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コーネリアス『POINT』(2001)

アルバム情報

アーティスト: コーネリアス
リリース日: 2001/10/24
レーベル: トラットリア(日本)
「50年の邦楽ベスト100」における順位は44位でした。

メンバーの感想

The End End

 スティーブ・ライヒの『Electric Counterpoint』などを意識しているであろうことは音を聴けば即座にわかるけれど、『POINT』というタイトルもそこに結びついたものではないかと思う。
 対位法(Counterpoint)は協和する複数の旋律を重ねるための方法論であり、またそれは、記譜法というフィールドにおいて、“視覚的に音を配置する”ことを可能にしていたものでもあった。その原則や禁則に通じていれば、極端に言えば音を聴かなくとも、美しく協和する音列を生み出すことができるのが対位法だ。
 そして90年代末からプロフェッショナル・レコーディングでも普及し始め、この作品で大いに活用されているDAW(Digital Audio Workstation)もまた、MIDIシーケンスやオーディオサンプルの波形を配置することで視覚的に音楽を作ることを可能にしたものである。今作以降のCorneliusのシグネチャー・サウンドとも言える、“執拗なまでに音を同時に鳴らさない”アレンジは、彼自身にとどまらず、DAWの時代をも象徴するサウンドのひとつだろう。
 何年か前に聴いた際にはギミックが目的化してしまっているように感じ、フェイバリットになっていなかったのだが、今回認識を改めた。少しこじつけが過ぎるかもしれないが、ここでの小山田圭吾は、ただ目新しいツールで遊んでいるのではない。彼はこの作品で、作曲という行為の大きな転換=記譜と並ぶ“Another Viewpoint”としてのDAWの存在を、高らかに宣言しているのではないか。

桜子

 最高のアルバム。
 POINTというタイトルに引っ張られすぎな感想かもしれませんが、それぞれの音色が役割を顧みて、それぞれがバラバラのまま、ひとつの方向に進んでいる印象。バラバラだからこそ生まれる空白を楽しめる。混沌としているのに、リラックス出来る。

俊介

 Corneliusのキャリアはpoint以前以後でくっきり分かれる印象。めちゃくちゃいい歳の取り方だ。
 「音楽」ってより「音」って感じなんだけど、そこまでお堅いもんではなくて、肩の力を聴いて軽い気持ちでも再生できるのがCorneliusの良さというか、このアルバムに限らずいつもすごい気持ちいバランスの範疇におさまってる気がします。
 アルバム通して、肉体性を排しつつ、暖かみなりグルーヴを維持してる感じやっぱ好き。
 サンプリング自体はpoint以前から行われていたものの、DAWの画面上でどの音がどのタイミングでなってるかを概観できるようになった影響か、各音の発音タイミングがそれぞれユニークで、パズルみたい。あと、自分が弾いたやつをリサンプリングしてみたり、機材の加速度的進化によって良くなった取り回しに恩恵を受けたであろう場面が増えてて嬉しい。これドラムも多分サンプリングですよね、?
 DAW黎明期にそういった遊びを思いつくのが彼らしい。
 今までの作品で外に向かってたエネルギーが一転して内に内に向かっていくというか内省的になったというか、1曲の中でどこまで遊べるかみたいな精神がこの作品からsensuousにかけて続いてる感じがする。

湘南ギャル

 やばい、マジで何を書いていいかわからない。YMOのBGMくらい書くことが浮かばない。”エレクトロ”ではなく”電子音楽”と称されがちなタイプの曲を聴く耳がほんとに育ってないのかも。他の人が書いたレビュー読んでたら、電子音だけど自然に近くて〜みたいな評がいくつかあったんだけど、私がコーネリアスに馴染めない理由はそこにあるのかもしれない。私がエレクトロ聴く時に求めているのは、どっかは来たのかが予想できないような訳のわからない音だから。あとは、体が揺らせること。

しろみけさん

 サンプラーを導入したフリッパーズ・ギター『ヘッド博士の世界塔』、ヘッドフォンをCDに同梱させたバイノーラル録音から幕を開ける『FANTASMA』と、小山田圭吾は時代ごとのテクノロジーや潮流に即した作品を残してきた。Jポップの世界でメディア・アートを行う氏は、偉業でありながら異形だ。『Point』ではDAWの導入に端を発した、点描による視覚的なアプローチが持ち込まれた。今風のビジネス用語を使うなら「音の見える化」といった趣だろうか。そして興味深いことに、先述した2例の方法論が(比較的)人口に膾炙したのに対して、『Point』での試みに追従する/できるフォロワーが現れず、小山田圭吾はこのアルバムでもってして半永久的に唯一無二のアーティストになってしまった。

談合坂

 物理的な動きが聞こえる。マイクロフォンが拾う物体の動きというだけではなく、タイムライン上の音声の間隔や、パンを振る仮想的な空間のイメージみたいなところまで’聞く’ものとして仕上げているような印象を受ける。「I Hate Hate」のおもろさとか、「Brazil」の声に対するアプローチとか、2020年代と変わらない世界を見ていて圧倒される。
 自然の音がまったく自然じゃないところで鳴らされているのって改めて意識しながら聴いているとかなりファニーですね。

 静かな水面に一滴の水が垂れたような音が鳴って始まるこの作品。ジャケットはその様を表しているよう。そして波紋が広がるように生音、打ち込み、フィールドレコーディング、小山田圭吾の声を包括してアルバムが拡大していく。あらゆる素材や楽器に触れた時に出る音が彼をこのアルバムの完成まで導いたような作為性の少なさ=遊びの延長線上であるような感覚もこの「波紋」という自然に起こる現象のイメージに通じる。
 そして聞き返すと、このアルバムがポストロックのアルバムだったんだなと思った。生演奏だろうが、電子音だろうが、自然音だろうが一度データとして手元に収め、DAWの上で並べて音響空間を作る。Tortoise「TNT」から連なる系譜にいる。私が嫌いな訳がない!

みせざき

 過去聴いたコーネリアスの作品に比べより洗練されている印象。リリースが2001年ということで、00年代に至った上で鳴らせるサウンドといえるような印象に感じた。
 電子ビートでも全体的にどこか自然な温かい印象を感じます。簡素だが奥深く、琴線に触れるような音楽だと思います。

和田醉象

 音楽的に余白しかなくて良い。ときおり聞き取れる歌詞から特になにか連想するってことはなかったんだけど、犬の鳴き声やさざなみから大体どの時間、どんな場所なのかを想定できるが、そこから先に行こうとするともう妄想でしかなくなる。
 Brazilまでは夢現だったのがFlyで急に刺してきて、最後Nowhereで名前通り、どこでもない場所へ連れて行ってくれる。完成された構造を感じ取れた。

渡田

 音楽というよりは、自然な環境音を作り出そうとしている感じがする。音色それぞれははっきりとした楽器の音や金属音なのだけれど、聴いていると自然の中にいるような感覚になる。
 曲作りにおける規則的な部分と不規則的な部分が、普段聴く音楽とは全く違うルールで配置されている感じがする。短いフレーズが過剰に繰り返されたり、リズムが突然として奇妙なタイミングで区切られたり、気まぐれのように新しい音が追加されたり、抜けていったり…こういった不思議な規律は、人の意思で調整されたものというより、予測不能の周期性を持った自然現象のように思えた。

次回予告

次回は、砂原良徳『LOVEBEAT』を扱います。

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