見出し画像

金ヶ崎の退き口

「浅井が……?」

 その報を聞いた時、織田信長は目を数回パチパチと開閉させた。意味がわからないと言った様子である。

(まるで子どものような反応をなさる)

 傍で様子を見ていた幕臣明智光秀は思った。光秀が見る限り、信長には少年のような無邪気さがあった。

 その「少年」信長は、金ヶ崎に在陣中である。彼の元に北近江の浅井長政が突如同盟関係を破棄して攻め込んでくるという報が届いたのだ。織田軍は現在、越前の朝倉義景領を攻めていた。若狭の武藤氏攻めを終わらせた余波で、朝倉の諸城を落とした。既に手筒山城、金ヶ崎城、疋田城などを落としている。

 戦果は上々である。そんな時に飛び込んできたのが、浅井の突然の寝返りの報であった。

 信長はしばし考え込んだ様子であったが、やがて声を出した。

「虚報であろう」

 甘い見通しであったが、そう思うのも当然であったかもしれない。浅井家には、妹のお市を嫁がせている。完全な婚姻同盟であり、これにより長政は身内になっている。裏切るはずがない、という固定観念があった。

 さらに理屈をつけるならば、今回の織田軍は将軍足利義昭の信任を受けている。実際、室町幕府の幕臣が何人も派遣されていた。実質はどうであれ体裁としては足利・織田連合軍でもあった。織田に背くということは、京都の将軍家に背くという理屈にもなるではないか。

「おおかた朝倉の策謀であろう」

 と、信長は左右の者につぶやいた。嘘の情報を流し相手を混乱させることは、戦国時代において常套手段である。今、織田軍の攻撃で窮地に陥っている朝倉軍が適当な情報を流したのだろう。

「はは、朝倉め。その手には乗らんぞ」

 信長は悠々としている。朝倉攻めをいかに進めようかと思案していた。

 が、やがて浅井の裏切りが本当であることがわかった。続々と入ってくる情報を統合すると、浅井は裏切っただけでなく、朝倉と共に信長を挟撃しようと画策しているらしい。さすがに信長も現実を受け入れるしかなくなった。

 次々と入ってくる報に信長の顔が青ざめていき、今度は逆に怒りで顔が真っ赤になっていく様子を、光秀たちは恐る恐る眺めていた。場に静寂が流れ、しばらくの間の後、信長の怒声が響き渡った。

「浅井めッ、何のつもりじゃ!」

 激昂したのも無理はない。これでは何のために妹を嫁にやったのか。妹を取られて、裏切られる。馬鹿にするのもいい加減にしろ、と叫びたかった。

 とはいえ、信長も浅井家を対等の同盟者としては見ておらず、自分の部下のように接していた面もあったようだ。そういう小さなことの積み重ねが浅井の離反に繋がったのかもしれない。

(いかがすべきか……?)

 激しい怒りが身を包む、が、そこは百戦錬磨の男だ。その反面では今後のことを考える冷静さも持ち合わせていた。こうしている間にも浅井軍は接近してきている。

(いっそ、)

 と、信長は思った。いっそこの場で迎え撃ってやろうか。そんな考えが頭をよぎった。信長の元には今なお十分な兵力がある。しかもこちらは朝倉家の諸城も手に入れている。これらを活用すれば、何とか……。

(いや、無理だな)

 が、すぐに自らの考えを打ち消した。いくら怒りにかられているとはいえ、無謀な賭けに出るべきではない。このままでは浅井家と朝倉家から挟み撃ちにされてしまう。数の優位があったところで、勝てるとは思えない。それどころか、最悪の場合は敵中で孤立する。

「殿、お逃げくだされ」

 そう進言したのは、木下藤吉郎秀吉である。美濃攻略戦で大いに活躍し、その才覚は信長も高く評価していた。その横では、幕府から派遣されていた明智光秀もうなずいている。

「殿軍はこの藤吉郎めにお任せを」

 信長は頷いた。こうなれば信長の仕事は早い。直ちに池田勝正、明智光秀などに殿軍全体の指揮を任せ、秀吉には一部隊を率いることにさせた。秀吉に全体の指揮を任せなかったのは、池田勝正、明智光秀などの方が地位が高かったからである。咄嗟のことながら信長は、そう言う気配りもしっかりできた。

  大まかな指示を出した後、すぐに信長は馬上の人となった。光秀が「くれぐれもお気をつけて」と声をかけようとした時には、既に信長の姿は遠くに消えていた。供回りわずか十数人連れての撤退である。

(逃げ足が速いのも、子どものようだな)

 光秀は好意を込めた苦笑をしつつ、信長を見送った。これからが光秀たちの大仕事だ。浅井、朝倉を相手取りながらの撤退戦が始まる。

 旧暦4月30日 信長京へ到着。

 織田本隊も窮地を脱し、徹退成功。信長は、やがて浅井、朝倉との長い戦いへと突入していくことになる。


 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?