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源頼朝&源義経ブラザーズ、離れ離れの人生に...
ドラマチックな歴史上のストーリーを人物相関図でご案内するnoteです。
このシリーズでは源頼朝と源義経の源氏ブラザーズの物語を紹介しています。2人の人生を簡単に俯瞰した記事はコチラ。
「平治の乱」で平氏にボロ負けしてしまった源氏。
今回の記事では、一家離散となってしまった源氏のプリンス兄弟(源頼朝&源義経)がどうなってしまうのか、を見ていきます!
源頼朝、京都で処刑が決定
平治の乱で父の源義朝をはじめ、たくさんの兄弟を失った源頼朝…。
彼も捕らえられ、罪人として京都に連れてこられます。
1160年の出来事です。
彼を裁くのは、、、平氏の大ボス・平清盛!
平治の乱で源氏を打ち負かしたことにより、平清盛は絶大な権力を手にしており、彼の言うことは絶対になっています。
源頼朝の長兄・源義平は同じく捕らえられ、すでに処刑されている。
源頼朝も同じように「処刑」を言い渡されてしまいます…!
それもそのはず、源頼朝は「源氏の嫡子」であり、源頼朝を生かしておくことは、平清盛にとって将来、平氏に刃向かう因子を残すことになるからです。
源頼朝、まさかの「ソックリさん」で命拾い
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ですが、ここでミラクル発動!!
ある1人の人物が源頼朝の救世主として登場します。
それが、池禅尼(いけのぜんに)という女性!!
平清盛の継母にあたる人物です。出家していて尼となっています。
処刑が決まっている源頼朝に対面した池禅尼はあることに気が付きます。
「に、似ている! 幼くして亡くなった我が子に…!!」
そう、源頼朝は、池禅尼の亡くなっていた息子にうりふたつだったのです。。。
池禅尼は義理の息子である平清盛に「源頼朝の助命」を嘆願します。
もちろん最初は突っぱねていた平清盛ですが、何度も熱心に説き伏せる池禅尼に「まぁ仕方がないか…」と心を動かされます。
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歴史が変わった瞬間
まさに歴史が変わったタイミングです。
そんなことあるんか!とツッコミを入れたくなるような展開ですが、ここで源頼朝がもし処刑されていたら、日本の歴史はガラっと違うものになっていたかもしれませんからね。。。
命を救われた源頼朝は「絶対に平氏には逆らわない」ことを池禅尼に誓います。
もちろん、将来、この誓いは破られてしまうわけですが。。。
本当に人の人生はどうなるか分からない、と思わされるエピソードです。
何とか命拾いした源頼朝は「平氏に逆らった罪人」として、関東の伊豆に流刑となります。そして長い長い流人生活を送ることになります。
牛若(源義経)は「美人過ぎるお母さん」の嘆願で命拾い
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さて、源氏ブラザーズの弟、源義経はというと。。。
平治の乱が起きた時は、まだ3歳。牛若(うしわか)という幼名で呼ばれており、お父さんの源義家の側室であった常盤御前(ときわごぜん)と京都で暮らしていました。
常盤御前は幼い子供たち(牛若とお兄ちゃんたち)と一緒に捕らえられ、平清盛の前に連れてこられます。
常盤御前と対面した平清盛が思ったのは。。。
「う、美しいのう・・・!」
そう、常盤御前は京都でも評判の美人。
常盤御前の嘆願もあり、牛若たち子供たちは平氏に二度と逆らわないよう、仏僧になることを命じられ、寺に預けられることになります。
牛若、鞍馬寺で修行
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こうして、牛若は京都の鞍馬寺に預けられます。
常盤御前は京都の貴族と再婚し、息子たちの平穏を祈る日々。
鞍馬寺の仏僧たちに監視されながらも、牛若は鞍馬山でどんどん成長していきます。ここでの修行で超人的な力を得た、なんていう伝説も残っていますね。
そんな牛若はある時、鞍馬寺を抜け出し、元服して義経と名乗り、現在の東北地方の「奥州」という土地に移り住みます。
源義経、奥州・平泉で力強い武士に成長
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東北の奥州では「奥州藤原氏」という一族が、大きな勢力を築いていました。
中心地の「平泉」は京都と肩を並べるほどの繁栄ぶりだったといいます。
名産品は金と馬。
京都の朝廷の力が及びきらない土地で、奥州藤原氏は力を蓄えていました。
源義経が奥州にたどり着いたときの当主は、藤原秀衡(ひでひら)。
藤原秀衡は源義経を迎え入れ、保護していきます。
この奥州の地で、源義経は武芸を磨き、力強い武士として成長していきます。
その胸に「いつか平氏を打倒する…! 伊豆にいらっしゃるという兄上と共に!」という野望を抱いて。。。
さて、今回は平治の乱で一家離散となった源頼朝と源義経ブラザーズが伊豆と奥州の地へ旅立ち、離れ離れになる姿を見てきました。
次回は、伊豆に流された源頼朝の成長と恋の記事になります!
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