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書くことの霹靂──鏡花と古井をめぐる架橋的エッセイ

 私たちが書き始めるとき、私たちは始めているのではなく、あるいは、書いているのではない。
──モーリス・ブランショ『書物の不在』

 書くことの霹靂、という言葉がふっと脳裏に揺らいだのは、この文章を書いているときではなく、泉鏡花の小品を読んでいるときだった。
 なるほど鏡花の読者なら、彼が稲妻の比喩を多用することに気づかずにはいられないのかもしれないが、私にこれはひとつの発見だった。自室にトウモロコシをぶら下げ、雷よけとしていたくらい苦手なのにもかかわらず、その形象がこれほどまでに使われるというのも不思議ではある。
 不思議であるからこそ、それが彼の創作の深いところとどこか共鳴していたのかとも考えてしまう。ただ反復される意匠の数々を特段に論いたいというのではない。その意匠を生み出す根底の想像力にこそ、鏡花の閃く霹靂のような言葉が生まれる一瞬はあるのではないか。
 

 真夏などは暫時の汐の絶間にも乾き果てる、壁のように固まり着いて、稲妻の亀裂が入る。──『海の使者』(明治四二年)
 光る雨、輝く木の葉、この炎天の下蔭は、あたかも稲妻に籠もる穴に似て、もの凄いまで寂寞した。──『伯爵の釵』(大正九年)
 雪にもみじとあざむけど、
 世間稲妻、目が光る。
    あれあれ見たか、
      あれ見たか。──『縷紅新草』(昭和十四年)

 稲妻はその形や音、鮮烈な光に至るまで比喩に用立てされる。初期の作品から晩年まで、一貫して用いられる。
 たとえば、『伯爵のかんざし』。国書刊行会の『日本幻想文学集成』におさめられているが、これを吉祥寺の古書店で落手し、そのまま井の頭公園で読んだ覚えがある。旱魃にあえぐ金沢の街にやってきた地方巡業の一座の女優が、雨乞いの舞を試みるも上手くいかず、群衆からさんざんに罵倒された挙げ句ついに兼六園の池へ身を投げると、龍女の姫神がにわかに正体を現して、滝のような雨を降らした、という一種の霊験譚である。『草迷宮』同様、枠物語として語られる。初夏の井の頭池を前にその場面が現実世界と重なり、かすかな目眩を覚えた。重なるというか、侵食すると言ったほうが正しいかもしれない。
 引用した箇所は結びに降る大雨ではなく、冒頭部分である。浦安神社の御手洗の前に、姫神が稚児の姿でまえもって現れるというのも、単なる霊験譚に汲みつくせない技巧が凝らされている。神社の祭神が水を司る龍神であり、霊沢金水という井戸を奥の院とする前殿だと説明される。その井戸まわりを描写した箇所である。
「光る雨、輝く木の葉」などと神秘的に描かれる場所は、「稲妻に籠もる穴に似」るという。奥の院が異界的モチーフに埋められるのに対して、稲妻はその「穴」の外に閃き、静寂をいっそうと静寂たらしめるのだ。しかし『縷紅新草』冒頭では「世間稲妻、目が光る。」とある通り、世俗世界を異界化するにも使われる。両義性があるように思う。

 稲妻のごとく、胸間にひらめき渡る同情の念を禁ずることを得なかった。──『式部小路』
 「虫が来て此処へ留ったんです、すっと消え際の弱い稲妻か、と思いました。──『浮舟』 

 物語を二つに割ってしまうほどの瞬間性。それは電撃の衝撃を表すこともあれば、かすかな焦げ臭い残り香を漂わせてたち消えることもある。鏡花は言うまでもなく自然主義文学から縁の遠い作家だったので、書くことを書く、というような私小説的な自己言及性を見てとるのはむずかしい。だが、鏡花の稲妻は幻想世界から降ってくるように見えて、仮想と現実とを「ひらめき渡る」橋のような役割を持つのではないか。
『化鳥』や『日本橋』をはじめとして、橋は鏡花文学にとり重要なモチーフである。『ウェルギリウスの死』などを訳したドイツ文学者である川村二郎は、『白山の水 鏡花をめぐる』というエッセイ集のなかでこう言っている。「橋はひとまず様子の知れているこちら側と、何があるのか分らない向う側とを結ぶ。何があるのか分らないという気持だけでも、向う側に異形の怪物を幻視する契機となり得る」。
 現実と虚構、この世とあの世とを渡すこのモチーフを言語に類比するのは無理があるだろうか。いささか唐突な援用かもしれないが、フィリップ・グルントレーナー(Philip Grundlehner)というニーチェ研究者は『詩の橋』(The Lyrical Bridge: Essays from Hölderlin to Benn, Fairleigh Dickinson Univ. Press, 1979)という著作でドイツの詩人における橋の象徴的機能を分析し、断片を繋いでいく創造過程こそが架橋的性格を持っていると看破した。通過(パッサージュ)の空間を描く作品が形式としても通過的となり、それを読む読者の位置までもがどこかへと移される。「こちら側」と「向う側」をむすぶのは、作品の余白に秘められた創造への潜勢力に他ならない。
「人間がもつ偉大なところ、それは、彼が橋であって、目的ではないということだ」とはニーチェ『ツァラトゥストラ』の言葉だが、目的なき手段としての、非ポイエーシス的な身振りの創造過程とは、まさに人間と言語とのあいだの媒介的関係にふさわしい。「芸術作品は、たとえば身体や有機体などのように、芸術家なしに現われてくる。[…] 程度はどうであれ、芸術家はひとつの大前提でしかない。世界は、芸術作品として自己自身を分娩するのだ」(『権力への意志』)。

 地震、と欄干につかまって、目を返す、森を隔てて、煉瓦の建てもの、教会らしい尖塔の雲端に、稲妻が蛇のように縦にはしる。──『木の子説法』

 鏡花にかかれば自然現象としての稲妻も、どこか虚構じみた響きを帯びてくる。むしろ、稲妻の亀裂から幻想が滲み出ているとすら言える。いわゆる「中間地点」。あるいは境界としての橋の欄干につかまっていると、稲妻の強い光、轟きを契機として、物語は一気に虚構へと傾く。それは、ここにある「蛇のように」という比喩からも明らかなことだろう。鏡花は蛇も嫌いだった。
 たとえば『春昼』の冒頭はのどかな随筆調にはじまるのだが、「一匹いたのさ──長いのが。」とそれが名指されるやいなや、たちまち物語の筋は蛇の出た家、その家に住む女、女の抱える謎へとうねるようにして流されていく。こうした蛇のもつ曲線的イメージを考えると、ふつう、折れ線のようにして落ちる稲妻の、縦に伸びるを蛇にたとえてしまうのは乱暴である以上に、虚構が現実より現実を表してしまう妙理に触れている。虚構にすぎない言葉でもって現実の事物を描かざるをえない、小説家という職業と重ねてしまうのは、それ以上に乱暴なことだろうか。

稲妻に道きく女はだしかな

 鏡花は俳句も詠む。この句と出会ったのは今年の夏、鏡花の故郷である金沢を訪れたときだった。かつての生家には記念館も立っていたが、そこではない。同じ加賀の文豪、室生犀星の記念館では朔太郎没後八十年に合わせ、「詩の双生児──君は土、彼は硝子──」という小粋な展示が催されていた。その片隅に、「魚眠洞通信」と呼ばれるフリーペーパーがひっそりと置かれていた。ちょうど帰りしなに立ち寄ったので、これに目を通したのは東京に戻ってからになる。
 東京に戻ってから、あらためて鏡花や犀星を読む気にもなれず、手に取った「魚眠洞通信」には「門をくぐる」と題して、鏡花、犀星、芥川、漱石など文豪の俳句にまつわる川上弘美のエッセイが掲載されていた。そこで出会ったのである。いわく、「作家のつくる俳句は、その小説とつながっている」。たしかに先の句は鏡花の物語世界をそのまま切り出したかのような印象も受ける。だが、「作家のえらぶ俳句は、その小説とつながっている」とは言えないものか。わざわざ稲妻の句を引いたところに、鏡花の「蛇」的世界への共感があるのではないか。
 「ミドリ公園に行く途中の藪で、蛇を踏んでしまった」。川上弘美の芥川賞受賞作、『蛇を踏む』の書き出しである。踏まれた蛇は「踏まれたので仕方ありません」と言って人間のかたちになると、主人公の家に棲みつくようになる。
 句にある、稲妻の降る雨に「はだし」でいる女は、ともすると蛇のような存在であると思われてくる。道という人間的な構築物──蛇を踏むのは藪である──を尋ねる立ち振る舞いと、裸足との対照を分かつものが稲妻なのだ。

 そこを通って、両方の塀の間を、鈍い稲妻形に畝って、狭い四角から坂の上へ、にょい、と皺面を出した…… ──『白金之絵図』
 かる霜夜に、掻乱す水は、氷の上を稲妻が走るかと疑はれる。──『妖魔の辻占』
 ひぐらしが谷になって、境は杉の梢を踏む。と峠は近い。立向う雲の峰はすっくと胴を顕わして、灰色に大いなる薄墨の斑を交え、動かぬ稲妻を畝らした状は凄まじい。──『星女郎』

 思えば、稲妻が走るのは道ではない。湿気が多いところやイオン化の進んだところなど、空気中の電気抵抗が小さい場所を探し折れるように進んでいく。進むところが道となり、道を作った瞬間に、それはたち消えていく。
 書くとき、あるいは読むときでさえも、私はどこか道を探しているように思う。視線は、まだ文字の書かれていない余白の空間に滞留する。そのうちふっと視界が暗くなって、これから進むべき道だけでなく、進んできた道でさえもそれを支えるものが崩れつつあるのではないかという不安のために、幾度も、幾度も振り返っては「書かれえたかもしれないもの」や「読まれえたかもしれないもの」の幻想を捨てきれず、しかしそれら無限の深淵を眼差すことによって、作品は決して、作品がその深淵のなかへ自ら身を投じないかぎり「完成」しないのだと信じることによって、私は書く/読むことができる。
 田村隆一の『詩集1977~1986』におさめられた詩に、「ぼくの聖灰水曜日」というのがある。「エピローグがプロローグに/独白が対話に/対話が劇になる瞬間/その瞬間を閃光がつらぬき/空白がひろがり/沈黙が雷鳴のごとく鳴りひびかなかったら/言葉は人間をつくってはくれない/言葉が崩壊すれば人間は灰になるだけだ/その灰を掻きあつめる情報化社会の奴隷たちに/五分前!」
 雷鳴のごとき沈黙は、あたかも「稲妻に籠もる穴」に似て、言語に潜む根源的な創造過程を詳らかにする。そして、この音声なき状態に自らを曝し、自らを言うことのできない空白に曝した瞬間、稲妻が縦に、横に、あるいは蛇のようにうねりながら、声から文字へ、事物から比喩へ、虚構から現実へ、過去から未来へ、あらゆる対立項を越境しながら結びあわせる架橋となって、しかしそれはまたたく間に崩れていく。その稲妻は比喩を、幻想を、あるいは比喩としての言語を介して無方向的に枝分かれし、書くことの、そして読むことの直線的ではありえない空間的広がりを一瞬、幻視させるのだ。読むことの霹靂という言葉は、鏡花文学にこそふさわしい。
 
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 春の山には人の道が絶える。雪の白みが山肌を覆い、樹々はほの暗い影をおとす。隊列を先導して、雪をふみわけ、道なき道をひた進んだ記憶がある。たまに夢にも出る。


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 以降は2022/11/20開催文学フリマ東京35、第一展示場N-02にて頒布される『雷鳴』にて読むことができます。ぜひお立ち寄りください。

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