見出し画像

冒険家になった友達

ぼくらの学校では、5年生から6年生へ進級する時、通常、クラス替えも担任の交代もなかった。
でも、6年生に進級したぼくらのクラスだけ担任が代わった。
5年生の時の担任は明るく楽しい女の先生だったので、みんな残念がった。
そして新しい担任は、怖いことで有名な男の先生だった。
ぼくらのクラスは今で言う学級崩壊の状態にあったのだと思う。
クラスを立て直すためにその先生がやってきた、とぼくは思った。
でも実際には、ぼくらと全力でぶつかり、ぼくらを全力で守ってくれた本当にいい先生だった。

そんな問題児クラスに、小学校5年の夏休み明けに転校してきた彼が、途中参戦した。
彼がクラスに馴染じむまでに、時間はかからなかったと思う。
色白の整った顔立ちとキリッとした目が印象的だった。
少し取っ付きにくい感じもあった。
もう内容なんて全く覚えていないけれど、彼からよくダメ出しされた記憶がある。
ぼくは毎晩風呂で、くよくよといつまでも一人脳内反省会するような子だった。
だから同級生の彼から見ても頼りなく見えたと思う。
ぼくは彼のダメ出しを、彼なりの励ましと受け取っていた。
たまにぼくがやり返すと、いつも彼は少し悔しそうな顔をした後、ニヤッと笑った。

当時、ぼくの家は貧乏で、ぼくにはそれがコンプレックスだった。
ある時、ぼくはそのことで窮地に陥ったことがある。
ぼくの窮地を察してくれたのは彼だけだった。
そして自然な感じでフォローしてくれた。
その時の彼は、ぼく以上に困ったような悲しそうな顔をしていた。

しょっちゅう嫌味や皮肉を言う面倒くさい奴だけど、本当は繊細で心優しい大切な友達、ぼくにとって彼はそういう存在だった。

彼は紙飛行機を流行らせたことがある。
彼の作る紙飛行機は、斬新な構造で滞空時間が長かった。
6年生のぼくらの教室は、本校舎とは別棟の最上階にあった。
教室は非常階段に繋がっていて、そこから運動場に直接出られるようになっていた。
その非常階段から紙飛行機を運動場に向かって飛ばし、滞空時間を競う遊びが流行った。
彼の飛ばす飛行機は別格だったけど、そのうちに他の子も新しい折り方を考え出してきた。
男子はみんな夢中になった。
休み時間になるとぼくらの飛ばす紙飛行機が運動場に舞った。
だけどこの遊びはしばらくして禁止になった。
一斉に大量の紙飛行機を飛ばしたら、誰かの目に当たる危険性があるという理由だった。

彼は「ツバ風船」なるものを流行らせたこともある。
舌と舌の裏側に隙間を作ると、そこに溜まった唾がシャボン玉の形状になる。
舌先をうまく使い、そのシャボン玉を舌の上に移動させる。
そしてそっと息を送ると、本物のシャボン玉のように宙に舞う。
ツバとシャボンの組み合わせは語呂が悪いので、ぼくたちはこれをツバ風船と名付けた。
この遊びもあっという間に、クラス中の男子の心をとらえた。
口で説明すると簡単そうだが、しかしこれがなかなか難しい。
唾を風船にして舌に乗せるところまでは、誰でも比較的簡単にできるようになる。
しかし、それを飛ばすのには高度なテクニックが必要だ。
慣れないと風船は舌の上に乗せた直後にはじけてしまう。
または息を送った時にはじけてしまう。
そおっと息を吹きかけてみるのだけど、やっぱりはじけてしまう。
ぼくの場合、飛ばせるようになるまで1週間くらい毎日毎日練習したと思う。
そのうちほとんどの男子ができるようになり、ツバ風船は大流行した。
非常階段から運動場に向かって、みんなで一斉に飛ばした。
しかしこの遊びも、やがて禁止されてしまった。
女子たちから「不潔」というクレームが出たからだ。
当時は理不尽と思ったものだが、まあ当然のことで、今なら不衛生にもほどがあると怒られることだろう。

なにしろ問題児クラスだったから、いくつもの遊びが禁止になった記憶がある。
他にも彼が考案した遊びがあるかもしれないが、今ではもう覚えていない。

そんな彼は小学校卒業と同時にまた引っ越して行った。
(そして担任の先生も、自分の力不足で君たちには迷惑をかけた、すまなかった、教師としてもう一度勉強し直すと言い、その小学校を去って行った)

それから年月を経て、SNSで古い友人知人と繋がる時代が来た。
小中高と同級生だった友人から声をかけられ、件の問題児クラスのSNSグループに参加した。
しばらくして、彼も参加してきた。
彼は冒険家になっていた。
正直、驚いた。
どちらかというと体を動かすよりも頭を使うイメージがあったからだ。
しかし同時に、納得もした。
小学生当時の彼は、時折、遠い目をすることがあった。
どこか世の中を斜に見ているような感じもあった。
意思の強さが目に表れていた。
写真で見る彼は、よく日焼けし、頬が少しこけ、精悍な印象のいかにも冒険家らしい顔になっていた。

しばらくして、そのSNSグループで同窓会が企画された。
10人ほどが同級生の経営する店に集まった。
実際に会う彼は、話し方が穏やで物静かな男だった。
小学生の頃とは違い、目も優しい感じになっていた。

同窓会では彼からいろいろな話を聞いた。
引っ越した後、彼は進学校に入ったそうだ。
高校生の時に冒険家の植村直己の自伝を読んで感銘を受け、進学せず冒険家になると決めたそうだ。
実は、ぼくもその自伝を読んだことがある。
ぼくは冒険家にはなろうとは思わなかったが、冒険自体には憧れや興味がある。
読むのも、見るのも、話を聞くのも大好きだ。
本棚には冒険関連のノンフィクションや小説が何冊も並んでいるし、電子書籍も多数購入している。
テレビのキーワード録画には「冒険」「アドベンチャー」「登山」などの用語が登録してある。
堀江謙一、C・W・ニコル、野口健といった人たちの講演を聞きに行ったこともある。
だから彼の話にワクワクした。

彼は高校を卒業すると、アルバイトをしながらトレーニングを続けたそうだ。
そして最初の冒険に出たが、これは失敗に終わった。
経験不足が原因だったそうで、その翌年、再挑戦し、見事成功させたという。
彼は、南極観測隊にも参加したそうだ。
今、彼は北極圏を犬ぞり旅行したり、極地で活動する探検家や研究者の支援を行っている。
また大学や研究機関と協力し、極地の気象測なども行っているそうだ。
毎年冬は北極圏で過ごしているという。
冒険家から直接、しかも酒を酌み交わしながら話を聞けるなんて、なんと幸せなことだろうと思った。

皆が彼の話を聞いて凄いと感心しても、全然そんなことはないと彼は言った。
自分は社会経験がないし、社会で立派にやっているみんなの方が偉いと言った。
社会人の話を聞ける機会は少ないから、逆にもっとみんなの話を聞かせて欲しいと言った。

同窓会は本当に楽しいひとときだった。
最後に全員で記念撮影をし、再会を約束して分かれた。
その写真は、今も彼のブログに掲載されている。

それからは、彼の活動をSNSや公式ブログで追いかけるだけだった。
彼を交えた同窓会も開かれていたが、遠方に住んでいるぼくは参加できなかった。
彼は変わらず、毎年、北極圏への遠征を行っていた。

NHKの有吉弘行の番組で彼が特集されたこともあった。
せっかく録画したその番組を、SSDを入れ替える時に誤って消してしまった。

昨年、彼が隣り町に講演に来ることを知った。
自治体の企画する講演会だった。
彼に再会したく申し込んだが、あいにく仕事の都合で行けなかった。

昨年末、しばらくぶりに覗いたSNSに衝撃を受けた。
例年通り、北極圏で活動していた彼が行方不明になっているという。
ネット検索すると、そのニュースは新聞でも報じられていた。
SNS上では、冒険家仲間が彼や彼の家族のことを心配していた。
彼が消息を断ってからすでに1週間が過ぎていた。
セイウチに襲われた可能性もあるという。
一度、水族館のショーで身近にセイウチを見たことがあるが、その巨体には似合わず飼育員によく懐き、愛らしい印象の動物だった。
しかし現地の新聞によると、セイウチは漁師にとって最も危険な動物で、年に何人もが襲われ、命を落とす人もいるという。

夜、一人、風呂に入っていると、これまでつらつらと書いてきたようなことを思い出した。
後悔もした。
小学生の時、窮地を救ってくれたことにまだ礼を言えていない。
もっと彼の話を聞いておけばよかった。
同窓会にもっと参加すればよかった。
無理をしてでも、彼の講演会に行けばよかった。
なぜ録画を消してしまったのだろう。

いつの間にか、また一人脳内反省会が始まっていた。

ふと思いついて、小学校以来のツバ風船を試してみた。
全然できなかった。
なかなかコツを思い出せない。
しばらくやっていると、風船を舌の上に乗せることはできるようになった。
でも飛ばすことができない。
飛ぶ前にすぐにはじけてしまう。
息をゆっくり吹きかけても、そっと吹きかけても、何度試しても飛ぶ前にはじける。
湿度の高い風呂場だからだろうか。
唾液の性質が変わってしまったのだろうか。
舌の表面の構造が変形したのだろうか。
いろいろ試すがやっぱりできない。
でも子どもの頃に飛ばせたのだから、いつかまたきっと飛ばせるはずだ。
次、彼に会うときまでには、きっと。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?