカメラを10日以上も使わず過ごしてみて、特段自分の人生に不調と言うべきものは生じなかっただろ?

その距離感を忘れず大事にしていくんだよ、これからもずっと。

(自問自答・完)


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