ヴァルナ制の変容

問題

難易度: ★★★★★
バラモン教にみられる族姓(ヴァルナ)のあり方は,『マヌ法典』などの古代の文献にみられるヴァルナとは異なっている。それはインド古代社会の変容をあらわしていると考えられる。どこが異なるか,60字以内で記せ。

配点: 5点 首都大学東京(2005)

採点基準

かなり難しい問題です。予備校・教師の回答を比較しても、バラバラな回答例になっていて、受験生にとってはお手上げな一問。ここでは前6世紀以前とグプタ朝期(マヌ法典が生まれた時代)を比較し、何が変化したのかを整理して配点を決めました。

・バラモンの地位が低下したこと、あるいはクシャトリア・ヴァイシャの地位が向上したことに触れていれば +2点
・不可触民層が生まれた点に触れていれば +1点
・ヴァイシャの業務がシュードラ・不可触民に移行したことに触れていれば +2点

解説

経済面での変化

前6世紀ごろ、商業が活発化したことを「前500年前後に起きた宗教の革新運動」で解説しました。軽く説明すると、農業技術が高まり、人口が増え、都市が生まれ商業が活発になった、ということです。すると商業を営んでいたクシャトリア・ヴァイシャ層から富裕民が生まれ、バラモンへの反発が起こりました。やがて仏教・ジャイナ教が生まれ、バラモン教の影響力が古代インド社会で低下しました。ここまでは前6世紀までの話で、ここからマウリヤ朝の時代に入ります。

民族面での変化

マウリヤ朝では仏教が王朝を支える宗教だったので、さらにバラモン教の影響力は低くなっていました。さらにクシャーナ朝は、アーリア民族が作った王朝ではなく、ギリシア系民族が作った王朝で、アーリア人が作ったアーリア人のためのバラモン教はますます衰退していったのです。そして320年、アーリア人が作ったグプタ朝が興ると、バラモン教は復興し、純インド的な文化が発展しました。しかし衰退しきったバラモンたちの影響力は過去ほどは維持できず、相対的に権力が低下していったのです。
 
さらに、このグプタ朝の時代になると、仏教徒もジャイナ教徒も多く、一方でヴァルナ制の影響から部分的に解放されていた先住民の影響力も増していました。なので以前のようなヴァルナ制も変化したのですね。先住民(シュードラ)の下に、不可触民を配置し、日常業務の中でもダーティーな業務を彼らにやらせるようになりました。この不可触民は戦争捕虜や奴隷が主な担い手でした。

解答例

バラモンの地位が相対的に低下し、不可触民層をつくり、ヴァイシャが受け持った業務がシュードラ・不可触民に移行した点。(57)

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