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起業は理念・理念は人生・人生は物語

療術士をしています

整体師・マッサージ師・鍼灸師。。。
いろいろなカテゴリがありますが、これらを総じて療術士と分類されています。

わたしは療術士=セラピストと呼んで問題ないと思っています。
ですがセラピストと言うのは技術職としての療術士とは一線を画している部分もあると思っています。

セラピストとは、アプローチは様々としても、会得した技術を駆使してクライエント(お客様)の損ないかけている人生を支え、幸せを願い続ける人たちのことを言うんじゃないかと思っています。

逆に言えば、いかに結果を出せる技術を持っているとしても、クライエントの幸せを願えない人はセラピストとは言えないし、いくら願う力が強くても、そのために学び、技術を磨こうとする意志や実績のない人もセラピストとは言えないんだろうと思っています。

鍼灸師・柔道整復師・公認心理士・臨床心理士など、国家資格をクリアした人であったとしても、その資格はそのままその人をセラピストと至らしめないだろうと思わされる機会が、これまでのセラピスト人生の中で沢山ありました。

クライアント様との記念撮影(笑)

わたしは他者評価としては必ずしもセラピストとして認めていただけないかもしれませんが、自己評価としては、仕事以外の時でも常にセラピストでありたいと心掛けています。

セラピストを志した理由

わたしは生まれも育ちも大変に恵まれていたと自認しています。

中学生の頃から新聞配達もしましたし、経済的には決して裕福ではありませんでしたが、威厳のある父と優しさに溢れた母、そして年の離れた4人の姉・兄に囲まれて、豊かに育てていただきました。

姉や兄がそうしたように、わたしも高校卒業と同時に就職することを中学生の頃から受け入れていた記憶があります。

ところが、高校3年生の時、担任の先生に、これだけの成績があるんだからと、家計に負担をかけないでも学べる夜間の短期大学を勧められ、母や姉たちの後押しもあり、新聞配達やお年玉を元に貯金していたものを入学金とし進学をしました。

その大学生活の中で、わたしは高校生の頃からの友人を亡くしました。
白血病でした。
彼女は高校1年生の初冬に初めて入院し、2年生・3年生と短期入院はあったものの通学時には、彼女が持つ明るさ・優しさをどこも陰らせる風もなく、高校生活を送ってくれました。
そんな高校3年生の秋、わたしは彼女の病名を、ひょんな事から知ってしまいました。
卒業後も、わたしは、彼女の入院の知らせを聞く度に、許される範囲で彼女の病室に顔を出しました。
そして彼女は、看護スタッフにもわたしにも恨み言ひとつ漏らすことなく、二十歳の春にこちらから旅立ってしまいました。

姪に書いてもらったイラストとかけがえのない偉大な友人からのお手紙

いろいろなものを抱えてしまっていたわたしは、生まれて初めて、生きる気力を失ってしまいました。
2か月ほどで立ち直るきっかけを得て、その時に誓ったのです。
2人分生きる!

そして、幼い頃に描いた夢を追い、競走馬と共に生きる仕事を求め、短大卒業と共に北海道へ移り住みました。

しかし、現実は甘くありませんでした。
成人するまでに馬に乗ったことのないような者が、競走馬を育成する仕事に就くという例は、当時はほとんど見当たらないもので、全員が経験者である中、1人だけ未経験者が混じっての研修・訓練。

お世話になった日高軽種馬育成公社の皆さん

それでも何とかそれなりになり始めていた頃、落馬事後にあって帰郷・手術。
そして、担当医からの無情の宣告

1年弱の短い間ではありましたが、常に120%以上の出力で積み上げた全てが、ガラガラと崩れ落ち、しばらくは何も考えることが出来ませんでした。

病名は外傷性椎間板ヘルニア。
手術は30年ほど前の当時としてはかなり大規模で、結果としては大成功だったと思います。
実際、術後、手術による傷口の痛みよりも、あれだけ苦しかった左足の痛みが取れている事に衝撃を受けたことを、今でも鮮明に覚えています。

退院して3か月ほどが経ち、少し動けるようになったころ、わたしは異常なほどに焦り始めていました。
同期たちが社会人2年目を迎え躍進している。
昔の彼女が結婚して母になる。
自分だけが取り残されている感覚に怯えていたんだろうと思います。
そんな心情の中、まだ身体が充分でない頃に就職して神経痛が再発し辞職。
それからは自分に沢山の言い訳を言い聞かせ、ひたすらバイトを掛け持ちしながら、この身体を制御するための方法を模索し続けました。

結局、手術をしてから、これで充分と自信を取り戻すまでに5年以上の月日を費やしました。
身体が思うようにならない事、健康を損なうという事のせつなさや苦しさ、まさに辛酸をなめるような毎日でした。

そんな時間の中で湧き起ってきたのが「健康をサポートする仕事」で生きていきたいという想いでした。

自分が思うように仕事が出来るようになったら、今の自分のように苦しんでいる人の助けになりたい

セラピストとして20年を過ごしてきたわたしを産み育てたのは、始まりも今もこの想いが全てです。

人生は物語・理念は人生

わたしも40代に入ってから、自分の人生を振り返る機会が多かったのですが、わたしのようななんでもない人間の人生も、振り返ってみれば壮大な物語のように感じます。

そして、コロナ感染症対策によるコスト高が主原因となり、営業16年目に入った眠音と言うお店を今秋で閉める計画をしているわたしですが、新事業についても「苦しんでいる人の助けになりたい」という理念には何ら変わりがありません。

よく事業には理念が重要だと耳にしますが、個人の場合は、その人の人生と言う物語こそ理念そのものなんだろうと思います。

企業や団体の場合は、きっとその組織の歴史こそが理念なんだろうと思います。

歴史はヒストリー
His story=彼の物語

やはり、理念とは物語の中から湧き出てくるものなんだろうと思います。

起業も理念・理念は物語

わたしもそうなのですが、このコロナ禍で職を失った方。
特に、今までとても苦しい人生を送ってこられた方。
是非とも起業して下さい。

事業を起こす時、最も重要で作成が難しいのが理念だとしばしば耳にします。
理念とはあなたの人生の物語です。
どなたの人生も例外なく壮絶で壮大ですが、たくさんのご苦労をされた方ほど、その物語は感動的なものになると思います。

感動的な人生の物語はそのまま感動的な企業理念となるに違いありません!

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