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みんなちがってあたりまえ?!

〜エドカフェNo.24「学校での民主主義を考える」〜


今回のテーマは話題のこちらの本から〜 ↓

「子どもたちに民主主義を教えよう」を読んだ参加者のみなさんから出された「モヤモヤ」をもとに対話スタート!

モヤモヤ その1 

強制参加か、希望制かー(P188)

工藤先生が、音楽鑑賞教室を「全員参加」で実施する案を却下したエピソードにモヤモヤ!

音楽鑑賞教室や合唱祭など、興味のある人だけの参加でよいのか?
興味がなくてもいろいろな体験をさせる中で子どもたちに芽生えるものもあるのではないのか?


泰子さんのちゃぶ台返し!

「みんなのモヤモヤは似ている。私はモヤモヤしない。ウズウズしている。」

これがわかればみんなのモヤモヤはすべて解決!

「目標と目的の違いは?」


わからなかったら「パス」も堂々と言っていい。無理に答える義理はない。

「子どもたちに民主主義を教えよう」これは手段!共に生きるための手段!

では何のために?
子どもたちひとりひとりが幸せに生きていくために。

人は1人では生きられない。
だれかとつながれば社会ができる。
いっしょに生きるためにはルールが必要。
みんなの意見はそれぞれ。どれも大事で一つには決められない。
でもひとりひとりが当事者として「自分で決められる」という意識をもって声を出していい。
自分自身も自分以外の他者も大切な存在として感じながら、みんなが幸せに生きるための合意形成のしかたを、学校で対話を通して学ぶ。

本に書かれているお二人の対話は正解ではない。
このエドカフェで語られることも正解ではない。
思う存分みんなが自分の考えをしゃべれる場。

「鑑賞教室に参加したくない子はさせなくていいの?」というモヤモヤは、本に書かれていることが正解という前提になってしまっている。


目的は最上位。変わらないもの。
目標は目的のために状況によって変わっていっていいもの。


大人が民主主義を大事にしてこなかったから、子どもの不登校、自殺・・・増えているんじゃないの?!

門くぐったら、すべての人が学ぶ場が学校。
人を変えるんじゃなく、自分をアップデートする。
他者との違いを知ることで自分をすごいアップデートできる。
「みんなちがってみんないい」の時代は終わり!
みんなちがわなきゃダメ!それでなきゃ学べない。
みんなちがってあたりまえ!」

民主主義を教えたら、今の子どもの事実が10年後、20年後、どんな姿に変わるか?
どんな姿に変われば、みんな安心して生きられる社会になれる?

人と人のちがいは対等!これをドーンと自分の中に入れて納得できれば・・・

ちがいをなきものにするのでなく、ちがいを尊重し合えば・・・


<違いを尊重し合った大空小の子どもたちのエピソードより>

臭い子も外へ出なくても安心していられる。
「そうか、お風呂ないのか、せんたくしてもらえないのか・・・」
みんなでどうしたらあの子困らんと思う?と雑談する。
雑談してたら最上位目標は自然に生まれる。
(詳しくはNo. 22「指導?伴走?説得?納得?」参照)

<おさらい>
最上位目的・・・誰もが納得する、1番大事な目的
一徳さんの言葉を使うと・・・「自由と自由の相互承認」
泰子さんの言葉を使うと・・・「みんなが幸せ」
(他者の自由を侵害しない限りみんなちがってみんないい)

最上位目標・・・最上位目的に到達するためのもの。状況によって変わる。その都度みんなで対話して合意形成していけばいい。

方法・・・正しいものがあるわけではない。固着するものではない。目的と状況に応じて新しくつくったり、組み替えたりするもの。(対話していれば、方法での対立はなくなる。)


トップダウンはダメ?!〜トップダウンは手段にすぎない〜

校長から教職員へのトップダウンも、教員から子どもへのトップダウンも同じこと。リーダーが上から目線でおろすのはみんなトップダウン。
でも・・・

トップダウンの目的は?
自分の都合が目的のトップダウンは誰一人幸せにならない。
すべての子どもの幸せが目的のトップダウンは必要な戦略。
(合唱祭・音楽教室 やめてしまえ!の裏にある状況を想像してみよう。)


<泰子さんのトップダウンエピソードより>

その1
「(目的がまちがっている)研究授業なんてやめてまえ〜!」

学校や先生評価のための研究授業はいらない。子どもの事実に学ぶ研究授業なら準備はいらないはず。
子どものもっている力にどんな負荷(ミッション)を与えたら伸びるか?これを考えるのが教師。

これ(研究授業)は先生たちから「やめよう」とはならないからトップダウンでやめようと言った。
このトップダウンのあと、先生たちは対話した。
「そうか、研究授業のための授業をやめろってことか?」
「じゃあ、◯人組つくって普段の子どもの姿から学び合おう」
「この子がこんなだった」
「あれは先生が教えたいこと全面に出していて洗脳だ!」
など、好き放題言い合える。

結果・・・子どもの事実がアップデートしたか?の授業研究に変わっていった。


その2
「長期休み前の休みの指導なんてやめてまえ!」

「〜してはいけません。」
「〜してはいけません。」
こんな指導は子どもの事実につながらん!
でも、先生たちは休みの指導しないで長期休みに入るのは不安。
どうする?と対話をした。そうすると、目の前の子に返るような新しいものをつくらなきゃならなくなる。

結果、大空劇団ができた!
例えば・・・
自転車の二人乗りでこける。とか、
たこ焼き屋でおばちゃんをやじる。とか、
「おまえとんでみ!」「ぴょんぴょん!じゃらじゃら・・・」
「金もってるな?出せ!」お巡りさん登場。とか、
かっぽうぎ着た教頭先生が、「◯◯、◯◯、あんたら、そんなんしたら自分かわいそうなるで!」とか。
衣装もそろえて本格的に。

それを見て子どもが作文を書いて休みに入る。

結果・・・問題だらけの子どもたちも、夏休みなど問題行動0だった。
となりの学校で教頭やってたときはたくさん引き取りに行っていたけど・・・



先生たちも、「教えたらあかん!」てビビってないで、どんなミッション与えたら子どもがのびるか?考えて、これというトップダウンならしたらいい。

信頼しているからこそ、綺麗事でなく、本音の爆弾落とせる。

ずーっとあたりまえに引き継がれているもの。
やらなきゃ!と思っているもの。
子どもを主語にしてもやりつづけたらしんどくなるもの。
捨てざるをえなくなる。
そしたら新しくつくれる。
自分たちでつくったものは大事にする。



モヤモヤ その2 

心の教育ー「思いやり」で対立は解消できない(P82)

「心の教育や思いやりでは対立は解消できない」という言葉にモヤモヤ!

いやいや、思いやりがあるからこそ対話ができ、対立解消につながるのでは?
道徳・思いやり・心をひとつに・心を育てる・・・こういう教育があって、対話へもつながるのでは?
心が育てば何かが変わると思っているわけではないが、「変わる」の最初の部分ではやはり「心の教育」は必要なのでは?


心は変えられない。行動なら変えられる。


泰子さん

心なんて見えへん!心を育てる授業、評価どうする?
この子の中に入っていって心のところに行って消しゴムで消せる?

心を育てるなんて洗脳者。

心なんて内心。内心の自由なんてみんなもってる。
「この人きらい」とか・・・そこの自由を他者が土足で踏み込める?そこは自分で大事にしたらいい。

でも行動は変えられる。
心の中は自由にしていても(誰かを嫌いという心の中の気持ちは消せなくても)、行動で、他者を傷つけないようにする教育ならできる。



一徳さん

内心の自由に対して無頓着すぎませんか?

工藤さんの思いは、「思いやり」や「心」の教育を全部ダメ!というのではなくて、「他者を対等に尊重する」ことを1番大事にしたいということ。

共感というものには暴力性がある場合も。苦しんでいる人への共感が、苦しめている人への攻撃性になってしまうなど。

何がなすべき「行動」か?そこにフォーカスしましょう!というのが工藤さんの言いたいこと。

道徳は「気持ち」にフォーカスしすぎる。

どういう「行動」をとれば、みんなの自由が尊重されるか?

最上位目標がしっかりあれば、子どもでも対話を通して解決案を出していける。その一連のプロセスをすっとばして、心の教育(「心をひとつに」「思いやりをもって」「誰とでも仲良く」など)だけでは対立は解決できない。


泰子さん

30人の30通りの気持ちを一つの正解に導こうとする(こういう場合この子はこういう気持ちでいると決めてしまう)道徳の授業で、自己肯定感ズタズタになる子もいる。

自分と違う障害をもつ子に届いた小学校一年生からのお手紙。「〜してあげたい。」という内容が多い中、「こわいと思った。」と(本音を)書いている子がいてホッとした。という参加者のエピソードを受けて・・・
「こわいと思った」と本音が出たらここからのスタート!こわくなくなるのは指導でなく環境。そばにいることでこわくなくなる。

工藤さんの投げかけは、
自律させない、違い認めない、対話の機会与えない、意見を言わせない、従順さをなくすから(みんな一斉に・みんな一緒に・先生の言うことを聞いて)・・・と、なりがちな今の学校を変えたい!という思いから。

一見「心の教育」や「思いやり」を否定しているかのような投げかけだが、それは、対立を「思いやり」や「心の教育」で解決しようとしても、一人一人の理性は育たないということ。

理性大切に、対話の機会与え、違いを認め合い、マイノリティ切り捨てず、適度な依存をみんながし合える、自律する力もてば、
結果として思いやりも心も育つし、愛でムンムンになるよってこと。


誰かから「こうしろ」「ああしろ」と圧を受けて生きていくんじゃなくて、あなた自身が、この地球をつくる当事者ですよ。そういう大人になれば、誰も排除しないし、誰も敵にまわさないし、誰も人のせいにしたり文句言ったりせず、となりの人と手をつないで生きていける。
そんな大人になってね。

そのために子どもたちに民主主義を教えよう!

っていうのがこの本のメッセージ!


一徳さん

教育学部でも、まだまだ「対話」より、「指導」とか「〜させる」という言葉がより多く飛び交う。
そういう言葉を絶対使うなとは言わないが、「指導」や「〜させる」という言葉の後ろにどんな教育がのっているか?どう子どもと関わっているか?が全部出てくるから見直してみるといい。

エドカフェのファンの方に出会う機会が多くなってきた。これからエドカフェのスピリットがじわりじわり共有されていくのでは?

民主主義の1番の担い手は学校の先生たち。
今、泰子さんがご自分の言葉で民主主義を語ってくれた。
先生たちにも「民主主義とは何か?」が語れるようになってほしい。

そのためにもこの動画や本が支えになれば嬉しい。


〜最後に印象に残った場面を紹介します〜


今まであたりまえにしてきた、イベントへの全員(強制)参加を振り返って参加者の先生からこんな声が・・・

「忖度や空気の読み方を教える教育」という言葉にハッとした。自分もそういうことをしてきた。
合唱祭、体育祭で個より集団を優先し、個をないがしろにしていた。

一徳さんの言葉「最上位目標の合意をするためのアプローチの中で、信念の対立でなく、その奥の欲望を尋ね合うことが重要。」という言葉に、「なるほどな」と思った。

合唱祭などのイベントで、「一位になりたい」という欲望で突っ走ってしまい、そこに価値をもたない子を見失っていた。

私も「子どもたちのため」と言いながら、よくよく内面を掘り下げると、自分の欲望で突っ走って、たくさんの子どもたちを置き去りにしてきてしまったな・・・。

毎回たくさんの気づきをいただけるエドカフェに感謝です!

詳しくは是非こちらの動画をご覧ください!






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