A win is a win~2024.12.9『杉浦透vs菊田一美』~
はじめに
2024.12.9大日本プロレス後楽園ホール大会。
メインイベントで行われた、プロレスリングFREEDOMS管轄のKING of FREEDOM WORLD CHAMPIONSHIP戦・『杉浦透vs菊田一美』の一戦は、レフェリーストップにより菊田一美が勝利。
第22代の新王者が誕生した。
プロレスラーキャリア9年半で掴んだ、自身初のシングル王座。
しかし、記念撮影に応じる新王者の表情に、笑顔や歓喜の様子は皆無だった…。
シングルベルトを客前に掲げたり、自らの腰に巻いたりせず、それどころか、リングを降りる際には下を向きながら咆哮する新王者。
その姿は、客席から見ていて胸を締め付けられるものがあった。
タイトルマッチの勝者が、これほどまで険しい表情でリングを後にした光景は、私がプロレス観戦した中でもあまり記憶にない。
ましてや、新王者が誕生したという、非常に喜ばしい出来事なのに…。
この試合を見たことについて私が語る時、色々な感情が浮かんできてしまう。そうした気持ちを整理するように、私は拙いながらも今回の記事を書いている。
でも、この試合で語りたいことは多いけれど、まとめに載せるよりも先に私が伝えたかったことがある。
菊田一美選手、シングル王座戴冠おめでとう…!
日本2大デスマッチ団体の対抗戦と、"ニュートラルなレフェリー"
今回、私が『杉浦透vs菊田一美』の試合を観に行こうと思ったキッカケは、プロレスリングFREEDOMSの王座戦が、大日本プロレスで行われるというシチュエーションに刺激を感じたからだった。
大日本プロレスと、プロレスリングFREEDOMS。
両団体は年数こそ違えど、日本国内のデスマッチを牽引する上でライバル関係にあった。
近年も相互交流が限定的に続いていた両団体であったが、2024年秋に事件が起きる。
2024.11.13FREEDOMS後楽園ホール大会の終了後、突如現れた菊田一美の奇襲を受けた杉浦透は、自身の保持するFREEDOMSのシングル王座防衛戦を他団体の大日本プロレスで行うと宣言したのである。
海外なら未だしも、国内他団体でFREEDOMSのタイトルを懸けるシチュエーションに、私は興味を惹かれた。
戦前、杉浦は大日本プロレスにあることを要求した。
それは、【今回の王座戦を裁くレフェリーを、大日本プロレス所属以外が裁く】ことだった。
この試合でレフェリーを務めることになったのは、大日本プロレスOBで、現在はFREEDOMSやスターダムなど各団体で試合を裁くバーブ佐々木。
私がバーブ佐々木レフェリーに対して抱く印象は、【試合が重要な局面であっても、選手の安全を第一に優先する躊躇の無いレフェリング】だ。
負傷した選手の異変を察知したら、例えメインイベントのタイトル戦であっても、大会の注目カードであっても即座に試合を止める。
他のレフェリーがダメという訳では決して無いし、こうした姿勢自体レフェリーが備えていないといけないのは当然かもしれない。
ただ、この躊躇の無さこそが、試合中の選手の安全を確保し、バーブ佐々木レフェリーに対する信頼感を強めていることは間違いない。
直近の事例だと、2024.6.23アイスリボン後楽園ホール大会で行われた『岩谷麻優vs藤本つかさ』のIWGP女子王座戦が思い出される。
試合中、藤本の右腕の異変に気付いたバーブ佐々木レフェリーは、試合を続ける彼女を止めて、試合を終わらせたのだ。
注目の一戦が突然決着を迎えたことに、会場中は騒然となったものの、試合後に藤本の負傷が発覚。藤本も「もしあのまま試合続行してたら、私の右腕は粉々になっていたかもしれません。」と語るほど、彼の裁定に対する信頼感は選手からも評価を受けている。
絶対的信頼感を得たニュートラルな立場のレフェリーを起用したことで、合意が為された『杉浦vs菊田』。
ただ、試合前会見で交わされた杉浦の要望が、今回のKFC王座戦における重要な判断に繋がることになるとは、私自身予想も出来なかった…。
『杉浦透vs菊田一美』
大日本プロレスのホームリングで、大日本プロレス所属のレスラーがライバル団体・FREEDOMSの最高峰王座に挑戦する展開。
リングマットは大日本プロレスで、リングコールも熊川悠司リングアナが務めたものの、コーナー2ヶ所に設置されたガラスボードと、バーブ佐々木レフェリーが立つ空間は、普段の大日本プロレスとは明らかに違う雰囲気を形成していた。
それは、菊田が記者会見でも触れていた【ガラスボード=FREEDOMS】という代名詞的要素も大きかったのかもしれない。
先に入場した挑戦者の菊田は、正面側に向けて【大日魂】のタオルを掲げた。
大日本プロレス所属の選手が他団体に参戦する際、関本大介やアブドーラ小林といった看板選手であっても、大日本プロレスのテーマ曲を用いたり、大日のジャージやシャツを着用して入場することがある。
だが、今回ホームリングでタオルを掲げた菊田を見て、私はメインイベントが対抗戦であることを改めて理解した。
そして、後入場の王者・杉浦透には、ブーイングではなく声援が飛んだ。
外敵でありながら、会場のファンのハートを刺す存在感…。
王座戦前の記念撮影とリング内コールを終えて、自身の赤コーナーに向かう杉浦。
このタイミングで一瞬向けられた杉浦の背を、すかさず菊田が蛍光灯の束で急襲する。
客席から起こるどよめきの中、挑戦者が仕掛ける形でスタートした王座戦。
自身のホームリングとはいえ、挑戦者の立場から先手を取っていく菊田に対し、会場も序盤から盛り上がる。
ただ、一度でも隙を見せたら最後、その先手は一気にひっくり返されてしまいそうな不気味さも杉浦からは感じられた。
先手を取って攻める流れが止むと、攻撃を耐え抜いた側が反攻する光景は、私自身プロレスで何度となく見てきたけれど、その流れはこの試合でも訪れる。
ガラスボード付近の攻防で杉浦が菊田をキャッチすると、1枚目のガラスボードに菊田をクラッシュ。
流れが一気に杉浦へと傾くと、ここからは彼の独壇場に突入していく。
アウェイの舞台に乗り込みながら、会場の歓声を一身に浴びて、自らのホームへと変えてしまう杉浦の姿を見て、ただただ私は圧倒されるばかり。
私がFREEDOMSの大会を見に行く機会は年1~2回程度だけれども、そこで組まれる王座戦で、杉浦が団体のエース格に上り詰めていることは試合内容を通じて認識していた。
でも、他団体のリングで場の空気を支配し、観客を引き込む領域にまで到達していたとは…。
個人的に、今現在の日本人デスマッチファイターでも圧倒的カリスマ性を有する選手として、葛西純や竹田誠志の存在が想起できるけれど、私の眼前には、その2人に肩を並べようとしている杉浦の姿があった。
外敵という立場でありながら参戦先の空気を支配する杉浦透の姿に、NOAHマットで中嶋勝彦と対峙した時の宮原健斗(全日本プロレス)が重なって見えた。
アウェイであっても人を惹きつける表情、一挙手一投足、オーラ、全てが一級品。
コーナーに相手を詰めてからの蛍光灯攻撃合戦でも、菊田との差を見せつける。
キャリアの年数やデスマッチの場数、そうした経験値だけでは測れない攻撃強度の違いは、シンプルな攻防にも反映されていた。
菊田にとって勝ち筋が掴めない展開が続く中、ようやく菊田に反撃の機会が訪れる。
杉浦の攻撃を切り返すと、杉浦が持ち出した蛍光灯にミドルキック。
コーナーに追い詰めてからの掌底。
蛍光灯をセットしてからのドロップキック。
パイプ椅子をセットしてからのダイビングフットスタンプ。
杉浦はカウント2で返したものの、試合の流れは菊田の下に戻ってきた。
すると、バーブ佐々木レフェリーが杉浦の首元をチェックする。
杉浦の胸元には多くの血が流れていたものの、自力では立てている状態…。
しかし程なくして、バーブ佐々木レフェリーは試合を止めるよう本部席に向けて宣告した。
どよめく場内と、熊川リングアナのアナウンスを聞いて、私は戦前に杉浦が要求していた事を思い出した。
杉浦が要望したニュートラルな立場のレフェリーである、バーブ佐々木レフェリーが下した判断が、結果的に杉浦の命を救う事になったのかもしれない、と…。
対抗戦でベルトを落としたというショックよりも、ここで試合を止めた事で、杉浦と菊田のネクストを観客も安心して見れるのだという、絶対的感謝の念。
こればかりは、誰も悪くない…。
選手、観客、関係者の本気を垣間見たメインイベント後
僅か10分足らずで終わった試合に、会場中は騒然とした雰囲気に包まれていた。
レフェリーストップにより敗れた杉浦は首元をタオルで止血されてはいるものの、自力で立つことは出来ている。
そして、勝った菊田の表情は険しいままで、笑顔は一切見られない。
重々しい空気を切り裂くように、西側の観客席にいた大日本プロレスのTシャツを身に着けた観客が、ある一言を叫んだ。
彼の言動は、対抗戦で大日本が勝った事を誇示するものではなく、起きてしまった結果に対する事実を自らに言い聞かせるような、そんなトーンに私は聞こえた。
その後、客席から起こる菊田に向けた拍手。
ただ、杉浦も菊田も起きてしまった結末に納得がいかない様子で、すぐさま再戦を要求した。
観客達も「もう一回やろう!」と前向きな言葉を発する。
杉浦はタオルを首に巻かれた状態でも、リングのコーナートップに上がって飛び降りるなど、問題ない様子をアピールしていた。
とても、レフェリーストップを受けた直後の選手とは思えない。
「ちゃんと怪我を治してから来い」という菊田の言葉も振り切り、杉浦は早期にリマッチを組むよう大日本プロレス側に要求する。
すると、程なくして男性が杉浦を一喝した。
他の選手が発したのか…?
それとも、当事者同士のやり取りにヒートアップした観客が発したのか…?
声の主はすぐに判明した。大日本プロレスの登坂栄児社長である。
私の近くに座っていた観客が、慄きながら声を漏らした。
後楽園ホール大会の前説など、客席に向けて笑顔を見せる事の多い登坂社長の表情から笑顔が消えている…。
「ちゃんと怪我を治してから来い」という登坂社長の一喝は、はやる気持ちを抑えきれない杉浦を制止する意味合いも強かったように思う。
ちゃんと怪我が治れば、必ず再戦の時は来る。ただ、早期に『杉浦vs菊田』の再戦を決めるより、万全の状態で闘う方が絶対に望ましい。
この日、躊躇なく試合を止めたバーブ佐々木レフェリーの判断、「勝ちは勝ちだ」と発した観客の一言、「もう一回やろう」という杉浦や観客の反応、「ちゃんと怪我を治してから来い」と杉浦に言った菊田や登坂社長の思い。
メイン後に起きた全ての光景と、選手や観客、運営の発した本気の感情の数々に、私の魂は震えるばかりであった…。
「命があれば、ベルトは取り返せる」という判断
命は失われたら最後、取り返すことが出来ない。
けれど、命があれば、失われたベルトを取り返すチャンスはある。
バーブ佐々木レフェリーの裁定を見て、私はこんなことを思った。
今回の試合に対して「両方のファンがガッカリしている」なんて意見も見かけたけれど、命が失われる可能性を考えた時に、私はそのような感情など出てこなかった。
あの日のメイン後の雰囲気で両者の再戦を望む観客は多くても、「試合を止めずに続けてほしかった」という裁定へのガッカリ感は皆無だったと信じたい。
何故ならば、観客からは菊田にも杉浦にも拍手が送られて、「もう一回やろう!」という前向きな声が多く飛んでいたのだから。
つい先日も、Sareeeが高橋奈七永に放った裏投げが危険か否かという論争が起きたばかりだけれども、本当に現地でそういう機会に出くわした時、観客は当該選手の無事を祈る事しか出来ないのだとも改めて思った。
危険か否かについて声高に叫ぶ人ほど、試合を現地や配信で見ていないし、脊髄反射的に断罪してくる。
2022年4月の『杉浦貴vs大谷晋二郎』戦とか、裏投げ騒動とかで痛感したけれど、当該選手の無事よりも、真っ先に技が危険だと糾弾する意見が出てくることの方が、私は危険だと思う。
そして、「毅然とした判断で試合を止められるレフェリーがいるからこそ、選手達は全力を尽くせるのだろう」ということも、今回の件に関する選手の反応で理解できた。
そうした点で、レフェリーと選手は一心同体なのかもしれない…。
まとめ
第22代KING of FREEDOM WORLD選手権王者・菊田一美。
9分31秒で導かれた今回の結末は、きっと皆が想像していた結末では無かったと思う。
でも、この結果に悔しさを抱いているのは、他ならぬ杉浦と菊田かもしれない。
だから私は、今回の記事を書くにあたって【アクシデント】というワードは極力使わないように意識した。
何故ならば、その言葉を使った瞬間に、菊田が成し得た王座戴冠という事実すらも否定する事になってしまいそうだったから。
だからこそ、デスマッチの世界に生きる関係者が「レフェリーの判断が絶対」と口にしていた姿に、私は救われるものがあった。
29歳でプロレスデビューを果たした菊田は、同期の宇藤純久(オルカ宇藤)に先を行かれる期間が長く、河上隆一とのタッグでアジアタッグ王座やBJW認定タッグ王座などを獲得するも、河上の退団でタッグ解消。
その後、2023年3月にデスマッチデビューを果たすも、『青函タッグ』を結成していた後輩の石川勇希が2024年8月に現役引退と、決して平坦な道のりを歩んできた訳では無かった。
そんなシングル王座未戴冠だった苦労人による、悲願のシングル王座戴冠。
メインの結果に騒然とする雰囲気の中でも「勝ちは勝ちだ!」と言い切り、バックステージでも「逃げも隠れもしねえよコノヤロー。対抗戦だよコノヤロー。ぬるいこと言ってらんねえぞ、こっちは。どんな相手が来ても、杉浦透だろうがFREEDOMSだろうが、俺が大日魂見せて必ず勝つ。」と宣言する菊田の姿は、立派なシングル王者の振る舞いそのものだった。
この再戦が果たされる機会があるのならば、私は是非観に行きたいと思った。
今大会自体が非常に素晴らしい内容だったし、翌日には大日本プロレスの大会チケットを2枚も買ってしまうほど私は感動した。それはもう、メインの『杉浦透vs菊田一美』と、メイン後のやり取りに他ならない。
まさしくこれは、ハートに刺さる一撃でした…!