徒然なるままに3(高校生活編)

元々このnoteを書こうと思った理由は、自分にとって「人生とは~」とか、「人間とは~」とか、「人格形成とは~」とかそういう様々なものに対しての自分なりの答えをどうやって導き出したのか、経験から来る論理をそれぞれの経験と絡めて書き残すことが目的で記事を書いていたわけだけれども、なんだか自分の生い立ちだけ書いているような感じになってしまっているような感覚に陥っている。
ので、生い立ち編に関しては高校生活・大学生活編で区切りにしようと思う。

前回までのあらすじは下記参照。

今回はめでたく県内1番の進学校に入学し、そこでの学校生活がどういうものだったのか、のお話。

小・中学校生活と様々な形で嫌がらせやいじめを受けた自分は、それまでの経験や反省を踏まえて、また、幸い人間関係を全て真っ新な状態からスタートすることが出来る高校生活が始まった。

高校受験期に友達からのコミュニケーションを上手く扱うことが出来ずに、関係が悪化してしまったことを反省し、「誰とでも良い関係を築こう」とか「誰からも好かれる存在になろう」とかそんなことをとにかく考えていた。
まぁ「とにかく嫌われたくない」と必死であったわけだ。
そんな自分がとにかく心がけたのが「誰にでもしっかり挨拶しよう」であった。

挨拶することのパワーはすごい。効果は絶大であった。
全然知らない隣のクラスの子でもなんだかすぐに話が出来るような仲になったり、クラス内外とにかく良く声をかけられるようになった。
今思えば、だが、そんな振る舞いをしていた自分に対して気にくわないと感じていた人もいたのかもしれないね。今更だけど。
とにかく良くも悪くも八方美人だったわけだ。

高校で初めて顔を合わせる多くのメンバーは自分にとって本当に刺激的な人が多かった。
とにかく自分が世界の中心にいるように思っているであろう振る舞いを永遠とするやつ(うるさいやつ)、わけわからない振る舞いをしているけどとにかく賢く勉強が出来るやつ(なんちゃら模試でいつもトップにいるやつとか。天才かよ)、いきなり中国語しゃべってたりするやつ(中国生活歴があったのかな?当時凄さとしては実感なかったけどなんかすげぇと感じたみたいな)、頭いい奴らの集まりなのに格好いい奴や可愛い人も多かった。
中学校の時は「カッコいいと人気があって、頭も良くて運動も出来る(ただし一部の人間からはいじめられてたが)」が自分のアイデンティティだったわけだが、高校に入った途端にそのアイデンティティは埋もれた。
自分より運動の出来るやつ、頭のいいやつ、が死ぬほどいたわけだ。
あぁ井の中の蛙ってこういうことを言うんだなって思った。

自分が様々な方面においてトップではないという現実を見せつけられ、愕然としつつも、当時の自分はそんなことよりも「嫌われたくない・出来るだけ好かれたい」に必死であった。
もちろんそんな刺激的な同級生も良い奴ばかりで、仲良くなろうと思えば誰とでも仲良く出来た。
妬み・僻みなんてない。むしろ自分が妬みたいぐらいのもんだ。
そういう類の感情から来る様々な行動に対して「やっぱりくだらないものだったんだなぁ」と感じていたし、やっぱりレベルの高い人達はそんなことしないんだなと安堵したし、自分の置かれた環境がレベルが高く恵まれたものであることを実感した。

そんな中、自分にとって親友と呼べる友達が出来た。
高校入学後、学校生活が始まるより前にテニス部の仮入部に参加した。
先輩たちの春休みの活動に参加させてもらったのだ。
今更だけどもちょっと意識高いよね。真面目か。
ただ、その活動の参加していたのは自分だけでなくて、他にも新1年生とされる人たちが数人来ていた。
その中の一人となんだかすぐに打ち解け、携帯のアドレスを交換し、夜もメールのやりとりなんかしちゃったりして色んな話をしたりして、こんなフィーリングが合う人がいるなんて思ってもいなかった、と伝え合った。
(向こうもそんなこと言ってくれた気がする。相思相愛と喜んだ。自分の勘違いじゃなければいいけども)
幸せなことにその親友は1年の時のクラスも同じクラスだった。

あるとき親友に過去自分がいじめられていたことがあることを打ち明けた。
そういう経験もあるから自分は人に嫌われることが怖くなっている。だから明るく振る舞うし、可能な限り皆から好かれたいんだ、と。
そうしたら彼は「俺は自分のことを嫌いというやつのことなんか好きじゃないし、嫌いで結構。好きと言ってくれる人だけ大事にしたい。嫌いのやつなんかどうでもいい。そもそも万人から好まれるなんて不可能だしね」と言った。
スゲー!おめぇすげぇな!オラびっくらこいただ!ってリアクションしちゃうぐらい目から鱗だった。実際にお前すげぇなぁ!ってリアクションもしたと思う。まぁ向こうから言わせたら当たり前のことなんだけどね。自分が異常だったんだと思う。
でもそんな異常さも人によってはごく自然のことなんだと思う。
親友のその考え方は自分にとって物凄いスタイリッシュで合理的かつ自然的な考え方だとは頭で理解はしていたが、でも俺は俺で嫌われるより好かれた方がいいから、振る舞い方は変えないと思うって伝えた気がする。
今まで人間関係で苦しんだりいじめられたりした経験があったりすると、人の顔色を伺ってしまって自分自身のやりたいことや意思よりも、他人がどうすれば喜ぶかとかそんな感じで自分より他人を優先しちゃうのが当たり前になっていたりする。
人見知りとかそういうんじゃなくて、人の顔見てビクビクしたり、相手の目をしっかり見て話が出来なかったり、そういう感じの人って何かしら多かれ少なかれ対人恐怖症みたいなとこがあるんじゃないかなって思う。
嫌われるのが怖いみたいな感情が先にきちゃって、無難なことをやろうとする。みたいな。

まぁこれって良い悪いじゃないと思うのよね。ただの特徴の度合いなだけであって。
他人のこと全く気にせず自分のことだけしか考えない、だとそれはそれで問題だし(いわゆる自己中。空気読めないとかね。)、自分より他人のことしか優先しないもダメだと思うし。
どっちが良いとかじゃなくてどうやってバランスとるか、の問題になる。
高校の時の自分はどちらかと言えば「他人>自分」だったと思う。
幼少期に親からのスパルタ教育を受け、ピアノの練習ですらミスしたらひっぱたかれて怒られたりして育ってきた自分は人の顔色を見るだけでその人が今どういう感情なのか、何を考えているのかがすぐわかるような能力もしっかり身についていて、それも相まってか、とにかく好かれようと振る舞っていた。

まぁそんなこんなで、人間関係に対しての考え方が色々あることを痛感してしながらも、高校時代は運動・恋愛と色々とたくさん経験した。
文化祭や運動会(その高校では体育祭とは呼ばなかった)も一番偉い役職みたいなのもやって皆を取りまとめするようなこともたくさんやった。
昔だったらそういうの頑張っちゃうのってなんかだせぇなって誰もが思うと思っていたんだけど、その高校では皆が「俺が俺が」だったから、前に出てかないと埋もれちゃうし、前に出る人を笑う人なんて一人もいなかった。
勉強についてはほぼやらなかった。授業中は寝たり、友達が持ってきた漫画ををこっそり読んだり、ゲームボーイ的なやつを皆でやったりしてとにかく遊んでた記憶しかない。
にもかかわらず自分は学年テストで下から数えた方が早い順位、友達はなんだかんだそこそこ良い点取ってたりする。ずりぃ。隠れて勉強してたんだろ。せこいわ。
勉強は大学受験期に入るまでほぼほぼやらずに、とにかく部活・恋愛・テニススクールのチームの活動・学校行事の活動で必死だった。

話は少し逸れるが、高校時代は自分の人生について考える機会が頻繁にあった。親友が起業したいんだって話してくれたこともあったし、皆優秀な家の子供だったりしたから医者の息子や社長の子供なんかも多かったし、自分についても小学校ぐらいから親が会社経営をしていて会社に遊びに行ったりしていたことも多かったから、なんとなーく「将来は社長かー」なんて考えたりもしていた。
その一方で、人生の線路が今見えてしまっていることに対して大きな寂しさも感じていた。自分は何もしなくても社長になるんだな、みたいな感覚があったし、そこに自分の意志はないのかなって自問自答をよく行っていた。
親友の起業する夢を聞いたりしたとき、自分も自分の意志で何かをしたいと思ったりした。
自分の父は会社の2代目経営者で、会社を作ったのはおじいちゃんだった。
おじいちゃんのことは小さな頃からものすごく好きだった。
祖父も父も経営者なわけだが、自分の中では「おじいちゃんは0→1にした人、お父さんは1→10にした人」そんなイメージで捉えていた。
今ではそのどちらも非常に意義のあることでどちらも尊敬に値し、すばらしいことであると感じているが、当時は「0→1にすること」の方が勇気があり非常に意義のあること、簡単に言えばそっちの方がすげぇ、って思っていた。
そんなことや親友の起業の夢の話もあって、決められたレールに進むことも頭の片隅にありながらも次第に自分自身も起業をすることが自分にとって一番やりたいこと・チャレンジなんだ、と考えるようになっていた。

高校現役での大学受験は見事に失敗した。明らかに学力が足りていなかった。
志望校以外は行く気が無かったので受験自体も一つの大学一つの学科しか受験していなかった。

しっかりと浪人が確定した後は、隣の県の某予備校の寮で1年間の生活を送った。
そこには多方面から浪人生が集まっていて、今まで自分が触れたことのない趣味や文化を持っている人が多く、また勉強以外での興味が沸いてしまっていた。
お金を払ってもらって予備校の寮まで入らせてもらっているにも関わらず、自分はまた遊んでいるような状態。完全な親不孝者である。すまん。
浪人してからは勉強も0からやり直したことで各学科に対しての理解度が深まり学力も上がった。一応そこそこ勉強もしてはいた。
某私大の模試等でも偏差値70とか取れるような状態にはなってはいたが、結果として志望校には受からなかった。受験当日、数学において解けない問題が出てから頭が真っ白になってしまった。確か、その設問が解けないと以降の設問も解けないような作りになっているような試験内容だった気がする。
浪人時代の大学受験ではいわゆる滑り止めもちゃんと受験した。
さすがに二浪はまずいと思っていた。
なんとか滑り止めには合格し、大学生活を送ることが可能になったわけだが、あくまでも自分の中では滑り止めの大学であり、そこに入学することは若干のコンプレックスになっていた。高校の友達はトップの大学に行ってるのにって。まぁ今更後悔しても遅いわけだが。後悔先に立たずといったところか。

新生活に対するドキドキわくわくを胸に秘め、若干のコンプレックスも抱きながらも煌びやかな大学生活がスタートすることになった。

長くなりすぎたので今回はここまで。

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