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源頼朝&源義経ブラザーズの物語

歴史上の人物たちの人間関係を「人物相関図」でわかりやすく紹介していきます! 今回は源頼朝と源義経。ドラマチック過ぎる兄弟を中心にした人物相関図を、出来事に沿って数回に渡り紹介していきます。

源氏のプリンス兄弟の一生を簡単に

日本人なら知らない人はいないであろう兄弟、源頼朝&源義経。大河ドラマで描かれたり、歌舞伎の演目になったりみんな大好きです。

そんな彼ら2人の幼少期から平氏との壮絶な戦、そして兄弟間の争いまでを順を追って人物相関図でひも解いていこうと思います。

まず初めとして、今回の記事ではザっと簡単に彼ら2人の生涯をご紹介します。

プリンスから一転、辛すぎる幼少期・青年期

・源頼朝と源義経の2人は、武家の名門「源氏」の御曹司として生ま
れます。プリンスです。お父さんは源氏の棟梁・源義経。

・平清盛が率いる平氏に「平治の乱」という戦いで源氏がボコボコに負けてしまう。この時、源頼朝13歳、源義経3歳。お父さんの源義朝がこの戦で亡くなり源氏はお先真っ暗に。

・「平治の乱」のあと、源頼朝は罪人として伊豆に流刑。源義経は京都でお坊さんになるように育てられる。

・源頼朝は伊豆でひっそりと暮らし、源義経は今の東北地方の奥州に移り住む。

・世は平氏の天下。平清盛が無双している状態。

平氏への反乱が勃発、源頼朝も挙兵!

・平氏のやりたい放題に不満が続出。各地で平氏への反乱が勃発。

・源頼朝も伊豆で挙兵。その後、拠点を鎌倉に移し勢力を拡大していく。

・奥州から弟の源義経が源頼朝の軍に参陣! 兄弟は再会を果たす。

・平清盛は病死、平氏の旗色が悪くなってくる。

・源頼朝と源義経のいとこにあたる源義仲が京都を占領、平家は京都から落ち西国に拠点を移す。

源頼朝&源義経がライジング! 平氏を倒す!

・京都で横暴をふるい民を苦しめていた源義仲を、源義経たちが追討。一躍、京都でヒーローに。

・源頼朝は鎌倉で全軍を指揮。

・源義経が「一の谷の戦い」「屋島の戦い」でミラクルを連発。天才的な戦略で平氏を蹴散らす。

・ついに「壇ノ浦」の戦いで平氏を滅ぼす!

源頼朝、源義経が兄弟間で決裂(涙)

・政治的なことが分からない源義経の振る舞いに源頼朝の側近の中で反発する者が出てくる。

・源頼朝は源義経の追討令を出し、源義経は逃亡の身に…。

鎌倉幕府が爆誕! そして義経の死…

・源頼朝は武家政権の体制を築く(いわゆる鎌倉幕府)

・奥州に身を潜めていた源義経が源頼朝の軍勢に攻められ、ついに源義経は自害する…

武家の世のスタート

・源頼朝は征夷大将軍に任命され鎌倉幕府が盤石の政権に。貴族の時代から武家の時代へとパラダイムシフトを起こす

・源頼朝、53歳で死去

ドラマチック過ぎる2人の人生を相関図で見ていきます!

今回の記事では簡単に2人の人生を見てみました。

次回の記事からは出来事に沿って登場人物たちの相関図を数回にわたり紹介していきます。

まずは、源氏一族が悲しみに突き落とされる「平治の乱」からです!


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