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本気で大学辞めようとしてた2ヶ月後に幸せになった話。(いじめ被害、うつからの復活劇)

私はここ最近まで、人間関係や大学での勉強に対してストレスを抱えていた。

私がいない間に笑顔で私の物を取る人、聞こえるように悪口を言う人、本能的に違和感を持っていたが、1人になりたくない、だからこのグループにい続けなければいけない、その為には我慢しなきゃいけない、なんて2年半我慢した末我慢の限界を達し、1人になる覚悟を持ち、そのグループを抜けた。

その頃、その人と関わらないことが根本的解決だと思っていたが、その頃には時すでに遅しで、かなりのストレスと、人間不信を抱いていた。

私は、この事を話したら、聞いた子がその人に対して悪いイメージ持つかな、そしたら聞いてくれた子にもその人にも申し訳ないなと思ったし、結局そこにいる決断をしているのは自分だから話すのは私にとっては違うかなと思い、誰にも話していなかった。この時賢明な優しさだと思っていた行為は、私のSOSを見て見ぬふりをする行為であったと学んだ。

同じグループの子に相談したら「私も悩んでる」と言ったのに、私がグループを抜けてからは「知らんかった、前は私も思ってたけど今は思わんよ」と手のひら返し。その子は強い子の味方につくタイプだなってなんとなく思ってたし、にしてもこんなもんなんだと思った、なんとなく想像範囲内で悲しくもなかった。

違うグループの子に相談したら「なんで言ってくれんかったん?!」と言いつつ、次の週には私が挨拶しても無視。私が視界に入ってても目合わさない話さない、露骨な態度。
結局、前のグループの子も、その子らも敵に見えて、みんなが敵に見えた。

人を信じたらすぐに手のひら返しだし、裏切られたってストレスを感じたくなかったから人を信じたくないと思った。人間不信になった。気づいたら自分を見失ってて、大学も人生も辞めたかった。けど辞めたら私のことを大切にしてくれている人が悲しむ、だから辞められない、けど辞めたい。

大学に行きたくなくてテスト勉強に手がつかなかった結果、1単元単位を落とした。教科担当との話し合いの末再テスト。この時、教科担当の先生方には大変失礼だが、正直、“やっと解放される”と思った。今私は留年できるチャンスがある。そう、留年してしまうピンチではなくこれはチャンスだ。もうこの学年にいたくない、苦しい。
この状況をチャンスと捉えてる時点で、大学に対してかなり滅入ってると実感した。

大学でいつも一緒にいるわけではないが、密な話をする友達にこの全ての悩みを話した。「○○と一緒に大学を卒業したいと思ってる。大学を辞めないで。テストお願いだから頑張って。」と何日間にも渡り言い続けてくれた。テスト勉強するために、バイト帰りの23時頃に私の家に来てくれた。

母と姉に「単位落とした、辞めたい。もうしんどい。けど友達はこういってくれてて」と話したら、母は「大丈夫!」姉は「テストは絶対受けろ、その後の2ヶ月の夏休みで家族でしっかり話し合お。とりあえず今は受かってこい。落ちたら選択肢がないんやから、卑怯なことしてくるなよ。」だった。

テスト当日に母、姉、友人からLINEが来てた。
(この日母は姉に「行ったかな?大丈夫かな?」と心配を吐露してたことに対し姉は「あいつは大丈夫、行く。」と言ったらしい🥲)

私は勉強したくないけど勉強しなきゃこうやって信じてくれている人を裏切ると思い、勉強するためにマックに行った。が、そこでもレジメパラパラしながら大号泣。
どうしよう、私がしたいことは、私を信じてくれている人を裏切る。いやだ、どうしよう。

結局、ほぼ勉強できずに再テスト間近。やっと終わるんだと学校へ行った。再テストの会場につき指定の位置に座った。このテストを作ってくださった先生方、信じてくれた家族や友人には申し訳ないが、やっと落ちれる。私は落ちたいんだ。と思っていた。

試験開始!となった途端、試験を表向けて必死で書いてる自分がいた。自分でもびっくりした。あれだけ落ちたいと思ってたのに。手は、私の体は、受かりたがっているようだ。考えてる、動いている自分をみて「なんだ、本当は私は受かりたかったんだ。」と思った。「ああ、それなら勉強すればよかったな。」と。

結局、そのテストはほぼできた。勉強を共にしてくれたその友達がテストに出たところを覚えていてくれて、そこと、予め先生方が提示してくださった範囲がまんま出た。

テスト終わりにその友達から「テストどうだった?」というLINEが来て、「できたと思う、あなたのおかげだよ。」と言ったら「あなたの実力ですよ😁」と来た。なんだかっこよすぎるだろ。

この時に、結果を選べるような努力をすることの大切さを学んだ。合格したら、学年維持か留年を選べる。だが不合格だったら、留年一択である。学年維持をしたくてもできない、したくなくてもできない、できないのだ。ならば、どちらかの結果を選べるような努力をしようじゃないか。選ばれる人間じゃなくて選ぶ人間になろうじゃないか。私だったらなれるはずだ、なんて素敵なんだ、なんて思った。

この先に始まった夏休みで、他の友達から「私は○○がいないと寂しい!辞めないで!また話そ」「卒業旅行ディズニー行こう」と言ってくれたことや、インターンに足を運んで「ここで働きたい」と思った時に大学での資格が必要だったことを通してあの時テスト行って良かったって心底思った。
そして、この経験を通して、家族や友達、相談することの大切さをより学ぶことが出来た。

私は、大学で、私を傷つけた人を見た時に“私が悪かった”なんて思ったけど、私が悪かったところもあったかもしれないけど私が今傷ついている理由は私が悪かったからじゃなくてその人が故意的に傷つけることをしたからだ。

その人たちの意見を汲もうとしたのは私の優しさだけど、汲む必要なんてなかった。汲んだら私が迷子になった。だから、私のために、意見の取捨選択はしないといけない。その人になりたかったら意見に耳を傾ける、なりたくなかったら無関心。
だから、その子たちの為に変わってやる必要なんてないし、むしろ変わってやってはいけない。

私に嫌なことをしてきた子を見た時に、みんな私より幸せそうじゃないなと思った。周りキョロキョロみて、人の悪口言って、人バカにして笑って。仲間はいて、集団なんだけど、中身がスッカスカで、幸せそうじゃなかった。そういう人たちに私はなりたくないから、今までその人たちに違和感を持ってくれた自分の本能ありがとうと思った。

今でこそ、誰かを傷つけないと集団になれない状況なんて、主犯であれ傍観者であれいじめだなと思うし、悲しいなと思う。人にされて嫌なことを、されたくないからしないじゃなくて、されたくないからこそする人がいる。意味がわからないと思ったけど多分真っ当な意味なんてなくて感情がほとんどで、おかしいなって思った。愚かだなって思うからやり返すなんてもっての外。その人たちの考えなんて聞いても納得どころか理解もできないと思う、それでいい。

私はその子たちと合わなかったから、私に合う恋人が素敵な人で。結婚とかの話になった時に、この子たちと合わなくてよかったって思った。
自分の信念を貫けば、自分相応の幸せは絶対掴むことが出来る。


ストレスを抱いている時。
私は、こうなってしまった自分を責めた。
でも、嫌いな自分も大切な自分だから、人間不信に陥ってるなら尚更、誰よりも自分のストレスの味方でいたいと思った。

私のおすすめのストレス対応法は、
“好きなだけ好きなものを食べる、好きなだけ水を飲む、お風呂に浸かる、自分史上最高のスキンケアをする、好きなだけ筋トレをする”です。
この量は差があっても🙆🏻‍♀️だけど、ルールは、必ず1日全ては行うこと。面倒くさいからしないは🙅🏻‍♀️少しでもすること!

じゃあ、好きなだけ(たくさん)好きなもの食べて、好きなだけ(ほんのちょっと)筋トレしたら、太らない?と思わない?心配になるよね、、

けど大丈夫🙆🏻‍♀️痩せたいと思ったら自然に食べる量、カロリー<筋トレ量に自然となる。大丈夫、だから自分を信じて、ストレスを抱いている時はしっかりストレスに寄り添ってね🫧

これをすることと、私にとって大切な人で、私のことを大切にしてくれている家族や友達と沢山話すこと!良くも悪くも似たもの同士集まるから、私の周りがいい人なら私いい人なんだな〜って認めて、口に出しちゃう😊

こうやって、自分を整えること認めることで、ストレスに抱きつこうと思う。
フラッシュバックでしんどくなった時、何度でも思い出そうと思う。

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