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なにかをつくって、集積し続けることの大切さとかとか。

 さいきん、”なにかを成し遂げたい”と思うことがおおいし、なんとく、世間的にも何かをしなくては、みたいな空気感がすこしだけあるように思う。若いうちに、なにものかに、ならなきゃいけないような、そんな気がしてしまう。

 だけれど、その手段とか、有名になることだろか、たとえばSNSのフォロワーを増やすだとか、起業するとか、そうゆうことばかりに目がいってしまって、「じゃあ、それを通してなにがしたいの?」が、わからなくなってしまったりする。

 わたしも、起業もしたいし、あたらしいことに挑戦したい。でも、それをして何になるの?ってふとした瞬間に、なんだか違う方向にいってる気がしてきちゃう。SNSのフォロワーを増やしたいなーとも思うけれど、そもそもなんのために増やしたいと思ってんだっけ?って。

 それよりも、なんだか自分だけ好きなことがあって、それをとことん突き詰めて行くほうが、ものごととして自然だし、そんなふうになりたいと思う。そんなことを考えたので、「自分にしかできないことをつくって、それを徹底的に続けるということ」という大切さを感じています。

補足:この文章は2018年ごろに書いたものなので、ちょっと昔の内容があるかもしれませんが、ご了承ください。

1なんでも行動することの強み

行動量は大事、ということをよくわ言われているけれども、「ほんとうにそうだな」と思ったのは、都築響一さんの「圏外編集者」を読んだから。

 彼の多くの作品は、ひとびとの日常生活を集めたものだったり、ごくごくその辺に広がっているものを題材としているものが多い。それでも、彼がそれらを取材対象として取材するまでは、だれもやらなかった。だれもやらなかったから、やったことがオリジナリティの溢れるものになるし、魅力的なんだと思う。

 そして、そうゆう行動をするためには、専門家であるとか、有識者であるとか、そうゆうことは関係ないんだ。やったか、やらないか、その違いだけ。シンプルですよね。

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2たくさんの量をこなす、人にできないくらいこなすこと

 そして、さらに驚いたのが、その圧倒的な量。よく「質か量か」という問題があったりするけれども、圧倒的な量をこなしてはじめて、なにかが自分のものになったり、技術が身についたり、次の方向性が見えてきたりすることって、ありますよね。

 そんなふうにして、量を集めることによって、どんどん蓄積されていくとゆうか、質をあげることのげきるちからがついていくように思うのです。だから、最初のうちはしのごの言わず、「とにかく行動にうつす」「結果をだす」に注力するのは、大事かなーと。

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