生きる意味#1

一昨日、生きる意味・生きる価値という記事を書いた
どうして、書きたくなったのか?と自分に問いただしてみた

「生きる意味」をなぜ「今」なのか?

一番の理由は、わたしの周りにある、色とりどりの人生に触れるにあたって、本当にあなたはそれでいいの?という気持ちが溢れてくるからだろうと思う。
我ながらお節介だと思う
我ながら尊大だと思う
まったくもって、どの口で言うんだ?という思いもわたしを責め立て、苦笑いが絶えない。

でも、わたしほど、生きることに関して、その意味を探し続け、その価値を得ることにこだわり、縛られ続けた人も、割合的にはそれほど多くないように感じる。

このシリーズでは、わたしがなぜ「生きる意味」や「生きる価値」について、深く思い悩み、縛られるようになったのか、そしてなぜ、そこから解放されるに至ったのか、そのルーツを、自分の人生を読み直し、旅をし、過去のわたしと出会い直して、より明確にするために、書き進めてみたいと思う。

書き口が「です・ます」ではないのは、あなたに向けて、というものではなく、未来のわたしが読み直して、わたしがここまでを、どう考えて、どう生きてきたのかを再確認するために、つまり、未来のわたしへのメッセージとして書いてみたいと思ったからだ。

もし、酔狂にも、わたしの「生きる意味・価値」について思い至る歴史に興味をいただいて、共に目撃者になって下さる方がいらしたら、ここでまず、このことについて、お詫びをしておきたい。

失礼をご容赦ください。



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