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【いつか来る春のために】❶序章 2020年9月      黒田 勇吾

@あらすじ
2020年のコロナ禍が始まった年秋から物語は始まります。
主人公の一人の「鈴ちゃん」が仙台の学習塾で働いている
時から、やがて2012年当時に故郷の牧野石市の仮設住宅に
住んでいた当時の回想シーンから、そのころのほかの主人公たちの
物語が.それぞれの視点で語られていきます。そしてその物語の
真ん中にいた今は亡くなった隆行の生前の生きざまを通して
東日本大震災の或る家族たちの悲しみと再生を描いています。


#いつか来る春のために
 『序章』     ぺデストリアンデッキにて① 
 2020年9月 鈴ちゃんの話

「今日は午後から、鈴さんは何か予定あるの?」
同僚の森田が、鈴木国義に問いかけた。
「特にないよ。天気いいから、ぺデストリアンデッキで読書かなぁ」
「鈴さんは、本好きだなぁ。ぺデストリアンデッキは、うるさくないの?」
「いや、仙台駅のあの、人がいっぱい通る雑踏の雰囲気が好きなんよ。あそこのベンチで読書して、時々本から目を離してぼうっとして周りを観ていると、新しい歌、降りてきたりするんよね」

「鈴さんは、作詞作曲の才能あって、羨ましいよ。俺、なんもない。塾の講師以外に取り得ない。もう35にもなって、彼女もいないしね」
森田は笑いながら言った。そして床掃除を済ましてモップをロッカーにしまってから、塾教室全体に消毒液の噴霧をしはじめた。フロアー、そして椅子と机にもまんべんなく一つずつ吹きかけていく。

ようやく九月から、オンライン授業のほかに、週三ペースで、教室での授業も再開している。しかし万が一この教室からコロナ感染者が出た場合、この仙台本部教室のみならず、東北に展開している32教室のすべての授業運営に多大な影響がある。というかMA学習舎全体の経営が難しくなるかもしれない。とにかく今年いっぱい「コロナ感染者ゼロ」を最大の目標に掲げて、MA学習舎は学習塾の運営にあたっている。MA学習舎の藤崎代表は
今はその一点にすべてを懸けているように、今週の朝会議でも感染者を出さない対策の話ばかりだった。
去年までは、いかに一流大学や有名高校にどれだけ多く合格者を出すかが、最大一の目標であり、会議の中心議題であったが、COVID-19の世界的感染によって、すべてが様変わりしたといってよかった。


「3月から8月まで、塾全体が休校になった時、結構オンライン飲み会で女の子と友達になったとか言ってたのは、どうなったの」鈴木が森田に尋ねた。

「鈴さん、九月になったら会おうね、とか言ってた女の子3人いたんですよ。ところが実際に9月に入ってから仙台でのリアル飲み会誘っても、誰も応答なし。まあ、東京在住のメンバーがあのオンライン飲み会はほとんどだったから、仙台まで来るのは、無理なんだべなぁと思いました。遠距離恋愛にさえ発展もしないまま音信不通のパターンで終わった感あります」森田はがっかりした自嘲気味な顔をしながら言った。
「東京の人との交流は、九月になっても結構コロナ感染者出てるから、難しいんじゃない。十月ぐらいから日本全体の雰囲気変わってきたら少し可能性があるかもね」鈴木は苦笑しながら答える。

消毒作業を終えた森田は開け放った教室の窓から、仙台駅方面を眺めながら、深呼吸をひとつした。今日初めて呼吸を許されたような大げさな深呼吸だった。駅の向こうは晴れ渡った青空が広がっている。秋本番の仙台の街を眺めながら森田は鈴木に問いかけた。
「鈴さん、そういえば12月にコンサートを企画しているそうですね。事務の美希ちゃんから聴きました。会場は決まったんですか?」

「ああ、ほぼ決まったよ。3密回避した野外音楽堂で、少人数限定で開催予定してるよ。コンサートホールはリスク大きいからね。
ただ、僕の場合、震災復興の歌を中心に歌ってきたから、もうちょっと
皆を愉しませるような歌を、今は創ってる最中だよ。ある意味暗い歌ばかりだしね。仙台の音楽仲間と実行委員会立ち上げて、平日の夜の打ち合わせも始まったんだ。詳細決まったら、塾仲間にも声がけしようと思ってるから。森田っち、招待するから来てね。寒いだろうから厚着して、温かカイロでもポケットに入れてきてよ」

「鈴さん、是非是非。聴きに行きますよ」そう言いながら、森田は開け放っていた窓を順番に閉め始めた。
「そいじゃ、俺退けるね。仙台駅周辺居るから、あと片付けとかでなんか
問題あったら連絡よこして。戸締りよろしく、森田っち」鈴木は、バックを肩に乗せ、右手を挙げて森田にバイバイしながら、出口に向かった。
「鈴さん、お疲れさま」森田の元気のいい声が教室に響き渡った。


鈴木は教室のある4階からエレベーターでビルの1階に降りると、外に出た。
8月の熱暑の時期とは変わり、9月中旬頃から仙台駅周辺は秋の涼やかな風がケヤキ並木を柔らかに通り過ぎるようになり、過ごしやすくなった。
鈴木は、この青葉通りのケヤキが点在する道を仙台駅に向かうときは気分がなぜか高揚するのだ。性懲りもなく命にまだ積もったままの多くの悲しみの澱がいっとき消え去って、日常の中の当たり前の人間の一人になれる、そんな気がした。当たり前が当たり前にある世界、そして普通の日常。その中の普通のサラリーマンの一人として駅に向かう自分。この感覚が、鈴木は好きだった。遠い昔の楽しかった若き日に戻ったような気分になった。ほっとするひと時なのだ。過去のある時期から、ずっと引きずっている多くの悲しみの冷たい檻から、解放されるひと時の心の平安。
コロナ感染拡大に伴って、リモートでオンライン授業をしていた頃は
心がしんどくてならなかったけれど、ようやく普通に仙台の街をこうして歩けるようになったことが単純に嬉しかった。
もちろん行き交う人はほぼすべてマスクをしている。心なしかみな目がきつい印象を持つが、それは目でしかその人を見ることができないからだと鈴木は思う。みんなこの半年以上の間、それぞれが様々な自粛生活を余儀なくされていただろうから、心のしんどさが、まだ回復していないんだろう。それが目に表れているのだと鈴木は思った。僕だってそうだもんな。多分ほかの人から見たら同じようにきつい目をしてるかもしれない。鈴木はそう思いながら、旧もみじ野ビルの横のエスカレーターに乗って、仙台駅ぺデストリアンデッキに上がると、右側のMOFTビルには今日は寄らないで、駅の出口近くのベンチに向かった。遠目から見ても人はそんなに座っていないようだ。今日もゆっくり読書しよう。

人通りも平日の午後だから、そんなに多くない。夕方まで、静かに
ベンチで読書できそうだな、と鈴木は思ってベンチの近くまで歩いて来た時だった。
どこかから、歌声が聴こえてくる。
もちろん誰かが、生で歌っているのが鈴木にはすぐに分かった。
もしかして、路上ライブを誰かが再開し始めた?
鈴木は、その歌声の聴こえる方を見渡した。PーPALビルの右側の奥で、女の子がギターで歌っているのが、遠目でも見えた。

鈴木は何か新しい時代が来たような期待感が心にわいた。懐かしい想いのワクワクする少年のような心になって、そちらに向かって急いで歩き始めた。近づいていくと、若い女の子がソロでアコースティックギターを弾きながら、歌っている。

ショートヘアで白のブラウスに赤のカーディガン。ジーパンを履き、その足元には黑いハードギターケースが開いている。その前に小さな譜面用スタンド。
そのスタンドには、パネルが貼ってあった。きれいな青い文字で、
【AOI 弾き語り シンガーソングライター オリジナル曲歌ってます♬ ソーシャルディスタンス、離れて聴いてくださいね~】
と書いてある。

今歌い終わったばかりのようで、10名ほど、距離を置いてばらばらに立って聴いている人たちに、にこにこしながら何かを語りかけはじめている。
マイクに繋がったスピーカーから優しい声が聴こえる。彼女の歌を聴いているのは若い女の子たちばかりだった。弾き語りの女の子は、目が二重で優しい顔立ちだった。薄化粧で肌が白い。20代前半ぐらいか、、と考えているうちに、鈴木は遠い昔のふるさとの想い出がじわりと水が湧くように心にすうっと蘇ってくるのを感じた。


彼女の持っているアコギは僕の好きなメーカー製のものと同じだった。
その弾き語る姿を見ているうちに、鈴木は遠い昔の、故郷のことを想い出しはじめたのだった。
むかし、娘が小学校の時分に、ギターを買ってあげて、鈴木は
よく二人でギターを弾きながら、歌を練習したものだった。
その一人娘に買ってあげたアコギも今彼女が抱えている同じメーカーのものだった。
音色が柔らかくて優しいと定評があった。
亡くなった妻に、いつだったか娘と二人で創ったバースディーソングを誕生日プレゼントにデュオしたことがあったっけ。

ああ、いつだったかなんて、、、。言うまでもなく妻の誕生日の夜だった。その娘も妻とともに亡くなったのだったが、生きていたらちょうどこの子ぐらいの年頃になっていただろう。。。。
彼女の話を聞かずにそんな昔のことが心をよぎり始めていた時に
歌が始まった。
ミドルテンポのしずかなギターの伴奏と、透き通るような優しい歌声が聴いている聴衆を包んでいくような空気が流れはじめた。
♬  ふるさとよ 愛しきまちよ 阿武隈の山河よ
   想いでよ 夢の季節よ 離ればなれの友よ
   日隠山の向こうから  西風が 届くころ
   このまちの春は咲くよ あでやかな花々が
   牛は 肥えて子を産むよ なだらかな草原に
   モンシロチョウが舞っている やわらかな陽の中で
   なんてのどかな景色  あたりまえの幸せが
   ゆるやかに過ぎていた あの日 あの時までは  ♬ 


彼女の歌を聴き始めた時から すうっとまわりの風景が
ぼやけ始めて 彼女の弾き語りの姿だけが 鈴木の目の前に近づいてきた。
そしてやがて 彼女のすがたも あふれ出てきた涙で滲み始めた。
鈴木はその場所にうずくまって、流れてくる涙を地面に落としていった。
歌われる歌詞のひとつひとつが、鈴木を遠い昔のちょうど
震災から一年たった三月の牧野石市の
仮設住宅に住みはじめた頃の自分と、多くの仲間たちとの想い出を呼び覚ましていった。懐かしいあの頃の空気が、彼女の歌から流れてきて鈴木を包み込んだ。

♬  浜街道の 海沿いに 潮風が 凪(なぎ)るころ
   このまちの秋は来るよ 実り豊かな大地
   桃がたわわに実をつけて サケが河をのぼるよ
   錦繍の山々 紅く  稲穂のそよぐ 夕暮れ
   なんて静かな 夕陽  暮れなずむ 丘の家
   子供たちの家路を  迎える 父母の 笑顔よ
   ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  ♬
   ~~~~~~~~   ~~~~~~~~~~

         ~~❷へ続く~~

#いつか来る春のために


https://note.com/relive/n/n9138d79ddef8

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