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私の経歴⑧中前恋愛相談室

もう少し自己紹介も兼ね、現在の仕事につながる私の経歴シリーズとしてこれまでに経験した会社や仕事について掘り下げてみたいと思います。


カップリングパーティの会社を退職し、借金だけは残りましたが無事に無職になりました。

とりあえず生活をしないといけないので、何かしようかと思っていたところ、(このあたりの記憶はあまり定かではないのですが)誰かに「もう自分でやったら」みたいなことを言われ、確かに、私の性格を考えると、人に雇われるのは嫌い、人を雇うほどの責任感はない、という完全なわがまま個人主義でしたので、自営業しかないのか、と思っていたところでした。

ありがたいことに、パーティーを開催してほしい・司会してほしい・恋愛相談に乗ってほしいという依頼を以前よりたくさんいただいており、じゃそれをそのまま仕事にしよう、と何となく自営業生活が始まります。

仕事するにあたり、名刺がいるな、と思い、名刺がいるなら名前がいるな、と思い、色々考えた結果、分かりやすいほうがいい!という事と当時一番多かった依頼が恋愛相談でしたので、そのまま「中前恋愛相談室」と名付けました。

そして当時、ホームページが浸透してきた時代でしたので私も作ろう、と考えます。そういうことに全く疎かった私は、見てもらうためには誰かの真似をしようと考えました。

当時サッカー選手の中田英寿さんが、nakata.netというページを立ち上げ、自らをブランディングされているのを見て、私は「これだ!」と思いました。nakamae.netというアドレスを取得し、ホームページを公開しました。

私の思惑は、中田を見に行こうとして、打ち間違えて私のページに来るぞ、と思っていたのですが、普通に考えたらそんなことあるはずもなく、そもそも検索でアドレスを打ち込むことなどないことすら知らなかったので、「中田を超えるぞー」とウキウキしていたのを覚えています。

ありがたいことに仕事は順調で、これはやはりパーティを10年ほどやっていたことで特に関西では名前が知られていた、という事が大きかったと思います。
当時恋愛相談メール3往復で7500円というプランに結構申し込みをいただき
更には(ADSLとかの)インターネットの使い放題が流行りだした頃でしたので、それをオマージュし、3名限定「中前使い放題」というプラン(月33,000円でいつでも相談OK)も作りました。メールと電話で仕事ができるという非常に効率のいい働き方と、以前の仕事が知らぬ間に自分の資産となっていたことを実感しました。

そんな時、結婚相談所をやっている女性の方と縁があり、その方からお金払うのでやり方教えてほしいという依頼を受けました。聞くとそういう方は結構いらっしゃるとの事。

なぜ、やり方もわからんのに独立するんだ?と思いましたが、お世話好きな主婦の方が、やりがいや生きがいを求めて、協会や連盟に加入し仕事をする方が増えたようです。(これは今もそうみたいですが)

そこで、小規模事業者の結婚相談所のコンサルもすることにしました。

週一回そこに出向いて、運営のアドバイス込みで仕事をするという契約で月10万円。なぜこの金額かというと最初の方にいくらほしい?と言われて咄嗟に週一で月10万、と何の根拠もなく言ってしまいそれがそのままになっただけです。

最大で5つの相談所のアドバイスをすることになり、週5日それぞれの相談所に出向きながら、パーティーのプロデュースや恋愛相談の仕事をすることで収入も安定し借金を返した後は悠々な生活を送っていました。本当にありがたいことです。

給料は60万。売り上げが80~100くらいでしたので一日2万使ってもOKという単純なもので今から考えると本当に何も考えない軽い男だなと思います。

当時は毎日楽しいといえば楽しかったのですが、こんな生活がいつまでも続くことはさすがにないだろう、とは思っていました。恐らく心のどこかで不安や恐怖心もあったのかもしれません。

そんな時に、ふと思ったことがありました。

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