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【主婦勉!】神社のあれこれについて知りたい~熊野編②~

さて、神武東征もざっくり理解したところで、
いよいよ本丸に攻め込んでいこう。

熊野信仰、というものを簡単に説明すると、
要は熊野三山である
・熊野本宮大社
・熊野速玉大社
・熊野那智大社
を中心とした信仰である。

古代から熊野は神秘的な聖地とされ、
ここで修行をする人が絶えなかった。

そして平安時代に、
浄土教の阿弥陀信仰が強まり、
もともと”黄泉の国と繋がっている”と
考えられていた熊野の地は、
「現世の浄土」だとみなされるようになった。
また神武東征もあってか、
皇室ゆかりの地とも考えられており、
上皇などもよく参詣していたそうだ。

特に白河上皇の熊野御幸があってからは、
政治権力を背景に力を増し、
飛躍的な盛り上がりを見せるようになった。
後白河院にいたっては34回も参詣したという。

熊野三山が祀っているのは”熊野権現”。
この”権現”てのがまたややこしくて、
要は「仏が、仮に”神”の形を取って現れた」
とする、本地垂迹説、
いわゆる神仏習合ってやつですね。
って言われてもよくわかんないよね。
私も未だによくわからない。
いや、システムは薄くわかるとして、
どうしてこんなことしなきゃいけなかったのか
その理由がイマイチわからん。

要は、
仏による”世を忍ぶ仮の姿”じゃないけど、
本当は仏なんだけど、
神様の形になって現れた、というやつで、
本当は仏だよ~、
でもここは神社だから、
今は神様の姿で現れてるよ~
でも中身は本当は仏だよ~
的な、日本の神道と仏教の複雑な歴史に
ぼんやり思いをはせそうになるこの現象が
神仏習合だと思います。(違います笑)

でも日本の歴史においては
神仏が習合していた時代の方がよっぽど長くて、
なんなら今みたいに神と仏が別れたのは
明治に入ってからという新しさなんですけどね。

という訳で、
神仏習合やるとまた長くなるので
それはまた別のタイミングでやるとして、
とにかくそれぞれの神社の特徴等を
見ていこうと思う。


◎主祭神
【熊野本宮大社】
家都美御子神(ケツミミコノカミ、以下ミミさん)/
阿弥陀如来/スサノオ
※西方極楽浄土とみなされていた

【熊野速玉大社】
熊野速玉男神(クマノハタヤマノオノカミ、以下速玉さん)/
薬師如来/イザナギ
※東方浄瑠璃浄土 以下同

【熊野那智大社】
熊野牟須美神(クマノムスミノカミ、以下むっすー)/
千手観音/イザナミ
※南方補陀落浄土 以下同

んー、早速なんのこっちゃって
感じだと思いますけど、
後々疑問は回収していくつもりですので
とりあえずはそうなんだと思っていてください。
呼び方、読み方も、
牟須美じゃなくて夫須美だよ!とか
いろいろあるんですけど、
ややこしいと理解する気無くすんで笑、
とりあえずここでは上記の名前で通します。

さて、そんな
ミミさん、速玉さん、むっすーの三柱で
”熊野権現”なんだけれど、
この三柱に、
さらにアマ姉とかニニギとかを入れた
総勢十二柱で
”熊野十二所権現”とも言うらしい。
※那智大社では、さらに大国主命を
祀っているので"十三所権現"
なんか戦隊モノっぽくていいなぁ。

太古の昔は、
本宮→樹木
速玉→巨岩
那智→大滝
と、
それぞれの神を信仰していたらしいんだが、
祖先神信仰が入ってきて、
それぞれスサノオ、イザナギ、イザナミ
その他の神々、みたいなのと合わさり、
その上更に仏教が入ってきて
またそれぞれに習合し、
次第に三山が結びつきを深めていき、
熊野信仰として体系化された…という流れかなと
いろいろ読んで勝手に理解。
違っていたらすみません。
たぶんざっとこんな感じだと思う。
※主祭神もわかりやすく簡潔に書いたので、
「いや、他にもいます」とかあると思います。

という前提を頭に入れた上で、
まずは…

【熊野本宮大社】
今は長い階段の参道を通った先、
小高い丘陵の上にあるけれど、
かつては、熊野川を含む
3つの川の合流点にある中州、
「大斎原(おおゆのはら)」という場所に
建っていた。
※当時の社名は「熊野坐神社」。
しかも神武東征以前から、
熊野坐大神は祀られていたとか。

しかし明治時代の大水害で
社殿が流されてしまい
かろうじて残った四社
(熊野権現3柱+アマ姉の計4柱の社)を
今の場所に遷したそうだ。
十二所権現残りの八柱は
今も大斎原に祀られている。

本宮HPによると、
かつて崇神天皇の時代に、
この大斎原の場所にあった
”イチイの巨木”という木に、
三体の月が降臨したそうで、
その真ん中の月がミミさん、
両側の月がそれぞれ
むっすーと速玉さんで、
彼らが”社殿を創って
我らを祀りなさい”と言ったことで
大斎原に彼らを祀る社殿が作られたそうだ。

その後熊野の国々の境が決められ、
紀伊半島の南半分が”熊野”となり、
初代熊野国造には、
高倉下(神武東征でクマに毒吐かれた時、
大太刀持って来たあのデキる人)の
子孫が就任。※前回の熊野編①ご参照

ちなみにこの子孫が、後の物部氏で、
前に調べた八幡神編で、
「”神道(物部氏)VS仏教(蘇我氏) "という
対立があって、結局物部氏が負けて、
その後日本は仏教国家になっていった」
という流れを書いたけれど、
その負けた物部氏の起源がまさにこのあたりだ。

なんで物部氏は神道?って思っていたけれど
むしろ神道ど真ん中にいた人
の後裔ってことですね。

昔、本宮を訪れた際、
本宮から熊野古道中辺路を通って、
「ちょっと寄り道展望台」という場所まで、
歩いたことがある。
片道1時間しないくらいかな?
※ルートとしてはたぶん逆走?

そこから見えた大斎原の大鳥居が
それはそれは神々しくて、
すごく感動したのを覚えている。
この景色が見られただけでも、
熊野古道を歩いてきて良かったと
思う人がたくさんいるだろうなと思う。
(もちろん大昔にこの鳥居は
なかったんでしょうけど、今の話ね。)

本宮HPによると、
熊野には「浄土への入口」として、
平安時代末期には、たくさんの
貴族皇族がお参りするようになったそうで

浄土へお参りし、帰ってくるということは、
死と再生を意味します。
そのため熊野三山は
「よみがえりの聖地」として、
今なお多くの人々の信仰を集めています。
※本宮HPより抜粋

だそうです。
なので、人生やり直したい方、
何か一から始めたいという方は
背中を押してもらえるかもしれない。

そして本宮に行かれた際には、
必ず大斎原に行ってみてほしい。
あまり安易にパワースポットとか
言いたくないけれど、
人生で「ここは!」と思った
数少ないパワースポットの1つだ。
でも真夏は暑くて
それどころじゃない気もするので、
春か秋くらいがおすすめかな?
ってまぁ基本的にどこもそうか笑


【熊野速玉大社】
神代の頃に、
今の速玉神社の近くにある
神倉山のゴトビキ岩という巨岩に、
熊野権現が降り立ったので、
そこに祀られることになった。

先に本宮を調べちゃったので
話が前後しちゃうけど、
熊野権現がどこよりも早く、
最初に降臨したのがここ
ゴトビキ岩であるという説があるそうなので
補足として書き加えておこう。

で、その後第12代景行天皇の時に
今の場所に遷座したので、
新しい宮に遷座したから「新宮」。
速玉大社は「新宮」と呼ばれているし、
熊野権現が降り立った神倉山にある
神倉神社は「元宮」と呼ばれている。

速玉大社=新宮の祭神は
速玉&むっすー。
つまりイザナギ&イザナミなんで、
夫婦神ということになりますね。
なので速玉大社のご利益は
ずばり縁結びです。

また、神仏習合の影響で、
速玉さん=薬師如来ってことで、
病気治癒や、長寿健康、
現世利益などのご利益?があるのと、
むっすー=千手観音ってことで、
千手をもって
あらゆることを救ってくれるそうなので、
災難除け、病気治癒、過去世の救済、
などにご利益があるそう。
ってもうなんかだいたい救ってくれそうな
この総力戦な感じ、すごい笑

速玉大社にも参拝したけれど、
実は正直ほとんど覚えていない。

というのも、
その前に神倉神社の方に行っちゃって、
前にも書いたけれど、
538段の急峻な階段をヒーヒーと登っている
途中からポツポツと雨が降り出し、
ゴトビキ岩にたどり着いてお参りして、
降りはじめた頃にはもう、
カッパも意味ないほどの土砂降り。

完全なゲリラ豪雨で、
雷鳴が轟き続け、
滝のような水が容赦なく
急な岩階段を流れ落ちる中、
完全に「死」を意識しながら
なかば滑り落ちるように降りて、
びしょびしょで車に乗り、
びしょびしょで近くのイオンに寄って
服から靴から全部買い、
一応全部着替えて
速玉大社に参拝しに行ったは良いけれど、
あまりに長時間全身に雨を浴び続けたため
芯から体が冷え切っていたらしく、
6月だというのに寒くて震えが止まらない。

これはもうだめだってことで
参拝もそうそうに切り上げて
たまたま見つけたどっかの銭湯で体を温め、
車に戻って気絶。(という名の即寝)
というかなりの瀕死状態での
参拝だったので、
ほとんど記憶がない笑

すごく新しい感じがした、かなぁ。
くらいの感想ですみません。

当時神倉神社に行った時は、
ここが速玉大社の摂社であるとか
そういう知識ゼロで行っていて、
本当自分は何もわかってないのに
わかった風な顔をして
参拝していたんだなと思うと、
ちょっともう恥ずかしい。
まぁ当時はまだガラケー時代でしたしね…
今ほどサクサク情報得られた訳でもなし…
↑↑言い訳。

そしてこの神倉神社、
ご祭神は、
あの高倉下&アマ姉なんだそうで、
いろいろストーリーを知った後に祭神を知ると
すごく親近感が湧くね。

てかここのゴトビキ岩にはそもそも
熊野権現(三柱)が降りてきたという話なのに、
その三柱祀っとんちゃうんかーい!
どこ行ったんやーい!って話。
あ、新宮に行っちゃったのか。

という訳で、那智大社については
また次回。

あとサラッと東方極楽浄土とか
西方浄瑠璃浄土とかなんとか書いたけど
これも面白そうなんで(仏教話だけど)
次に少し掘ってみたい。
とかやるから全然進まないのだ、
ということは十分自覚しています。

※あくまで何者でもない素人主婦の
ちょい調べですので、
間違っているところもあると思います。
ざっとこんな感じかな程度でお楽しみください。

※神様のお名前を略したりしてけしからん、
とかあるかと思いますが、
長い名前による知識吸収の挫折を避けたく
このような形にしています。
悪しからず…






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