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【主婦勉!】浮世絵を知りたい~葛飾北斎&歌川広重編~


はい、出ました、
浮世絵界最大のスター、
大物中の大物、
日本の宝とも言うべき、
葛飾北斎と歌川広重です。

この2人やたら並べて語られることが
あるんだけれど、
実は37コも歳が離れている。

これは高倉健と大沢たかお、
北大路欣也と岡田准一、
マイケルジャクソンとりゅうちぇる、
くらいの差だ。すごい。

浮世絵年表

北斎はとにかく長生きで89歳まで生き、
かたや広重は61歳で没している。
(上の図のピンクライン、
上が北斎、下が広重)

なので
37歳という親子ほどの年の差がある2人だが、
北斎が亡くなって10年しないうちに
広重も亡くなるので、
ほぼ同時代を生きた絵師達と言って良いだろう。

歌川広重は1797年、
江戸の火消しの息子として生まれる。

幼い頃に母を亡くし、
父が隠居してしまったことで、
若干13歳にて火消しの仕事を継ぐ。
そしてその年に父も亡くなってしまうのだ。
なんたる人生の始まり!

しかし火消しをやりながらも、
幼い頃から絵心があった広重は15歳の頃、
初代歌川豊国の門下生になろうとする。
が、定員オーバーで断られ、
歌川豊広のもとに入門。

はじめは役者絵からはじまり、
そのうち美人画、
そして風景画、その後花鳥図と、
その才能の幅をどんどんと広げていく。

そして広重は1831年、
「東都名所」という、
江戸の名所を描いた作品を発表するが、
奇しくも同時期に
北斎が「富嶽三十六景」を発表し、
こちらが大ヒット。
その影響もあってか、
広重の「東都名所」は
残念ながらあまり注目されなかった。

翌1832年、
息子が元服したことで家業を譲り、
本格的に絵師に専念。

そしてその次の年、
1833年に満を持して出版したのがあの
「東海道五十三次」だ。
「東都名所」がウケなかった屈辱を
晴らさんと言わんばかりに描いた
渾身のこの"名所絵"は、
同時代に沸きおこっていた
旅行ブームの影響なども手伝って
瞬く間に空前の大ヒットとなった。
ちなみに、五十三次だけど、
絵は五十五枚あります。

東海道といえば、
この少し前に出版された
十返舎一九の「東海道中膝栗毛」も
大ヒットしていて、
そんな東海道ブームの中の
あの作品となれば
もう売れないわけがない。
広重は瞬く間にスター絵師へと
のぼりつめたのである。

「東都名所」からたった2年で
あれだけの名作を描き、
きっちり成功を収めるとは
本当に人間の才能と才覚というものは
おそろしいと感じざるを得ません。
(何故急にあばれる君笑)
よっぽど北斎が妬ましかったんだろうか。

一方葛飾北斎は、
幼い頃から絵に興味を持ち、
貸本屋などで働く経験も経たのち、
20歳前頃に勝川春章の門下生に。
名所絵や役者絵、宗教画など
幅広いジャンルの題材を描き研鑽を積んだ。
ちなみにこの頃は「勝川春朗」と
名乗っていた。

16年ほど門下生として活動していたが、
1794年に勝川派を破門される。
理由はいろいろ論じられているが、
はっきりとはわかっていないらしい。
こっそり狩野派や洋画なんかも
勉強したからだという説もある。

しかし破門される可能性があっても
学ぶことをやめられないってすごいね。
こういう所からも彼の絵に対する、
あくなき探究心を感じる。

破門されてからは、
狂歌の世界と関わるようになり、
狂歌絵本の挿絵を数多描き、
そのうち読本挿絵の制作にも携わりはじめ
ここでもたくさんの作品を残した。
(もちろんそれ以外のものも、
とにかく描きまくっている)

そんなこんなしているうちに
50歳を過ぎ(はやっ!)、
気づくともはや直接指導も叶わないほど
大勢の弟子を抱えるまでになっていた。
そこで自分の絵を学びたい人に対する
指南書とも言えるスケッチ画集、
「北斎漫画」を出版する。

これは絵手本のようなもので、
人物もちろん、神様、妖怪、
動物、植物、魚介、虫、風景、
生活にまつわるあれこれなど
「とりとめもなく気の向くままに
漫ろ(そぞろ)に描いた画」(本人談)が
描かれている。

この北斎漫画は、
弟子のみならず、
庶民や武士などにも幅広く受け、
江戸のベストセラーとなり、
最終的に全15編、
883頁にも及ぶ作品となった。
最後の2編に至っては、
北斎が亡くなった後に出版されている。

そして1831年、ついにあの
「富嶽三十六景」である。

71歳だよ? すごくない?
そりゃ"画狂老人卍"とか言うわ。
どんなバイタリティだよ。
北斎漫画当たったから
もう休んでいいじゃんとか思っちゃうけど、
彼も前回調べた喜多川歌麿同様、
SHOW MUST GO ON。
つかもうDon't Stop Me Now!状態だな。
ちなみにこちら三十六景ですが、
四十六図あります。

有名な話ですけど、
この方生涯30回ほど改名し、
90回ほど引越したそうで、
少なくともその辺の凡人とは全く違う
というよりむしろ
かなり相当の変わり者だったんでしょうね。
エネルギーの塊というか。

と、ここまで書いたところで
二人の比較を
すっかり忘れていたことに気付いた私です。

個人的に
「東海道~(広重)」と
「富嶽~(北斎)」を見てて思うのは、
 (この作品たちだけで比較しても
全然意味ないとわかってはいつつ…)

「東海道~」の方は
旅を描いてるからか動きがある。
そしてよく言われることだが、情緒的である。

雨の音、雪を踏みしめて歩く音、
人々の賑わい、喧噪、
そんなさまざな音が、
時空を超えて
これらの絵から聴こえてくるように感じる。
いうなればムービー風というか。

広重①

広重②

広重③


一方で「富嶽~」の方は、
まさに今一瞬を切り取っている。
突風が吹こうが、
煙がなびこうが
とにかくその一瞬なのだ。
音ももちろん頑張れば聴こえるけど、
それよりも先に「カシャッ」という
カメラのシャッター音がする。
こちらはもう完全に写真だな。
もちろん主観ですけど。

しかしなんでだろう?
やっぱり富士山があるからなのかな。
どこが動いていようとも、
富士山の絶対的存在感、安定感に
勝てないのかしら。

画像4

画像5

画像6

むー。構図がすごい。
大胆過ぎる。天才かよ。

こういう絵を見ると、
自分では全く思いもつかないことが出来る人に
恐れ多くも嫉妬してしまう。
同じ人間なのにどうしてこうも違うのかと。

という訳で思いがけず長くなってしまった、
上に、まだ書き足りないことがあるので、
続きは次回に。