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トニックウォーター、ロックで!

 筆者が退職したのは、2003年8月6日だった。
 
 2003年8月7日午前0時の、その瞬間、筆者は、そこにいた。
 
 「退職おめでとう!新しい出発に乾杯!」
 
 くにたち地球屋。筆者は生命保険会社を4ヵ月で早期退職して社会生活が崩壊したが(今では従業員なしの個人事業主、と自分も周囲もどうしようもないと諦めてくれるようになったのでラクになったが)、医師の診断書を読んでみても、今日(こんにち)に至る経験を積ませてくれた生命保険会社には感謝している。
 
 訪問販売。
 
 ある時のことである。玄関先のインターフォンで応対を断られた。名刺の裏にメッセージをそのマンションの壁で手書きしていたことがある。
 
「今、そこに、いますよね?!どうして、まだ、そこにいるのですか!」
 
 そうか。もう、筆者(2003)は、不審者として扱われているのだな。
 
 悲しかった。
 
 運命とは数奇なもので、のちに筆者は警察のオトモダチ(大阪府警外事警察(ロシア担当)の協力者(2006-2018))になる。昨日(2022年7月28日)にはNHKがロシア通商代表部のスパイが、偶然をよそおってコンタクトをとってくることに、警視庁が異例の注意喚起をおこなったことがニュースになっている。拙著には、十年前の2011年に偶然をよそおった「出会い」を何件も書いている。興味がある方には拙著をおすすめ。読み放題対象商品なので、第3章を除いてはお楽しみいただけると思いますよ。
 
 
神谷英邦『大阪府警ソトゴト(ロシア担当):町田のヒューミント』(Kindle)
http://www.amazon.co.jp/dp/B08NK6L559 
 
 
 訪問販売。
 
 悲しかった。
 
 むなしかった。
 
 一日に何十・何百とくり返す、「無視される」という体験。
 
 くちたち地球屋は、違った。
 
 ライブが始まる開店時刻に、立ち寄ることを許してもらえた。
 
「トニックウォーター、ロックでお願いします!」
 
 筆者は毎日のようにお店に通い、トニックウォーターを注文していた。
 
「ムリしなくてもいいのよ。お金、あまり持っていないでしょう」
 
「いえ、『トニックウォーター』を知らなかったので、『おいしい』のです」
 
 これは、本当の話。筆者(2003)は、大学学部生時代に「トニックウォーター」を学ぶ機会がなかった。就活の面接で知り合った女子大の学生を、おっさんがこよなく愛する居酒屋に誘った筆者(2002)である。
 
 飲み会の幹事の場数をふんだが、無料で飲食店情報が掲載される『ホットペッパー』をもとに、ロジを組むことができた。梅田界隈であれば、JR・地下鉄・阪急・阪神の鉄道出入り口を端緒にして、クラシック音楽の中古CD巡りできたえた土地勘を頼りに庭のように知っていた。
 
 それでも、トニックウォーターを知らなかった。
 
 開店間もない地球屋(2003)では、「トニックウォーター」というメニューは、もちろん、存在しない。仕入値を筆者に出してくださったのだろう。当時は、400円だった。写真にある「トニックウォーター」には、町田の地元のスーパーで80円の値札がついていた(バーゲンなのかもしれないが)ので、隔世の感がある。
 
開店前の17時頃に来店して、飲酒をせずに、仕事に戻る。そのための、「トニックウォーター、ロック」だ。誰にも相手にされない、訪問販売員。当時の筆者にとって、一日の仕事の中締めに「トニックウォーター」は、会話をすることができる貴重な命の水だった。
 
 訪問が禁止される20時以降は、筆者は体調の都合で会社での居残りを免除されていた。でも、仕事をしないわけにはいかない。毎朝の朝礼で、「活動実績」が全員の前で、全員の個々の数字がExcelシートで配布される。毎朝、誰かがつるしあげを目の前にする。罵声と怒声が飛び交う。2003年とは、そういう世界だった。
 
 20時以降は、くにたち地球屋。会社の寮に帰るのは申し訳ない・・・・・・なんだか常識(2022)をそのままあてはめれば、信じていただけないだろうが、それが「『社会人になる』ということ」なのだと、刻み込まれていた。晩ご飯は・・・・・・寮ではなく、くにたち地球屋。食が進まずあまりたくさんは食べられなかったけれど、阿蘇のホルモンの出る日は予想ができないので、メニューで出た日は嬉しかった。
 
 退職日付の2003年8月6日。
 
 エルさんは、言った。
 
「『もうダメだ』と思ったことは、これまで3度あった。それでも、その『3度』は乗り切った」
 
 何を隠そう、筆者(2003)は、「トニックウォーター」を注文した後に、ライブが開かれている地球屋で、ライブの終わった後に、テーブルをまわって「営業」をしていたのだ。
 
「出禁」という言葉を知らずに、退職を迎えることが、よくできたと、今にして思う。エルさんも、○○さんも、お客さんの★★さんも、みんな優しかった。新入社員(2003)だから、誰にもとがめられることなく、一生懸命になることができた。
 
国立地球屋 – くにたち地球屋のホームページです (chikyuya.online)

 YouTubeチャンネルでは、ライブ動画が配信されている。
 
 アニメ『けいおん!』には、番外編でライブハウスが描かれる。
 
「本気で音楽をやりたい」
 
と語るミュージシャンに主人公たちが出会うシーンがあるが、2003年8月7日午前0時をすぎて最初に名刺交換をしたのは、レコード会社の社長だった。音楽活動の場数を踏みたい。そういう方がおられれば、くにたち地球屋のステージを紹介したい。くにたちは、「国立」と書いて、「くにたち」と読む。
 
 筆者は、音楽が好きだ。
 
 音楽を聴くには、エネルギーがいる。
 
 ライブを堪能した後で、ホッと一息、エルスペシャルを飲む。
 
 「音」が響き渡り、「声」がしみいる、あの空間。
 
 あの空間を守るには、筆者(2022)ができることはないか。
 
 行政書士試験の受験を、本日、申し込んだ。
 
2022年7月29日

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