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生まれる前にいた場所はこういうところだったのかもしれない"豊島美術館"

何年も前に小豆島へ行き、豊島に渡った。
目当てはこの豊島美術館。島は貸し自転車で周遊できるほどの大きさ。まだ手付かずの自然が多く残り、なるべく汚さぬよう島を後にしなければらないないと思った。

豊島はかつて米や野菜の生産が盛んで、豊かな棚田が広がっていた。第一次産業の衰退により、耕作面積は1/10ほどになった。
瀬戸内芸術祭を機に、食の豊かさを知ってもらう「食プロジェクト」を開始し、休耕田の一部を2010年に美術館とし、「棚田プロジェクト」も発足した。

設計は西沢立衛氏、一粒の水滴を表現している。柱のないシェル構造に2箇所の孔がある。「母型」という名のアートは内藤礼氏。光、音や空気と共にどこからともなく水が湧き出す泉を体験できる。

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1.美術館までの道のりもまた作品の一部

島を自転車で周遊する道のりにはインスタレーションが点在。山を抜けると一気に海が開けたり、高台から、テーブルに牛乳を数滴こぼしたあとのような、豊島美術館が望める。周辺には美しい棚田が広がる。そんな景色、空気や音を味わいながら、感性が研ぎ澄まされ、美術館にたどり着く頃には、ここまでの体験もまた作品の一部であることに気づく。

2.人間は自然を形成する一部に過ぎない

自然に馴染む美しい流線型。中に入ると自然の、その瞬間のみにもたらされる音、光や風のみが存在する。そしてどこからともなく水滴が現れ、ちょっとした怪奇現象ともとれるが、5感がピキピキっと音を立てて開く感じになる。
そして、何故か初めてではない、既視感?懐かしさ?もしかしてお母さんのお腹の中にいた時に羊水に包まれていたあの場所は、こんなところだったのではないかと回顧する。

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3.アートに身を潜める建築

最近ではアートと建築の境目が曖昧になってきている。建築はやわらかさや滑らかさなど多彩な表現が可能となり、その表現の解釈もまた多様化している。とりわけこの美術館は建築としての主張はゼロに近い。完全にアートに寄り添って、アートに身を潜めている。ここまでアートとして完結できる建築の未来は無限だと感じた。


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