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源頼朝&源義経 人生ハードモード突入! 「平治の乱」で源氏ボロ負け

歴史を「人物相関図」を使ってご案内するnoteです。最初のシリーズは源頼朝と源義経、ドラマチック過ぎる兄弟2人のストーリーを数回に渡ってみていきます。2人の人生を簡単に紹介した前回の記事はコチラから。
今回は2人の兄弟の波乱の人生が幕開けする戦乱を見ていきます。

「平治の乱」で平氏と源氏が激突!

時は1159年。12月。さむーい冬の京都。

朝廷では信西(しんぜい)という僧が政治の実権を握っていました。
そして信西とつながりの強い武士・平清盛もどんどん勢力を伸ばしている。
平清盛は平氏一門の棟梁。西国を中心に力をつけている武家です。

そんな信西・平清盛チームに対抗心を燃やしていたのが貴族の藤原信頼(のぶより)。この人はものすごく出世欲が強く、信西をねたんでいる。

藤原信頼が手を組んだのが源氏の棟梁・源義朝(よしとも)です。

源義朝は主に関東に勢力を持つ源氏一門の長。源義朝も自分よりも出世していく平清盛=平氏に歯がゆい思いを持っていました。

藤原信頼と源義朝は結託し、平清盛が熊野詣に出かけ京都を留守にしていた隙に挙兵。後白河上皇、二条天皇の身柄をおさえ、クーデターを起こします。これが「平治の乱」です。

源氏側は、源義朝の長男・源義平(よしひら)も参戦。
この源義平は「悪源太(あくげんた)」という超強そうな異名を持っています。そして、実際、鬼のように強いです。

そして! この戦が初陣となるのが源頼朝の三男・源頼朝。この時、まだ13歳です。
源義朝は源頼朝に光るものを見出し(母親が高貴だったこともあわせて)、
源頼朝を「源氏の嫡子」、いわゆる跡継ぎに決めていました。

ちなみに、この物語のもう一人の主人公・源義経はまだ3歳。牛若(うしわか)という幼名で呼ばれていました。

平氏が源氏をフルボッコ! 源氏ファミリー壊滅…

さて、「平治の乱」の結果はというと。。。

「平治の乱」の結果がコチラ。平清盛の一人勝ち状態!

乱の報を聞いた平清盛がソッコーで熊野から京都に戻ってきて、二条天皇、後白河上皇を藤原信頼・源頼朝チームから奪い返してしまいます。

これで、藤原信頼・源頼朝たちは「朝敵(天皇に刃を向ける逆賊)」となってしまいます。

そして平氏の軍勢にボコボコにされて源氏は壊滅状態…。

源義朝は関東に向けて逃走中に家来の裏切りで死亡。
鬼のように強い源義平も捕らえられて処刑。
そして、源頼朝も捕らえられてしまいます…。

次回は、捕らえられた源頼朝がどうなるのか、そして幼い牛若(源義経)の運命は?の記事になります!

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