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人生が描き出したEL構想

昨日はたくさんのスキをありがとうございました。

こんなにたくさん関心を持っていただけて50のおっさん、無邪気に嬉しいです。

昨日は組織運営に必須な理念、その理念は個人の場合はその人の人生、組織の場合はその組織の歴史から湧き起るものだと思うというお話をさせていただきました。
起業は理念・理念は人生・人生は物語

それじゃ、あなたの理念は何を創ろうとしているの?
という声が聞こえてきそうだったので、今日は少し、2022年に51才になるわたしが、コロナ禍のあおりを受けて現在のお店を閉め、次に何に挑戦したいと思っているのかを聞いていただけたらなぁ~と綴らせていただくことに致しました。

わたしの人生・わたしの理念

昨日、聞いていただいたように、わたしは大学生の頃にかけがえのない友人を白血病にさらわれ、2人分生きようという決意による挑戦で自分の身体を損ない、20代の最も輝くべき時代に、身体の制御で手いっぱいとなり辛酸をなめるような5年余りを過ごし、その中で、自分の身体が自由になったら、自分のように苦しんでいる人の助けになりたいと思うようになり、このわたしの人生の物語が、今も、そしてきっと今後も変わることのない、わたしの理念として生きづいています。

この理念に、現在に及んで、わたしが積み上げてきた経験や技術が溶け合って描き出したのがEL(いえる)構想です。

わたしの経験と技術(人生の財産)

わたしは主に療術士(セラピスト)として20年余りを過ごさせていただきました。

わたしの技術の主力は療術士として結果を出す技術です。
わたしの技術の特徴はまた機会があったら聞いていただきたいと思います。

わたしは接骨院で修行させていただいている頃から、心が上がってこないと治りが悪いと肌で感じるようになり、屋号を「心身快復・りらくぜーしょんStudio眠音(みんと)」としました。

4年目を迎えてすぐ、以前から独学していた心理学を元に、心理カウンセラーの認定を受けました。

それ以来、セラピーの中でもカウンセリングのノウハウを活かすようになり、ことあるごとに、ボランティアでカウンセリングをさせていただいたりするようになりました。

なのでわたしは、整体・リラクゼーションのセラピストでありカウンセラーという療術士になるんだろうと思います。

ですが、実は、中学生の頃から40才を過ぎる頃まで、わたしは学生・フリーター・個人事業者の傍ら、ずっと、父の百姓(稲作)を手伝っていました。

35年も前から減農薬有機米を手掛けた現在93歳の我が父

父が85才の時トラクターの下敷きになる事故を起こし、それ以降は水田を長兄に任せたので、父とわたしの二人三脚は幕を閉じましたが、父の米作りを四半世紀の間一番近くで見てきたのはわたしだと思っています。

助けに駆けつけた兄は父はもう助からないと覚悟したと言っていました

今では祖父の姿に憧れていた姪が、父のあとを継いで農業をやってくれています!

姪のチャレンジを取材して下さった記事があるので是非見てあげて下さい!

姪はいろいろなことを学び挑戦を繰り返しています。
叔父のわたしも、彼女ほど頑張れないと舌を巻くほどです!

ですが、やはり、父の作りと研究家である姪の作りは違うのです。
わたしには、今一度父の米を再現したいという願望があります。

そしてもう一つ、わたしは20代の頃のから、町おこし的な組織に関わっていました。

その頃から、市町や国、そして世界の仕組みについて強い関心を持ち調べていました。

2014年からは、心から尊敬と信頼を寄せている市議会議員さんに協力をいただきながら、市政を中心とした情報配信番組をYoutubeを使ってやり始めました。

8年300回を目標に開始した番組は只今285号を数えています。

毎週のように収録と編集をする中で、地方行政や政治についてだけでなく、動画の編集や配信についても多くのことを学ぶことが出来ました。

また、これらの経験が役に立ってか立たずか、たくさんの市民活動のお手伝いをさせていただくことも出来、わたしには過ぎた素晴らしい人たちとの繋がりをそれなりに得る事も出来ました。

実のところ、この繋がりこそがわたしの人生にとって最も大きな財産なのかもしれないと思っております。

理念と財産が紡いだEL(いえる)構想

苦しんでいる人の助けになりたいという理念
療術士・百姓・動画・人との繋がりという財産(経験・技術)

この理念と財産が創り上げてくれたのがEL(いえる)構想です

ELと言う名前には言える・癒える・家るというイメージに、こういった考え方や活動がExtra-Largeに広がって行くようにと言う願いを込めました。

具体的には、過疎の山間地域である故郷に空家を借り、まずはマッサージ屋さんとして生計を立てられるようにするのが第一で、それと共に受け入れていただいた集落の皆さんの苦しみや困りごとに耳を傾け、出来うる範囲でお役に立ちつつ、拠点である集落の皆さんにELの活動を愛していただける環境を整えるのに2~3年をかけていきたいと考えています。

長いと思われるかもしれませんが、歴史のある集落に他所から入り、可愛がっていただけるようになるまでには、3年でも短いくらいだと思っています。

米作りの方は、2023年度から、ほんの小規模(10アール程度)から始めてみたいと思っておりますが、これも、集落の皆さんにご迷惑にならないことを大前提として進めていきたいと思っています。

最終形態としては、集落の皆さんの支援を受けながらシェルター(駆け込み寺)事業を行い、受け入れたクライアントさんには農業を経験していただく農セラピーを施していきたいと思っています。

そのELの活動を、構想段階からツイキャスやFB・Youtubeを使い分けつつ余すところなく発信していこうと思っています。

シェルター事業には、こういった事に理解を示して下さる多くの方からの、広く浅い支援が必須となってくると思います。

シェルター事業やカウンセリング事業は、経済的に困窮している方からの需要が高いので、利用料は、基本、感謝払いとしていきたいと思っています。

しかし、行政からの支援を受けると、助成申請などに多大な労力が必須となります。

こういった活動に、そんなことをやっている暇はありません。
想いを一(いつ)にする人たちと共に、誰もが負担を感じることなく、笑顔いっぱいで苦しんでいる人たちの助けになる事業が出来るモデルを作っていくの事がELの最終目標です。

支援をして下さる人達にも「応援しているつもりが応援されてた!」「力になろうと思ったら笑わされた!」「関わってるとアガル!」「なんか居心地が良い!」そんな風に感じていただけるELでなければ、Extra-Largeに広がって行く余地はないと思っています。

わたしの今の妄想は誇大すぎます。
最後までこのお話を聞いて下さったあなたの知恵も、是非ともお貸し下さい。
よろしくお願い致します。


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