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私の経歴②大学進学

もう少し自己紹介も兼ね、現在の仕事につながる私の経歴シリーズとしてこれまでに経験した会社や仕事について掘り下げてみたいと思います。


さて、無事に大学に進学することになり、入学式を迎えます。

入学式で一番私が考えたこと、それは
「なめられたらいかん」でした。(意味不明)

色々なところから集まってくるのでとにかくなめられてはいけない
と常に眉間にしわを寄せ、周りを威嚇するような目つきで入学式に臨みます。しかもその時の服装は、リーゼントのパンチパーマに黄色のダブルのスーツに花柄のネクタイ、というその時でさえ、吉本新喜劇くらいでしか見かけないようないで立ちでそれがかっこいいと思ってバシッと決めたつもりになってました。

なので入学式の一番のイベントでもあるサークル勧誘では、まったく声もかけられず、唯一相撲部だけが、「君いい目してるね、どう?」といわれる始末。

そんな田舎者の私も友人ができて、その友人とともに入ったサークルが

「学生ツアーサークル」といわれるものでした。

このサークルへの参加が結果的に今の自分に繋がっているのかなと思います。

学生ツアーというのは、当時、学生でありながらツアーを主催し、多くの学生を動員し、企画運営をするサークルのことで、オフシーズンにはイベントやパーティなどを開催しているものでした。

当時は硬派な男がかっこいいと思っていた私に衝撃的なサークルでした。実際には単に女にもてて、女と遊ぶことが最高、そのためにツアーやイベントを開催している今でいうイベントサークルの走りのようなものでとにかくみんなチャラチャラしていました。

しかしながら、環境というものは恐ろしいもので、こいつらとは絶対に仲良くなれん、と思っていた奴らとも仲良くなり、また先輩方が多くの女性をはべらしているのを見るにつけ、いいなあと思うようになり、結果そのサークルにどっぷりとハマり最終的には会長になりサークル自体を運営するようになりました。

大阪のミナミに事務所を構え、「夏は海、冬はゲレンデ、夜は〇〇」と訳の分からないキャッチフレーズを掲げ、今から思えば社会人ごっこみたいなことでしたが、思いっきり学生時代を楽しむことができました。

オフシーズンにはダンパ(ダンスパーティ)と呼ばれるものやねるとんパーティなど多くのパーティイベントを開催し、一回の開催で数十万の利益が出る上に、数百人の女の子と遊べるという夢のような空間でしたが、ある時、当時使っていた、「マハラジャ」というディスコから連絡があり、すでに開催が決まっていた我々のパーティの時間をずらしてほしいと依頼がありました。(よくあるダブルブッキングですね)

聞くと、我々以上にお得意様での企業で、お世話になっているので何とかなりませんか?とのことでしたので泣く泣く代わってあげましたが、こちらとしてはなぜ俺らが時間変わらないといけない、お前らが代われよ、なめた奴なら許さんぞ、と当日その企業のやっているイベントに突撃し、責任者に会わせろ、と詰め寄りました。

そうすると、何と出てきたのは、すでに引退されているサークルの先輩で当時「神」や「殿」と呼ばれていた方でした。私も数度お会いしたことある程度で先輩からはとにかく怖い、とにかく凄い、と数々の伝説を聞いていましたので、まさかと思いつつ、
「え?このイベントやっているの〇〇さんですか?」
と聞いてしまいました。

すると
「中前くんやったっけ?久しぶり。ごめんななんか時間変更してもらったみたいで。どうサークル盛り上がってる?」

と。私は「いや、全然大丈夫ですよ!サークルもおかげさまで盛り上がってます。」と答えるのが精いっぱい。

そして先輩が「普段は来てないけど、今日そんなこと(時間変更)あったときいたのでもしかしたら会えるんちゃうかと思って現場にいたんよ」

とおっしゃるので
「〇〇さん、ちなみに今何のイベントやってるんですか?」

と聞いたところ、
「これ?カップリングパーティ。お前らがやっているのの大人版でもうちょっとちゃんとしているやつ。中入って見て見る?」

これが、私とカップリングパーティの初めての出会いでした。


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