【主婦勉!】神社のあれこれについて知りたい~日吉編~
前回までの熊野編、
個人的には結構すっきりわかったけれど、
かなりグダグダ書いてしまったと
ちょっと反省している。
出雲、日吉、伊勢、住吉あたりは
出来るだけ簡潔に調べようと思う。
という訳で次はどこにしようかなと思い
ざっといろいろ見ていたが、
日吉、日枝、山王が、
全て同じ系列?だったと
恥ずかしながら初めて知って、
俄然興味が湧いてきた。
なので次は日吉系を調べてみようと思う。
【日吉大社】滋賀県大津市
日吉・日枝・山王神社の総本山
<ご祭神>
・大山咋神(オオヤマクイノカミ) 東本宮
・大己貴神(オオナムチノカミ) 西本宮
※大己貴神とはつまり大国主命のことなので、
ここではぬー様と呼びます。
大山咋神はヤマクイ(敬称略)。
日吉大社には、
東西にある2つの本宮にプラスして、
5つの摂社があり、
全部合わせて日吉七社、山王七社と
言われているそうだ。
『古事記』によると、
かつてヤマクイが日枝の山(後の”比叡山”)に
「坐し」てあったということで、
比叡山の一部であり、
今の日吉大社の背後にそびえる
八王子山(牛尾山)の磐座に
ヤマクイが降り立ったのが、
事のはじめなんだそうだ。
その磐座は、現在
「金大厳(コガネノオオイワ)」として、
大社の奥宮エリアに祀られてある。
じゃあ、そもそもヤマクイってどなた?
ということになるんだが、
彼の祖父があのスサノオで、
スサノオと神大市比売(カムオオイチヒメ)の間に
農耕の神様として生まれた年神様、
の、息子、がヤマクイなんだそうだ。
”大山咋神”という漢字からもわかるように、
山の神様です。
ちなみにパパである年神様の兄弟には、
稲荷神として知られるウカ様(詳細はこちら)
がいらっしゃるので、
ヤマクイから見ると叔母にあたります。
そして
ヤマクイのひいおじいちゃんは、
”大山津見神”(オオヤマツミノカミ)と言いまして、
彼も山の神。
山の神が二人も!となるけれど、
要は大山津見神の方は
”山の総長”的存在ですね。
すべての山は俺に任せろ、って感じ?
で、ヤマクイの方は里山担当というか、
自分を祀ってくれる山については面倒見ます、
って感じ?
それぞれの山との個人契約的な?
そして神大市比売の姉妹にあたる
木花咲耶比売(コノハナサクヤヒメ)は、
富士山をご神体としている
浅間神社に祀られている。
山の神の娘!!
話を日吉大社に戻そう。
東本宮に祀られているのは
ヤマクイだったけれど、
一方西本宮に祀られているのがぬー様。
天智天皇が行った大津京遷都の際に、
大津京を鎮護するという目的で、
奈良の大神神社から、
ぬー様(大物主神)を勧請して、
西本宮を建立したそうだ。
※奈良の大神神社については
日本神話②の時に少しだけ書いたので、
そこをご参照くださいませ。
先ほど「日枝の山(後の比叡山)」と
さらっと書いたが、
最澄が比叡山寺(後の延暦寺)を建立したのは、
日吉大社が出来た後のことである。
寺を建立後、
比叡の山の地主神をまつる日吉大社を
比叡山と天台宗の守護神としたことで、
日吉大社は崇敬を集めるようになった。
またその近辺の794年、
”鳴くようぐいす平安京”の遷都の時に、
ここが京の鬼門にあたる場所だったことから
厄除けとして信仰されるようになり、
平安京を守る神様として
国家レベルでも崇敬されるようになっていった。
ちなみに
もともと古い書物には
”日枝”と書かれていたのが、
平安京に遷宮したのちに、
縁起の良い漢字を当てて”日吉”と
なっていったようで、
読み方は”ひえ””ひよし”が
併用されていたらしい。
その後、明治時代に「日吉」を
”ひえ”と呼ぶことで統一され、
”ひよし”と呼ぶようになったのは
昭和になってからだそうだ。
たぶんそんなこんなで
日枝・日吉が混在してるんだと思います。
神社との関係があるのかどうかは知らないけど
鳥取には「日吉津」と書いて"ひえづ“と
読む地名があるよね。
話がいろいろ飛んですみません。
さてさて、そんな訳で
延暦寺が日吉大社を守護神としたことで、
両寺社の結びつきが深まり、
それに山岳信仰も合わさって、
”山王権現”という
ミクスチャー系神様?が爆誕。
山王権現とはwikiによると
(毎度wikiですみません。
まぁそのくらいのレベルってことで…)
ってことだそうで、
ああ、もうこれ延暦寺も
ちょっとやんなきゃいけない訳ですね…
という訳でまた長編になることケテーイ!!!
延暦寺とは
日本仏教界のスーパースターの一人、
最澄が開いた寺で、
”延暦寺”と呼ばれるようになったのは、
彼が没した後からだそうだ。
元はと言えば、
最澄が薬師如来をご本尊とする、
一乗止観院という草庵を開いたことが
はじまりらしい。
宗派は天台宗。
浄土宗の開祖法然、浄土真宗の開祖親鸞、
臨済宗の開祖栄西、曹洞宗の開祖道元、
日蓮宗の開祖日蓮等々、
日本仏教史上重要なたくさんの僧が
若き日にここ比叡山で修行をしていたことから
「日本仏教の母山」とも呼ばれているそうだ。
当時、国家公認の僧になるためには、
特定のお寺での儀式が必要だったのだが、
最澄はこれに反発し、
独自で僧を養成出来るよう訴え続けた。
当時は奈良の仏教界がたぶんその辺
牛耳ってたんだろうね。
「南都北嶺(ナントホクレイ)」つって、
南の興福寺、北の延暦寺、
みたいな感じでバチバチやってたようです。
で、彼の死後に最澄の主張が認められ、
これがその後延暦寺が
日本仏教の中心的存在になっていく
足がかりとなったそうだ。
※仏教素人のちょい調べなので、
解釈が違うこともあると思います。
その後朝廷の援助等もあり、
どんどん力を増していった延暦寺だが、
そのうち寺中で派閥争いが勃発したりして、
徐々に武装化した僧が存在するようになる。
そのうち寺全体までもが武装化していき、
その力は、法皇ですら制御できないほどに
巨大化していった。
延暦寺は、
自分たちの意に沿わないことが起きると、
日吉大社の神輿を担いで上洛し、
神の力を笠に「強訴」という形で
要求を通そうとしたそうだ。
こういう中で、日吉大社は、
延暦寺と密接な関係を持ちつつも、
役職の任命権は延暦寺にあったりしたそうで、
関係としてはもう延暦寺の下、
って感じだったみたい。
で、江戸時代に気骨ある?神主が、
「NO神仏習合!YES唯一神道!」つって
僧形のご神体を勝手に持ち出して
燃やしちゃったりしたそうなんだが、
それを知った延暦寺は激おこで、
大社側は幕府に訴えられて敗訴、
神主は島流し。
それ以降は完全に延暦寺の管理下に置かれ、
「掃除と祭だけやっとけばOK」的なことまで
言われる屈辱を受けたらしい。
しかし恨みってのは怖いもんで、
それから200年くらい経った明治維新後、
神仏分離、廃仏毀釈の御触れが出た時、
社殿の鍵の引き渡しを、
延暦寺から拒否された日吉社は、
社殿に乱入して、
祀られていた仏像や仏具などを
焼き捨てたり、持ち帰ったりしたそうだ。
幕末の倒幕運動も、
200年数年前に関ケ原で負けた
薩長土あたりの武士たちが中心になって、
徳川を倒すんだから、
やっぱ恨みってのはつくづく怖いよ…
末代まで晴らさでおくべきかとかいうけど
ほんとそういうマインド。
って、もうほとんどこれ
延暦寺の話になっちゃってるな。
ちなみに同系列の日枝神社、というと
東京は赤坂の日枝神社が大メジャーだけど、
ここは1478年に
太田道灌(ドウカン)が江戸城を築城するにあたり、
川越の日枝神社から勧請して建てられたのが、
始まりだそうだ。
川越の日枝神社は、
総本山である日吉大社から
勧請しているそうなので、
まぁルーツたどれば同じですね。
赤坂日枝神社は、
江戸の裏鬼門にあたる場所に建てられていて、
鬼門の上野寛永寺、本丸の江戸城、
を結ぶ線の先に日枝神社がある。
赤坂の日枝神社にガッツリ手を付けてしまうと
どうしたって江戸の鬼門に触れざるを得ず、
そうなると寛永寺が出てくる訳で、
(さっき出てきたけど)
したら増上寺も出さざるを得ず、
そうなるとほぼほぼ寺の話になってくるし、
掘れば幕末の上野戦争あたりまで
いってしまいそうで、
とてもじゃないけど1回で終われない。
なのでこれはまた別の機会にじっくり掘りたい。
つうかなんなら次はそれをやりたい笑
ちなみに日吉大社といえば
古来からなぜか”猿”なんだそうで、
神の使いとされ”神猿(まさる)”と
呼ばれているそうだ。
すごいよ!マサルさん!って
みんなに言われるんだろうなぁ…笑
昔から比叡山にたくさん生息していたのが、
いつの間にか魔除けの象徴、
みたいになったんですかね。
「魔が去る」とか「勝る」に通じるということで
ダジャレって意外と
真面目に役に立ってるんだなって感じですが、
とにかくそういうことで、
厄除け、魔除けのご利益がある日吉大社では
猿が大事にされている。
猿の話をしだすとまた、
京都御所の鬼門にあたる北東角には
魔除けとして猿の像が置かれているとか、
そういや家康のお墓といえばの日光東照宮には
それこそたぶん日本で一有名な猿である
”見ざる・言わざる・聞かざる”がいる訳で、
まさか??
東照宮→輪王寺→天台宗!
そういうことか!的な発見もあって、
ますます”徳川家&天台宗”を
早くまとめたい気持ちでいっぱいです笑
って、なんか神社と寺の結びつきが
思った以上に濃くて、
神様情報が薄くなりがちですみません。
そんな訳で日吉系神社のご利益は
厄除け、魔除け、必勝祈願とかそんな感じです。
※あくまで何者でもない素人主婦の
ちょい調べですので、
間違っているところもあると思います。
ざっとこんな感じかな程度でお楽しみください。
※神様のお名前を略したりしてけしからん、
とかあるかと思いますが、
長い名前による知識吸収の挫折を避けたく
このような形にしています。
悪しからず…