事件は現場で起きている~2024.8.21『GLEAT』無配信興行で感じた"三現主義"~
はじめに
2024.8.21、GLEAT後楽園ホール大会。
この日の後楽園ホール大会では、ある試みが話題を集めた。
それは、GLEATの通常興行で実施している【後日配信も含めた動画配信】を一切行わない、無配信形式のハウスショーだったからだ。
過去に横浜ラジアントホールや関西でも開催実績のあるGLEATハウスショーだが、都内で行われたのは今回が恐らく初めて。
しかも、会場規模は過去の2大会に比べて一番大きい。
毎大会、生配信ないし後日配信で必ず映像を出してきたGLEATが行った、配信が当たり前の現代に逆行するかのような試み。
私も今大会を生観戦したのだけれども、普段の生観戦と異なり、実況や感想を記した投稿に対しての反応が、体感で普段のプロレス観戦の10倍以上はあった。
こんなに風が強く吹くような、話題性抜群な興行も中々お目にかかれない気がする。
ただ、正直なところ、私は【無配信】という言葉を現地に赴くまで信じることが出来ていなかった。
(「配信無いなら見に行くしか…!」という明確な動機はあったけれども。)
何故ならば、公式がシレッと固定でビデオカメラは回しておいて、数ヶ月経った後で公開するパターンもあるんじゃないかと密かに期待していたから。
団体とシチュエーションは全く異なるが、2020年3月に行われたWRESTLE-1大田区総合体育館の時に、「新型コロナ禍でスタッフの感染リスクを下げるため」という理由から、収録と後日放送が中止というアナウンスがGAORAより流れたものの、その1年後くらいにシレッと大会映像が放送されたこともあった。
何より、今回のGLEAT後楽園ホール大会は、『中嶋勝彦vsエル・リンダマン&飯塚優&伊藤貴則』のUWFルール、シングル&タッグの二大王座戦を筆頭に、ノー配信で行うのがあまりにも惜しまれるカードばかりだったからだ。例え、そのパターンで流されたとしても、私は「話が違う!」、「騙された!」なんて言わない。
しかし、そんな私の淡い期待と読みはすぐさま打ち砕かれた。
後楽園ホールの南側最上段に、当たり前のように設置されているビデオカメラとカメラ&カメラマン用の台座が、この日は全部撤去されていたからだ。
普段であれば、台座が置かれてしまうと南側最後方の通路は人と人とが通り抜け出来ない状況になるのだが、この日は台座が無いために人の行き来が可能となっていた。
私は普段見慣れない光景に戸惑いを覚えたと同時に、「本当にノー配信なのだ」とGLEATの覚悟の一端を垣間見た気がする。
「事件は現場で起きている」という、生観戦の醍醐味
今回、無配信形式になって実感したのは、現地に赴いて生観戦した観客に対する優位性を強めたことで、「事件は現場で起きている」という、生観戦本来の醍醐味がフォーカスされたことだ。
2020年春の新型コロナ禍により各団体が無観客興行を強いられた流れから、プロレス界でも配信サービスが充実した結果、生観戦と配信で優位性の差は縮まったと私は実感している。
【現地で写真が撮れる】、【物販に行って選手のサインが貰える】、【会場で声が出せる】といった事象は、配信が充実しても絶対に揺るがない優位性だと思うけれど、実況や感想のツイートに関しては配信でも十分可能だ。
そんな流れが定着したことで、生観戦の優位性は低くなり、いつでもどこでも配信で映像を見返せるようになった。
私はこの現状が悪いとは思っていない。現地に行かずとも、自分の目で映像を見て試合の感想が言えるようになったのだから。
(後述するが、自分の目で見て判断したかどうかは、感想を述べる上で大きいと私は考えている。)
しかし、この現代の流れに逆行するかのような今回の無配信大会は、言ってしまえば、現地に来れなかったファンに対して非常に優しくない。
ましてや、映像等で後から見返す機会も無い故に、拡散や感想は公式やマスコミを除けば現地の観客しかいなくなる。
それでも無配信形式が成立したのは、現地の観客が思わず感想を述べたくなるほどの熱闘が、大会の随所で展開されていたからだと私は思う。
現地の熱量を見た他の皆様が、その様子を見て「面白そうだな」、「行ってみようかな?」と思わせて、次の観戦に繋げる構図…。
団体や公式、マスコミが情報を展開したり拡散したりしても、それらには多かれ少なかれ客観性が求められてしまうし、ファンの生む主観的熱量からは一線を引いたものになりがちだ。
しかし、現地や配信を経た主観的な感想と熱量は、「こんなに人がオススメしてるのなら、面白そうだな」と思わせる説得力がある。
今回、そんな現地の感想が純度100%凝縮されたからこそ、「情報を知りたい」という反響も大きかったのではないだろうか?
無配信が映し出す、【見てる・見てない】の線引き
今回、無配信になったことで、もう一点私の中で感じたことがある。
それは、無配信形式が【(映像含めて)試合を見たか、試合を見てないか】という感想の根本に関わる部分を、残酷なまでに可視化してしまう手法だということだ。
私は、「現地に行っている人が偉い」とは思わない。
そもそも自分が好きで行っているだけだし、仕事や家庭、所用等々で行けないパターンの方が多い。
前述したように、今は多種多様な娯楽が溢れ、生観戦と配信の優位性は以前より縮まりつつある時代なのだから。
ただ、それとは別に、現地で起きていることや実際の光景、映像などを自分自身の目で見た上で出力された感想や意見よりも、見ていない意見や偏見の方が勝ってしまう風潮…。
そんなことを現地で感じる事象に、私は幾つも出くわしてきた。
今回の無配信は、現地で見てる人の感想が必然的に優先される状況が出来た事で、所謂"いっちょかみ"やアンチが立ち入れず、【見てないけど結果だけでアレコレ言う】みたいな意見も締め出してることに繋がっているのだと私は感じた。
この状況はあくまで無配信による副産物的なものであって、GLEATが意図して仕掛けたとは私自身思わない。
寧ろ、無料配信etcで気軽に見れる状況の方が、知らない人にも知ってもられるキッカケは無配信より確実に増えると思う。
ただ、PPVや無配信という手法は、【感想を言っている側が、対象を見ているか・見ていないか】という現実を白日の下に曝してしまう利点も、今回の件で少なからずあると私は感じたのだ。
その点で個人的に印象に残っているのが、LIDET UWFルールで行われた『橋本千紘&稲葉あずさvs稲葉ともか&ブランカ真帆』だ。
この試合は全員素晴らしかったのだけど、キャリア5年に満たない選手も多い中で、1人だけ10年近いキャリアを有する橋本千紘の強さが試合中は終始突出していた。
その内容で感想をツイートしたところ、「橋本さんの方がキャリアあるのですから仕方ない。ブランカさんはキャリア1年未満ですよ?」というリプライが来た。
勿論、キャリアの年数とかだけで見たら、そう思われるのも致し方ないのだろう。
でも、試合を見ていた側からすると、選手の実力不足とか橋本への不満とかでは決して無くて、寧ろ「1人だけ突出してる人をぶち込んだ」ような、マッチメイクにおけるパワーバランスの偏りが非常に気になったのだ。
(偶然、私以外にも現地で見た方から、「1人だけ強すぎたように見える」ことを指摘した例を見かけた)
この辺りの事は実際に見ていないと感じられない箇所のような気がしたし、何より、その指摘でブランカが1年未満のキャリアという事実に私は驚かされたくらいだ。
実際に目で見ないと分からない・見誤ってしまう箇所や指摘なんて、幾らでもある…。
まとめ
GLEATの無配信ハウスショーは、私にとって幾つかの示唆を与えてくれた。
無配信の環境がスタンダードに戻ること自体、今後考えにくい部分ではあるけれど、配信で見れる時代だからこそ現地の臨場感や興奮にフォーカスした今大会は、「事件は現場で起きている」ことを強く実感させるものであった。
本記事の冒頭で紹介している、現場・現物・現実を重視した『三現主義』の考え方は、最近私が某資格勉強中に出てきたものだ。
これは管理における考え方の一つになるから、趣味に当てはめようとすると性質が変わりそうな気はする。
だけど、実際に見ないと分からないことなんて結構多いものだからこそ、この考え方は今の私には刺さった。
ただ、他の選手も言うように、「行けなかった事が悪い」という訳では決して無い。
寧ろ、「行けなかった分のパワーを次に全力で放出しよう!」、「生観戦は良いぞ!」という、ポジティブなメッセージと共に伝えられる生観戦の醍醐味。
数字とか結果とか印象とか偏見ではなく、自分の目で見て判断して楽しむことの大切さを、今回の無配信興行は私に改めて教えてくれた。
話は少し反れてしまうけれど、過去に私が行ったイベントの感想を書いたら、「なんでそのイベントに行ったのよ(笑)。ポスター見れば、どういうイベントか分かるじゃん(笑)」と、大会を見てもいない人から面と向かって直接馬鹿にされたことがあった。
この時、「何で、見てる人の意見が、見てない人から馬鹿にされるんだろう」という虚しさを私は感じたものだ。
私は「見てる人がエラい」というマウントにも似た気持ちを誇示したり、見てる人の意見が必ず正しいなんて事を主張したいわけでもない。
私がこの記事で言いたいのは、主に2つある。
だから、この記事は私にとって、ある種の誓いを込めた何かでもある。
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