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「日本のアニメ」言説への批判

「ロシアでは日本のアニメが受け入れられているので、日本にできることがある」
 
「日本のアニメが受入れられているので、日本に対して友好的」
 
 という言説を、ロシアによるウクライナ侵攻の前(2022年2月24日正午(日本時間)以前)にも後にも発信が観測されたが、筆者は、「日本のアニメ言説」(筆者造語)に懐疑的である。
 
 たとえば、ゼロ年代を代表する、『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006、2009年放送)と、『らき☆すた』(2007年放送)のコンプリートBlu-rayの英語を視聴すればわかるように、両作品の「英語」は、全く異なる。「涼宮ハルヒの憂鬱」を大学入試対策には推奨できるが、「らきすた」は推奨できない。拙著↓
 
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には、明記しなかったが(今の大学受験生にとって、両作品は日本のアニメ文化を研究するといった特定の目的がない限り、アクセス不要だと思う)、テンポよく笑いをとっていく「らきすた」は、コミュニケーション英語で得点をとることはできないだろう。米国の女子高生が日本に留学するには、「日本語」の入門として、「らきすた」(英語)のテンポは推奨できるかもしれない。
 
 筆者の場合、「涼宮ハルヒの憂鬱」(2006年放送分のみ)のロシア語版でロシア語の聞き取りができるようになった。ゼロ年代で「涼宮ハルヒの憂鬱」はロシア語でもDVDが発売されるほどには市場規模があったと思われる。
 
 今のロシアは、日本を非友好国として名前をあげている。
 
 ところで、香港の大学生・周庭氏を覚えている方はおられるだろうか。
 
 筆者は、同氏の動画映像をみた時、とてつもない嫌悪感を抱いた。
 
「日本が好きな女子大生の会話」
 
 であれば、筆者は、嫌悪感を抱かないどころか、日本に関心をもってくれたという点で好感をいだいただろう(もっともこの場合、フツーの留学生だと思って記憶にとどめることもなかっただろうが)。
 
 周庭氏は、香港の自治を脅かされていると、日本世論に訴えかける代弁者だったと筆者は認識している。その代弁者であるならば、その能力を問わなければならない。なぜならば、筆者は防諜要員だったのだから。
 

 筆者の防諜範囲は、ロシア。中国・香港・台湾の専門家でもないし、英国や英国植民地に関する歴史家でもない。周庭氏の日本語は、「このような声で語りかければ日本世論を動かすことができるだろう」という底意がみえたので、筆者は同業者として嫌悪感を抱いた。たとえていうなら、生まれ育った大阪の筆者が、へたくそな大阪弁に嫌悪感を抱くようなものである。へたくそな情報活動をするくらいやったら、日本語でなくて英語でもいいから、底意がすけてみえる「アニメ声」はやめてくれ。反吐がでる。
 
 当時の香港に関する(日本での)報道を思い返すと「周庭」一色。取り上げるべき立場の香港のメディア経営者がいたのにもかかわらず、メディアが「周庭」の動向を伝えるのとのバランスをとるために香港の暴徒の姿を報じれば、暴力をもって何を止めようと(守ろうと)しているのかわからず、筆者は自分の専門外であることをいいことに、無関心になった。周庭氏の報道によって、筆者は香港で何が起きているのかということに、関心を失った。いわば、「敵」をつくったようなものだ。
 
 当時の筆者に不思議でならなかったのが、「周庭」という報道の周辺とTweet等の言論空間で、『カードキャプターさくら』の文字に遭遇しなかったことである。同作品には、主要人物の一人が香港からの転校生が登場しているのだが、「彼」と同年代の若者は雨傘を使った平和的な抗議の意を示していたし、周庭氏は、「彼」よりも十年弱の年齢差のある生年のハズだ。
 
 「日本のアニメ言説」の論者ならば、日本のアニメもご存知だと思う。2018年に「カートキャプターさくら」の続編が放映されていたのをつい先日(2022年3月)に知ったばかりの筆者にご教示いただきたいものである(ちなみに、筆者は『カードキャプターさくら』の続編をバンダイチャンネルで2022年4月に視聴したので、このパラグラフは皮肉である)。
 
 日本のアニメに、日本国の命運ならまだしも、世界の命運という重荷を背負わせることは、筆者には、できない。特に、ロシアによるウクライナ侵攻や、戦争犯罪という人類史に残る蛮行(わたしたちは、同時代に生きる人間として、それを目撃しているのである)を、日本のアニメが救えただろうか。少なくとも、ロシアは止められなかった。
 
 『セーラームーン』が2014年にリメイクされて登場した時、少なくとも第1話は、13ヵ国語(?)で同時放映されたと発表された、と記憶している。「朝倉涼子は俺の嫁」という立場をすえて、「結婚」「交際」の機会をことごとくつぶしてきた筆者だが(ヲイ)、男子中・高に通いながら『セーラームーン』を同時代人として視聴しつつ、今となっては「初恋は水野亜美」というほどには、セーラーマーキュリーが好きだ。惑星の英語名を「セーラームーン」で暗記した諸兄諸姉は少なくないと思う。その一人が俺だ。
 
「13ヵ国語」の中に、ロシア語はなかった。ロシアへの関心がそれほどないにもかかわらず、ウクライナ危機が2022年2月24日を迎えるまで、「日本がロシアに対してできることがある」という言説に日本のアニメをその論拠とした方は、おそらく、「セーラームーン」を知らなかったのだろう。
 
 人生には、タイミングというものがある。筆者の場合、「カードキャプターさくら」を2014年まで知らなかったのだが、なぜ知らずに十余年という年月を経たのかという原因を考えれば、放送当時(1998年の土曜日夕食後)は、受験勉強をしていたのだと思う。駿台生らしい、「受験勉強」を。
 
「日本のアニメが、我が国では愛されている」。
 
 この言説は、日本に対して友好的な言説の常套句である。たとえば、2022年3月23日18時(日本時間)のゼレンスキー大統領の国会演説でも登場した。ゼレンスキー大統領は日本に対して友好的なシグナルを発している、という理解で筆者は了解した。
 
 では、どのアニメが受け入れられているのかというと、(ウクライナと交戦している)ロシアの場合、その筆頭に、「セーラームーン」を数えることはできるだろう。フィギュアスケートの女性アスリートがセーラームーンのコスプレをしたくらいなのだから。なのに、「13ヵ国語」の中に、ロシア語は含まれなかった。
 
 それほど「日本のアニメ」が外交上の武器になるのなら、日本国外務省ロシア課の全面協力をえて、「ロシア語版」をつくるべきだった。安倍晋三首相がウラジーミル・プーチン大統領との首脳会談で「ファーストネームで呼び合う仲」を演出するので手一杯だったのだろうか。プーチンの「ファーストネーム」(日本語)にあたる呼び名は、「ウラジーミル」ではなく、「ワロージャ」だというのに(「日露両国は、『シンゾー』『ウラジーミル』と呼び合うことで合意した」という交渉話を異業種交流会の懇親会会場で聞いた時、そんなことに外交資源を浪費してどうするのだという気持ちになったが)、ロシア大統領府のページで「ウラジーミル」が格変化しているのに違和感を抱くほどには、筆者はロシア語のお勉強をしている。
 
 思えば、筆者が大阪府警の民間協力者として暗躍していた2010年代。2010年2月6日に『劇場版涼宮ハルヒの消失』に感動して心の支えをつくり、同年12月31日に実家のTVで紅白歌合戦の水樹奈々大使の歌声をたまたま聞いて心の琴線にふれて(2009年紅白初登場の時に話題になるまで「水樹奈々」の存在を知らなかった)、『魔法少女リリカルなのは』の登場人物に我が身を託して、オモテに出ない人生を選択した、その原動力は、「日本のアニメ」である。
 
 2022年。バンダイチャンネルで『中二病でも恋がしたい!』を視聴していなければ、「防諜」や「インテリジェンス」には市井の人は関心がないのだということに気がつかなかったような、イタい筆者がいうのも何の因果なのかとは思う。
 
 「『セーラームーン』を知らない」といって批判するつもりは毛頭ない。月野うさぎがセーラームーンに変身して、悪者を討伐する時に、「月にかわって、おしおきよ」という決めセリフを唱える際に、大義を唱えるということを、もしもご存知でないならば、周囲の方に尋ねるなどの知的謙虚さを持ち合わせておられると思う。
 
「月にかわって、おしおきよ」
 
 重要なのは、このセリフの前に、セーラームーンは、セーラー戦士として戦う大義をかかげるということだ。大義なき戦いを、セーラームーンは、しない。
 
 カードキャプターさくらの場合、陸上選手の支えとなっている「モンスター」を捕らえるという使命に逡巡した。セーラームーンでもそうだが、正義や大義をかかげて、それを「力」(魔法)によって解決するだけの筋書きではない。
 
「日本のアニメ言説」をとなえる前に、「日本のアニメ」が、どれほどの言語で共有されているのであろうか。筆者は、「日本のアニメ」に世界という重荷を背負わせることは、「日本のアニメ」という表現空間に枷(かせ)となるという考えをもっている。
 
【下記拙著。ロシア外交官とのやりとりを自分のPCから取り出して(筆記者は著者と同一です)コピペして再現したのが、下記拙著】

【そして、「大阪府警は警視庁の敵にすらなれなかった」ことを考えて、実は「47都道府県警察」の中での「競争」は、こんな感じかな、と考えて設定したのが、「大阪府警VS神奈川県警」という構図の拙著。なお、このような展開になったのは、「大阪府警が兵庫県警に負けた」という出来事がきっかけでした(拙著内部でも描いています)】


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